東京絵の具

日本国内の旅行地を掲載しています。

熊本城

2010年01月01日 | 九州
天守。連結式望楼型、大天守は3重6階地下1階、「一の天守」とも呼ばれる。
小天守は3重4階地下1階、「二の天守」とも呼ばれる。

住所:熊本県熊本市本丸1-1
備考:日本100名城、日本三名城、国指定特別史跡

熊本城は、慶長6年(1601年)、室町時代に築かれた千葉城や隈本城のあった
茶臼山一帯に、加藤清正が築城、慶長12年(1607年)に完成した。

最高所にある本丸には大天守や小天守を建て、各曲輪には宇土櫓をはじめ、
三重天守に匹敵する五階櫓を5基も建て並べた。加藤氏改易後は細川氏が入り、
明治維新を迎えた。明治10年(1877年)の西南戦争では城内に籠もった新政府軍を
西郷軍が攻めたが落城せず、城の強固さは証明されたが、本丸の大部分が焼失、
しかしなお宇土櫓はじめ12基の櫓が現存、清正流(せいしょうりゅう)と称される
高石垣もほぼ完全な姿で今に残る。大天守と小天守は昭和35年(1960年)に再建された。
現在、西出丸の櫓や門が復元され、また平成20年、本丸御殿の復元も完成した。



日本三名城に数えられる熊本城を築いた「加藤清正公銅像」


熊本城の南側は、江戸幕府の仮想敵であった薩摩藩に対する備えとして建造されて
いるため、非常に堅固(その分北側がかなり手薄)な構造になっている。


創建当時から唯一残る宇土櫓 [国指定重要文化財]


加藤清正は、始め緩やかな勾配のものが上部に行くにしたがって
垂直に近くなる「武者返し」と呼ばれる形状の石垣を多用している。


本丸御殿大広間。平成19年(2007年)の加藤清正による築城400周年にあたり、
総工費56億円をかけて復元され、2008年4月20日から一般に公開されている。
2008年度の城郭の入場者数は日本1位となっている。

また、熊本城では更に櫓などの復元のプロジェクトを立てており、
熊本城復元募金 新「一口城主制度」で城主を募っている。


■熊本城関連URI 熊本城稲荷神社

この記事についてブログを書く
« 熊本城稲荷神社 | トップ | 天草松島 千厳山 »