所在地:栃木県日光市山内2301
日光東照宮は、徳川家康を神格化した東照大権現を祀る。正式名称は地名等を冠称しない
「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。
国宝8重要文化財34の建造物42棟が世界遺産に登録されている。
徳川家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からである。
「遺体は久能山におさめ、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、
神としてまつること。そして、八州の鎮守となろう」。「八州の鎮守」とは、「日本全土の平和の
守り神」である。始めは駿府の南東の久能山(現久能山東照宮)に葬られ、一周忌を経て
江戸城の真北に在る日光の東照社に改葬された。
逸話ですが、「東照宮が西を向いている」のは、「我が家の敵は西国にあり、我が遺骸を西に
向けるべし、永く鎮護せん」と語ったらしく、東国は家康の信頼のおける家臣が支配していたが、
西には豊臣家などへの恐れがあったためと言われています。日光東照宮が建てられた年には、
大坂城主となった松平下総守忠明が、天満川崎の地に東照宮(川崎東照宮)を造営して、
豊臣秀吉の影を消そうとしたと言われています。徳川家歴代の徳川家霊廟の一覧。
仮殿
五重塔
神厩。東照宮境内で漆を塗っていない唯一の素木造り。
猿は馬を病気から守るという信仰から、長押の上に猿の一生を示すの8面の彫刻があります。
8面の中の1面で、最も有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」。
陽明門
唐門
眠猫
奥宮拝殿までの石段は一段毎に一枚石を用い、石柵は一本石をくりぬいて作られている。
参拝をするための社殿で、将軍でないと昇段参拝は許されなかった。建物全体が銅板で
包まれていて、その上に黒漆が塗られている。
鋳抜門と奥宮御宝塔。
御祭神家康公の神枢を納めた宝塔で、八角九段の基盤の上にたち高さは五米。
当初は木造であったが、石造に改められ五代将軍綱吉公の時、現在の唐銅製
(金・銀・銅の合金)に改鋳された。
日光東照宮は、徳川家康を神格化した東照大権現を祀る。正式名称は地名等を冠称しない
「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。
国宝8重要文化財34の建造物42棟が世界遺産に登録されている。
徳川家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からである。
「遺体は久能山におさめ、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、
神としてまつること。そして、八州の鎮守となろう」。「八州の鎮守」とは、「日本全土の平和の
守り神」である。始めは駿府の南東の久能山(現久能山東照宮)に葬られ、一周忌を経て
江戸城の真北に在る日光の東照社に改葬された。
逸話ですが、「東照宮が西を向いている」のは、「我が家の敵は西国にあり、我が遺骸を西に
向けるべし、永く鎮護せん」と語ったらしく、東国は家康の信頼のおける家臣が支配していたが、
西には豊臣家などへの恐れがあったためと言われています。日光東照宮が建てられた年には、
大坂城主となった松平下総守忠明が、天満川崎の地に東照宮(川崎東照宮)を造営して、
豊臣秀吉の影を消そうとしたと言われています。徳川家歴代の徳川家霊廟の一覧。
仮殿
五重塔
神厩。東照宮境内で漆を塗っていない唯一の素木造り。
猿は馬を病気から守るという信仰から、長押の上に猿の一生を示すの8面の彫刻があります。
8面の中の1面で、最も有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」。
陽明門
唐門
眠猫
奥宮拝殿までの石段は一段毎に一枚石を用い、石柵は一本石をくりぬいて作られている。
参拝をするための社殿で、将軍でないと昇段参拝は許されなかった。建物全体が銅板で
包まれていて、その上に黒漆が塗られている。
鋳抜門と奥宮御宝塔。
御祭神家康公の神枢を納めた宝塔で、八角九段の基盤の上にたち高さは五米。
当初は木造であったが、石造に改められ五代将軍綱吉公の時、現在の唐銅製
(金・銀・銅の合金)に改鋳された。