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千早城

2011年05月27日 | 近畿
住所:大阪府南河内郡千早赤阪村千早
備考:日本100名城、国指定史跡

千早城(ちはやじょう)は、鎌倉末期の武将・楠木正成が金剛山一帯に築城した山城の一つで、
尾根上に設けられた曲輪群をひとつの城としてとらえると、下赤坂城が出丸、上赤坂城が本丸、
千早城が詰の城にあたる。

元弘3年(正慶2年、1333年)、正成軍は防御の中心となった千早城に1000人ほどが籠城して、
城を囲む鎌倉幕府の大軍に大石や大木を落としたり火攻めするなどして善戦。
千早城に鎌倉幕府が足止めされている間に、新田義貞が東国で挙兵して鎌倉幕府を滅亡に導いた。

城はその後、南北朝時代に畠山氏に攻められて落城し廃城となった。城跡には現在、曲輪跡や
空掘・堀切などの跡が残り、城跡は広場と千早神社になっており、広場が四の丸、社務所が三の丸、
神社が二の丸さらにその奥が本丸跡となっている。



二の丸(千早神社)


城石碑

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