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KOBE de 清盛2012

2012年10月23日 | 近畿
2012年NHK大河ドラマ「平清盛」により、神戸市では2012年1月21日~2013年1月14日まで
「KOBE de 清盛2012」という平清盛のゆかりの地を案内する歴史ガイドツアーや、
歴史館やドラマ館、PRキャラバン隊のイベントなどが行われている。

平清盛を見るまでは、平安時代の歴史はほぼ知らなかったのですが、見ている内に
平清盛が描いていた理想などに興味を持ち、改めて日本の歴史を勉強したくなり、
幻の福原京に赴くことにしました。

三ノ宮駅で清盛1dayパスを購入した。このパスは、1日乗り放題の乗車券にドラマ館・歴史館の
両館入場券および生田神社・須磨寺・和田神社の祈念品引換券が付いたお得な券です。


午前9時過ぎに大輪田泊会場「歴史館」に着き、9時30分の歴史ガイドツアー
2時間コースに申し込んだ。


日宋貿易の拠点である大輪田泊)に交易の拡大と風雨による波浪を避ける目的で築造された
人工島「経ヶ島」は、工事が難航した。当時は人柱で竜神の怒りを鎮めていたが、平清盛は
何とか人柱を捧げずに埋め立てようと考えて、石の一つ一つに一切経を書いて埋め立てに
使ったと言われる(経石)。しかし、一説には、人身御供をする事となり清盛の侍童・
松王丸が入水して工事が終わったともいわれる。それが伝わる築島寺(来迎寺)では、
松王小児入海之碑が残る。右側の石碑は清盛の寵姫・白拍子の妓王と妓女の墓。


大輪田泊の石椋(いわくら)。平清盛より前の時代、奈良時代から平安時代中期の石椋。


浄国山金光寺(こんこうじ)。平清盛が開基したと伝わる。


能福寺。平清盛所縁の寺で、福原京遷都計画にともなって平家一門の祈願寺に定められ栄えた。
清盛が剃髪(ていはつ)出家した寺院でもあります。


兵庫大仏。この大仏は1944年(昭和19年)に金属類回収令で国に供出されるまで
日本三大大仏の一つに数えられた。


境内には平相国廟(へいしょうこくびょう)[平清盛廟]と十三重石塔(平清盛供養塔)があり、
平清盛が京都でふされた時、能福寺の住職円実法眼が清盛の遺骨を持ち帰り寺領内に
葬ったと伝えられています。


下記写真は、ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)による寺の由来碑(日本最初の英文碑)。
維新志士を資金面で支えた勤王豪商・北風正造君碑がある。碑文は初代兵庫県知事でも
あった伊藤博文が書いている。高田屋嘉兵衛にも資金面で援助しているなど、北風家は
兵庫の歴史にいくつも関わっている旧家。特に、姫路藩が官軍の攻撃を受けようとした時、
15万両を支払い紛争を解決した。この歴史がなければ、現在の姫路城は存在していない。


真光寺。平清盛が弁財天を勧請した時に、僧が井戸の水で茶を立てて献上したと伝わる。


中興開祖・一遍廟所


清盛橋より大輪田泊を望む。


薬仙寺。


建武年間(1334年~1337年)後醍醐天皇が隠岐島より帰京の途次病気となり、
霊泉で薬を調進するとたちまち平癒され、薬仙寺の号を賜わったという。


福原遷都の際、後白河法皇を幽閉した跡で、萱の御所とも呼ばれています。
もっと北側にあったそうですが、運河拡張の際に移動したようです。


和田神社。平清盛が承安3年(1173年)に市杵嶋姫大神を勧請した。古事記では、
イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神
ヒルコ(蛭子)は、不具の子に生まれたため、オノゴロ島から流されてしまう。
そして、流れ着いたのがこの地だと伝わる。


清盛塚石造十三重塔。北条貞時建立と伝わる。


平清盛像。並んで琵琶の名手・平経正にちなんだ「琵琶塚」碑が建てられています。


入江橋にある清盛くんの像。歴史館のある付近には、かつて兵庫城があり、
明治時代には兵庫県庁が置かれていたようです。


ガイドの方には、親切にいろいろと教えていただき、貴重な時間を過ごす事ができました。

続いて、ハーバーランドセンタービルにある「ドラマ館」に行きました。幻の福原京を
CGやジオラマで再現しており、衣装や小道具などの展示、平清盛役を演じた松山
ケンイチの等身大フィギュアがあり、一緒に撮影することがきます。

湊川神社須磨寺生田神社

平清盛由縁の場所はもっとありますが、1日しか神戸に滞在できなかったので、
すべては見ることはできませんでしたが、ガイドの方のおかげで知識が得られて
満足した1日でした。また、神戸に寄った時に本日行けなかった場所も行きたいです。

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