おでかけZIOさん
さ迷い人でも言いましょうか、さしたる当てもなく、場所を時間を彷徨っております。




国博仁和寺展が始まった。
御室派のお寺の秘仏が多数出るということで注目していたのだが、連休最終日出かけてきました。相当の混雑を予想していたのですが、思いのほか空いていてラッキー!運慶展の込みようが嘘のようでした。目玉の一つ葛井寺の千手観音の展示が始まってないからなのかな。

それはともかく入場しましょう。
第1室は御室仁和寺光孝天皇発願
宇多天皇創建の門跡寺院筆頭という性格上その周辺の遺品や消息が中心、軽くスルー。
気になったのが三十帖冊子、写経する空海の呼吸を感じるようで、ちょいとしびれました。

第2室は皇室の秘事ともいうべき加持祈祷の世界、孔雀経が重用され孔雀明王に縋った姿が浮かび上がってきます。それが時代が下り下々まで、おどろおどろしく伝わっていくのだから、恐ろしや恐ろしやです。
仁和寺に伝わる北宋時代の画・孔雀明王像や奈良・小島寺の両界曼荼羅(前期は胎蔵界)はこんな機会でないとお目に掛かれない代物、拝見でき嬉しかったです。

第3室は御室の宝蔵となずけられた展示室、私的には緊張感を抜く感じで通過しました。
方丈記の鎌倉時代の写本とか金剛寺に残る延喜式とか興味深いのですが、自分の脳ミソの許容量がいっぱいいっぱいなもので・・・。

第4室、仁和寺の江戸再興と観音堂は今回最高のインパクトをZIOめに与えたのでした。
何が?とお思いでしょう!
仁和寺の観音堂を再現し、実際観音堂に置かれている千手観音菩薩立像、降三世明王立像、不動明王立像、二十八部衆立像、風神・雷神立像33体が17世紀作とはいえ目にすることができるとは、驚きです。
壁画も最新のデジタル技術で再現され、まさに観音堂内部を白日に晒したようです。
そして更なるサプライズ、それを我々が撮影して良いということです。
権威の隠された文化を皆に開放する行為に拍手を送りたい。(もちろん秘すれば花の面も大事にしたいのですが...。)
 
 

第5室は御室派の寺々の仏様のお出ましです。
ここの仏像に会いたくてやってきたのが、この展覧会にやってきた第1の理由でした。
まずは仁和寺本尊阿弥陀如来坐像と観音・勢至立像、定朝到来を予感させるお像とか、落ち着いた雰囲気を感じさせる。
中山寺の馬頭観音菩薩座像、お懐かしや、御開帳以来のご対面、オン・アミリト・ドバンバ・ウン・ハッタ・ソワカ、その憤怒のお顔に自分の弱さを見てしまいます。
道明寺の十一面観音菩薩立像にも再会のご挨拶、神呪寺の如意輪観音菩薩坐像は御初の御目文字、葛井寺の千手観音菩薩さんには会えなかったけど、また会いに行きますからと、等々充実の時間を過ごすことができました。
考古コーナーをのぞいてみると、以前行った和歌山の岩橋千塚古墳群の出土品の展示が行われていました。
やはり、あの地域は先進的だったと思わせる痕跡が次々見つかるんだ。


 
お隣ではサウジアラビアの出土品展が。
日本的に言えば時代的に縄文から弥生にかけて、陶器やガラス製品にシルクロードの彼方を思い、重ねてみたりしてました。

本当に東京は恵まれている、そんな思いを胸にして東博を後にしたのでありました。(2/12)



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好天が続いています。
そこで以前より気になっていた下宅部遺跡を訪ねて見ることに。
JR、西武鉄道と乗り継ぎ東村山駅に到着、まずは東村山ふるさと歴史館に行って情報を仕入れましょう。
猿田彦神社への案内板を見かけます。後ほどと思って通り過ぎてしまいました。

諏訪神社の手前の和菓子屋さんのウインドウで美味しそうないなり寿司を見かけ購入、昼ごはんを確保、さあぁせっせと歩きましょう。そのちょいと先に歴史館がありました。

その歴史館で、この辺り、東山道武蔵路が、そして中世には鎌倉古道が通る地と気づかされ、なるほど猿田彦が道案内でいるのも肯けます。寄っておくべきでしたと、ちょいと後悔したのでした。
東村山ふるさと歴史館の展示はさらっとおさらいする程度、下宅部遺跡関連出土品は八国山たいけんの里にあるとの事、マップをいただいて進みます。
 
