所在地:香川県丸亀市一番丁
備考:日本100名城、国指定史跡、現存天守
丸亀城は、丸亀平野の海抜66mの亀山に生駒親正が隠居城として
慶長2年(1597年)から慶長7年(1602)にかけて築城した。
元和年間の一国一城令で丸亀城は一旦廃城の危機に陥るが、時の藩主・生駒正俊は
要所要所を樹木で覆い隠し立ち入りを厳しく制限して、城を破却から守った。
その後入封した山崎家治が寛永19年(1642年)から再建に取り掛かったものの、
跡継ぎがなく改易。その後に入った京極氏が城を完成させた。現在見られる天守は
この京極氏が造ったもので、三重の小規模なものながら、三段に積み上げられた
石垣の上に築かれた姿は風格がある。丸亀城は城山全体の石垣がよく残っており、
地元では隅櫓や多聞櫓などを加えて、かつての本丸や二之丸などの主郭部を
よみがえらせようとしている。
大手一の門
大手二の門
御殿表門
月見櫓跡からは飯野山(讃岐富士)が見えます。
内堀から天守閣へ向け、4層に重ねられた丸亀城の石垣は、高さにして約60m、日本一の高さを誇ります。
現存天守
備考:日本100名城、国指定史跡、現存天守
丸亀城は、丸亀平野の海抜66mの亀山に生駒親正が隠居城として
慶長2年(1597年)から慶長7年(1602)にかけて築城した。
元和年間の一国一城令で丸亀城は一旦廃城の危機に陥るが、時の藩主・生駒正俊は
要所要所を樹木で覆い隠し立ち入りを厳しく制限して、城を破却から守った。
その後入封した山崎家治が寛永19年(1642年)から再建に取り掛かったものの、
跡継ぎがなく改易。その後に入った京極氏が城を完成させた。現在見られる天守は
この京極氏が造ったもので、三重の小規模なものながら、三段に積み上げられた
石垣の上に築かれた姿は風格がある。丸亀城は城山全体の石垣がよく残っており、
地元では隅櫓や多聞櫓などを加えて、かつての本丸や二之丸などの主郭部を
よみがえらせようとしている。
大手一の門
大手二の門
御殿表門
月見櫓跡からは飯野山(讃岐富士)が見えます。
内堀から天守閣へ向け、4層に重ねられた丸亀城の石垣は、高さにして約60m、日本一の高さを誇ります。
現存天守