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岡崎城

2010年10月21日 | 中部
所在地:愛知県岡崎市康生町

岡崎城は、康正元年(1455)ころ土豪の西郷頼嗣が創建し、家康の祖父・松平清康が
享禄4年(1531)に改築を行う。その城で天文11年(1542)、松平竹千代(徳川家康)が
生まれた。幼くして今川氏の人実となった家康だが、桶狭間の戦い後は岡崎城に戻り、
ここを拠点に三河を統一した。家康が浜松城に本拠を移すと子の信康が入り、信康の
自刃後は城代が置かれた。家康が豊臣秀吉によって関東に移されると、田中吉政が
入り総構の堀を築いた。関ヶ原の戦いの後は徳川氏の聖地として重視され、譜代大名・
親藩が城主となった。元和3年(1617)には三層三階、付櫓と井戸櫓を付属した天守が
築かれた。明治初期に天守は取り壊されたが、昭和34年(1959)に再建された。
石高は5万石と少なかったが、歴代譜代大名が城主となった。


大手門。平成5年再建。


岡崎城下東海道二十七曲の碑
岡崎宿は東海道五十三次の中でも屈指の規模を誇る宿場町でした。
岡崎宿は二十七曲と呼ばれるように、曲がり角の多い街並みでした。


徳川家康像。


徳川四天王の一人・本多忠勝像。


三河武士のやかた家康館。全国でも隋一のクオリティを持つ資料館。
大スクリーンとジオラマで動く人形は圧巻される。


二の丸能楽堂


産湯の井戸。天文11年12月26日(1542年)徳川家康公が岡崎城内で誕生した。
この井戸の水を汲み、産湯に使用したと伝わる。


えな塚。徳川家康のえな(胞衣、胎盤)を埋めた塚。


曲輪、土塁、堀、石垣など良く残っている。


徳川家康公遺訓碑
「人の人生は重荷を負て遠き道を行くが如し、急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、
心に望おこらば困窮したる時を思いだすべし、堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、
勝つ事ばかり知りて負ける事を知らざれば害其の身に至る。己を責て人を責むるな。
及ばざるは過ぎたるより優れり。」慶長8年正月15日

人はただ身のほどを知れ草の葉の 露も重きは落つるものかな。


龍城神社。明治維新後に岡崎城にあった徳川家康を祀る東照宮を現社地に移し、
本多忠勝を合祀している。岡崎東照宮とも呼ぶ。摂社に金龍神社がある。


展望台から東側。龍城神社、巽閣、葵松庵・城南亭(茶室)と乙川(菅生川)など。

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