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水戸城・弘道館

2011年05月29日 | 関東
薬医門(橋詰門)は、水戸城で唯一現存する建造物である。

所在地:茨城県水戸市三の丸
備考:茨城県史跡、国特別史跡(藩校)、日本100名城

水戸城は、那珂川と千波湖に挟まれた大地の先端に典型的な連郭式の縄張で築かれた城である。
鎌倉時代に馬場資幹がこの地に最初に館を築いた。天正18年(1590年)、佐竹義宣が入城して
近世城郭に改修、佐竹氏が秋田へ移った後に徳川家康の11男、頼房が入る。徳川家では水戸城に
大幅に手を加え、徳川御三家の居城として東北諸藩に睨みを利かせる存在とした。大地を掘削して
堀を造り、石垣を一切用いず、土塁によって城は築かれた。二の丸を中心とした縄張で、ここに
御殿や御三階櫓を設けた。梅の名所として名高い偕楽園は、徳川9代藩主斉昭天保13年(1842年)に
領民と楽しむために梅を植えて作らせた庭園である。

本丸空堀


弘道館(こうどうかん)は、江戸時代後期に第9代水戸藩主の徳川斉昭によってに作られた藩校である。
第2代水戸藩主の徳川光圀(水戸黄門)が編纂を始めた大日本史の影響を受けた水戸学は、幕末の
尊皇攘夷の思想を生み、吉田松陰や橋本左内らも弘道館に訪れている。

正庁・至善堂・正門は、国の重要文化財に指定されている。






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