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若松城 (鶴ヶ城)

2010年10月09日 | 東北
所在地:福島県会津若松市追手町

若松城は、「会津若松城」、「鶴ヶ城」、「黒川城」と呼ばれている。
戊辰戦争・会津戦争では激闘が繰り広げられた有名な城である。
約1ヶ月の篭城戦を戦い抜き、難攻不落の名城として天下に名を
知らしめました。明治7年には陸軍省の命令で取り壊されましたが、
城跡は、旧会津藩士遠藤敬止の尽力で払い下げられた。
現在の天守閣は昭和40年に再建されている。


現在の鶴ヶ城から離れた市街地にも城跡は残されており、
「甲賀町口門跡」は国指定史跡に指定されている。
この石垣は、郭外より若松城の郭内に入る門の石垣で、ここを
界として内側を侍の屋敷とし、外側を町民の住居としていた。
当時、城下にはこのような門が16箇所あり、特に、この甲賀町
口門は追手門として他の郭門より幾重な構えをとったとされている。


「天寧寺町土塁」も国指定史跡で、蒲生氏郷が会津に入部し、
文禄元年(1592年)若松城の改築に着手した際に建造されたとされ、
若松城の追手として最重要要点であった。また、外郭と内郭を区画した
若松城の土塁の追構で、市内に現存するものは僅かである。


廊下橋(敵兵が押し寄せた時、切り落とすことができた)


高石垣(扇の勾配)


月見櫓付近に土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲で有名な荒城の月)碑がある。
仙台出身の土井晩翠は、戊辰戦後に鶴ヶ城に訪れ「荒城の月」の
作詞のモチーフとした。改めて詞を見ると、切なさが伝わってくる。


武者走り(危急の際、大勢の人数が左右から登れるように設けられた石段)


茶室麟閣は、千利休の息子・小庵が自ら手を加えた貴重な茶室。
福島県指定重要文化財に選出されている。




天守閣からの眺望。走長屋、鉄門、南走長屋と干飯櫓。


白虎隊自刃の地である飯盛山が望める。

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