 
その前に外せない場所があります。正福寺地蔵堂です。
マップを頼りに西に進むとまもなく正福寺の大きな屋根が見えてきす。
そして地蔵堂も。1407(応永7)年の見るからに端正な建物です。
東京都唯一の国宝建築物、円覚寺舎利殿と並ぶ室町唐様建築の禅宗仏殿とか。
その反りの見事なこと、伸びやかな垂木の素晴らしさ、三手先の詰組組物の斬新さ、花頭窓に波形欄間、願いが叶い目にすることができおおいに感激したのでした。
 
そこから東村山市立八国山たいけんの里へ。
小さいスペースながら出土物の展示に軽い興奮を覚えます。
ボランティア・ガイドの方の説明を聞きながら、先日読んだ工藤氏の著書に掲載されていた、そのものを目にし感激倍加です。漆の樹液採集から製品までの過程を見ることができ、また現代にも引き継がれている編組製品の存在を目の当たりにする、その感動は衝撃的です。

 
 
館を出、下宅部遺跡へ。当然埋め戻されていますが、縄文人に思いを馳せて見ました。
ここは八国山の入口、ちょうど昼時、先ほど買ったおいなりさんを頂くことにしましょう。
なかなか美味しい。突然の思い付き、〇でした。
 
今日の第二主題、八国山ハイキングを始めましょう。
武蔵野の雑木林が残っているという、確かにそんな感じの尾根道でした。
  
この尾根道の北の端に将軍塚がありました。
そしてその下に久米川古戦場跡が。
この辺りを東山道が走り鎌倉街道が走っていた要所だったのです。
朝日将軍新田義貞が旗を掲げ、鎌倉幕府軍とこの地で戦った場所と言う訳です。
元弘3年(1333年)分倍河原の合戦です。
(・_・D フムフム、そこから板碑保存館のある徳蔵寺に足を運びましょう。
ここに元弘の碑がありました。太平記の記述を裏付ける貴重な板碑です。
この1週間後、新田義貞は稲村ケ崎に突入し、鎌倉北条氏を滅亡させたことになります。
 
と言う訳で、今日はここまで、ミッション終了。
なかなか味わい深いお出かけでありました。
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あけましておめでとうございます。
正月三が日、何処にも出かけないのではハンドルネームに申し訳ありません。
と言う訳で、初詣と山歩きの欲張りプラン、年末の流れで千葉の清澄寺を選択したのでした。
ボトルネックの千葉ICを何とか通り抜け、木更津JCで海蛍と反対方向内陸部へ。
県道81号線で元清澄山側を通って清澄寺到着です。
初日の出日本一の看板にちょいとど肝抜かれながらも、ここは日蓮上人、立宗の地、
洋上に上がる陽の出に御題目を唱えたと、そうした光景に出会える地なのだと、納得しました。
兎も角参拝しましょう。
 

ご朱印も頂いて、境内巡り。

本堂の裏山、妙見山(377㍍)に。奥宮、妙見堂がありました。

千葉氏が信仰した妙見信仰、太平洋を望むこの地で北天を見上げる感覚がいいですね!
下って千年杉を改めて見上げ、

日蓮宗感得の地、旭が森を訪れます。
四阿からの太平洋は素晴らしい。元旦の日の出にはさぞかし賑わったと容易に想像できました。

 
先のお堂付近から富士山も遠望できるとのことでしたが、雲が出ていてかないませんでした。
さて、そこから?
予定では元清澄山に行く予定でしたが、あんまりのんびりし過ぎて、無理そう。
予定変更、麻綿原までゆっくり歩いてみることに。
一杯水林道を歩いていく。と、道半ば過ぎで土砂崩れ。
ゲート前の通行止めの表示はこれだったのね、と一人納得。
 

越えていくこともないので、ここでUターン。
途中の陽だまりでランチ、それこそのんびりハイキングでありました。
こんなお花も見かけました。アザミ、ハハコグサ、サギゴケ
  
帰りは鴨川のほうに下り、海鮮御膳に舌鼓打っての帰宅となったのでした。
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そろそろお暇しなければ、近鉄奈良駅まで送ってもらいました。
で、もう一回京都を歩いてみることにしました。
京都駅から、のんびり歩いて東山の紅葉の名所を訪ねながら北上します。
六波羅蜜寺の横を通って八坂の塔辺りから、観光客たちで賑わう産寧坂に突入です。
 

