所在地:沖縄県国頭郡今帰仁村今泊4874
備考:日本100名城、国指定史跡、世界遺産
今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう)は、14世紀、琉球王国成立以前に存在した
北山王国(ほくざんおうこく)の王の居城であった。
沖縄本島の北部の丘陵上に位置する。城の創建は明確ではないが、13世紀末から
14世紀初めにかけて造られ、14世紀前半頃に古期石灰岩を利用した石垣が積まれ、
15世紀前半には城域が拡張されて本丸・大隈・志慶真門郭など10の郭からなる
現在の姿になったと考えられる。記録では1383年に帕尼芝(はにじ)が城主になり、
その後3代にわたり、北山王を名乗ってこの地を統治した。
琉球全土を統一しようとした中山王尚氏の攻撃にも耐えたが、調略によってついに
1416年に城は陥落。しかし、尚氏のものとなった城は、慶長14年(1609年)、
薩摩軍に攻められ炎上、廃城となった。その後も城は聖域・拝所として存続した。
城跡には1.5kmにも達する壮大な石垣が当時のまま残っている。
平朗門(へいろうもん)。七五三(しちごさん)の階段が大庭(うーみやー)まで続く。
旧道
御内原(うーちばる)
主郭(しゅかく)(本丸)
志慶真門郭(しじまじょうかく)
志慶真門郭から主郭を望む。
外郭
規模は全く違いますが、万里の長城みたいな感じのする城でした。
備考:日本100名城、国指定史跡、世界遺産
今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう)は、14世紀、琉球王国成立以前に存在した
北山王国(ほくざんおうこく)の王の居城であった。
沖縄本島の北部の丘陵上に位置する。城の創建は明確ではないが、13世紀末から
14世紀初めにかけて造られ、14世紀前半頃に古期石灰岩を利用した石垣が積まれ、
15世紀前半には城域が拡張されて本丸・大隈・志慶真門郭など10の郭からなる
現在の姿になったと考えられる。記録では1383年に帕尼芝(はにじ)が城主になり、
その後3代にわたり、北山王を名乗ってこの地を統治した。
琉球全土を統一しようとした中山王尚氏の攻撃にも耐えたが、調略によってついに
1416年に城は陥落。しかし、尚氏のものとなった城は、慶長14年(1609年)、
薩摩軍に攻められ炎上、廃城となった。その後も城は聖域・拝所として存続した。
城跡には1.5kmにも達する壮大な石垣が当時のまま残っている。
平朗門(へいろうもん)。七五三(しちごさん)の階段が大庭(うーみやー)まで続く。
旧道
御内原(うーちばる)
主郭(しゅかく)(本丸)
志慶真門郭(しじまじょうかく)
志慶真門郭から主郭を望む。
外郭
規模は全く違いますが、万里の長城みたいな感じのする城でした。