さらに観光客でごった返す清水寺、八坂神社、高台寺をパス、石塀小路なぞ覗きながら円山公園を通り抜けます。
知恩院の大きな山門前では、やはり立ち止まってしまいます。
そして青蓮院の大楠、出会えて何故かホットします。
 

回り込んで更に行くと粟田神社へ続く階段が、今までスルーしていたので今日は寄ってみましょう。
八坂神社をスルーしてきたけど、この神社も牛頭天王ゆかりの天王社だったらしい。
蘇民将来が粟飯、粟の筵でもてなしたに由来する粟田かと川村湊氏は言っている。

見っけものした気分で神社を後にし蹴上へ。
琵琶湖疏水辺りでもぶらつこうかと地下鉄東西線の駅を経由して通りを渡ることに。
予想通り良い感じです。今日は晴れて西に愛宕山がよく見え、今度はあの辺りでも歩いてみようかな等と考えてしまいます。
 

下ると南禅寺境内、いいですねぇ。
 

昔、寝っ転がっていた南禅院はパス、山門にも上らず傍の永観堂を訪ねることにします。
おぉ~、さすが永観堂、未だやや早いとはいえ深紅の紅葉が塀越しに飛び込んできます。

外人さんもいっぱい、暫し一緒になって愉しむことにしましょう。
 
 
 

見返り阿弥陀さんにもご挨拶。そうそう、国宝展でおめにかかった「山越阿弥陀」はここの所蔵でした。
さて、その後は。真如堂を目指すことにします。
途中に岡崎神社、素通りできずにまた寄り道。
 

岡崎神社は王城鎮護の為の東方に置かれた東天王社だったとか。
そこに広峰神社から八坂神社の前に牛頭天王が勧請された、祇園信仰の嚆矢という。
兎がシンボルになっていて、願掛けのお堂がありました。兎!正倉院展の緑瑠璃圷を思い浮かべてしまいました。
その先が黒谷金戒光明寺京都守護職本陣とあります。会津藩主松平容保ですか。
 

維新を語るには未だ生臭すぎます、パス。
回り込んで真如堂へ。紅葉祭りの準備中といった感じ、結縁の綱が準備されていました。
 
 

そろそろ京都駅方向に歩みを近付けていきましょう。
今日から京博の展示替え、これも見逃せません。
鴨川を渡って再び京都国立博物館へ。
 

3次展示で印象深ったのは屛風絵でしょうか、長谷川等伯の松林図屏風丸山応挙の雪松図屏風、ともに見ることができるなんて、至福のひと時でした。
神護寺所有の三幅の肖像画、個人的にすごく印象的でした。うん十年前、初めて連れと訪れた時、ちょうど虫干しとかで、ほんとうに真近でご対面したのです。その時の記憶では重盛像・頼朝像の2福でした。
そんなこんな愉しんで、お疲れ気味で博物館をでました。すでに中天に月がかかり旅の終わりを告げておりました。

急いでお弁当を買い込んで新幹線ホームへ。

何とか最終バスに間に合って我が家に辿り着いたのでした。(10/31)



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3日目、友が休みだという。さて、何処に出かけましょう。
比叡山西塔・釈迦堂で秘仏公開、内陣特別公開しているという、ならば決まりである。滋賀・仰木峠から入ります

まずは横川へ。北塔のあった円仁ゆかりの修行の地である。
横川中堂への道が紅葉に彩られ、正にグットタイミング訪問でした。
 

元三大師堂を廻った後、西塔地域へ。今日のメーンである。
赤い冠木門風の入口を通りにない堂をくぐります。この常行堂と法華堂、あゝ此処こそ常行三昧の修行に明け暮れた、そして今も明け暮れている地なのだと思うと身が引き締まります
 
そこから急な石段を下って行く先に釈迦堂がありました。
 
相応和尚1,100年大遠忌にちなんでの公開なのだとか。
内陣を巡った感想は、やはり展覧会とは違います。宗教的気分の感得こそ大事なのでしょう。今回は根本中堂は修理中なのでパス、前回来たのは何時だったかなと、ちょっと思いを馳せてしまいました。また滋賀側に下りて、石山寺に立ち寄ります。いつ見ても良い形である、ここの多宝塔は。
 

帰りは瀬田の唐橋から瀬田の流れに沿って下っています。その先が淀川、奈良への道でもありました。(10/30)



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