次なる目標は!昨年、屈辱を味わった『箱根駅伝先導隊』です
後もう少しのところで駅伝ランナーの猛追で先導到着できずに終わってしまいました。
最後の箱根新道まで体力を温存するためと目立つように、今年は私のガリレオちゃんを特別仕様に変更いたします。
↓DHバーで平地で体力を温存します。
↓ご存知!『風に吹かれてイカ野郎』を装着し、沿道の声援に応えます
後は自分の軽量化!?
11月2日(日曜日)に富士スピードウェイで行われた『富士チャレンジ200』に参戦してまいりました
私の参戦したカテゴリーはソロ200キロ
1週(4,526m)を1人で7時間以内に200キロ(44週)完走しなければいけないルールです。
この日のために、食事にも気を使い早朝マラソンとふれーゆ練などのトレーニングを積み挑みました
当日は3:00に鶴見を出発となり猫バスとマイカーの2台で(ヤビ仙人、猫バスオーナー、ニャロメ氏、ニョホホ氏、PWD)で富士スピードウェイに向います。
↓早朝、海老名インターにてコッテコテのソースカツ丼を食って『勝つ食う』と息を荒げます。そんな私も早朝坦々麺を飲み干します。
富士スピードウェイは開門時間5:30ですが、場所取りのため早めの5時前に到着しましたが・・・。皆さんも同じ事を考えており開門前に大行列をなしていました。
↓ようやく場所取りを終えレースの準備をしていると謎のマスクマンが近寄ってきます。『アナタハ、ソロ200ニ、シュツジョウデスカ?オー!ノー!ボトルヲ4ツノセルノモイイケド、パンクシュウリキットモモチナサイ!』と言い捨て消えていきました。
↓そんなプエルトリコからきた往年のマスクマンからの忠告を無視し、ボトル4本積みでコース試走にでます。
↓第2コーナー手前です。
↓第2コーナーです。富士山がこれから起こる波乱をあざ笑うように素敵な笑みを浮かべてます。
↓ヘアピンコーナーです。
↓ホームストレートです。
注意:ネッツコーナーと13thコーナーは坂のため写真はありません。
そして、いよいよ出走です^^期待に胸を踊らせてワクワク島倉チヨコです!
IS○YAの仲間に声をかけていただいたり、風邪をひきながら応援してくださった
K-ROちゃんさんの応援はとても励みになりました。
そして前半、90キロを走り、平均速度33キロを維持しながら、鰤氏と軽く談話した直後『貯金あるな!これならイケル!』と調子にのって走っていると、第2コーナーの立ち上がった所から、後輪から聞きたくない音が・・・。
『プシューシューシュー・・・・・。』
『パ・ン・ク』??????????
ちょうど3週間弱くらい前に台形に磨り減って交換した後輪のタイヤです・・・。
『あ~』
ヘアピンコーナーをテクテク歩き『最後まであきらめないぞ!2キロ歩いてピットにもどるぞ!』と思っていると、あのマスクマンが『ドウシタノ?』と訪ねてくれました。
すかさず『ぱんく!』と答えると、マスクマンはビニール袋に入ったパンク修理キットを投げてくださいました^^うれしかったです。パンク修理をすると中のチューブがよじれていました。自分のタイヤ交換の腕が未熟だったのです。
ピットに戻れるだけの空気を詰め込んで大急ぎでピットに戻ります。
そして、再び戦線復帰です。がメーターのアベレージ速度を見ると時速28キロに下がっております。時速29キロでギリギリ完走なのに、ヤバイです。もうこの頃は全身疲労のピークで腰の痛みも出始め足も張ってきております。残りは休憩のためのピットインは一切できません。おそらくロスしたタイムは40分くらいだと思います。
そして、後半ペースは上がらず無情にも7時間終了までのカウントダウンが聞こえてきます。メーターを見ると・・・。走行距離183キロ・・・。残り17キロ・・・。
あと4週・・・。
『くやちー!』
という事で私の富士チャレ200は幕を閉じたのでありました。
次回富士チャレにリベンジを誓うのでありました。
・次回リベンジまでの教訓
①パンク修理キットを持って走る。CO2ボンベを持つ
②体重をあと3キロ落とし60キロ台にする。
③休憩無しの戦略を継続
④補給食を減らす。(食べきれない補給食を持ちすぎて背中が重かった。)
以上。
追伸:春に『富士チャレ200エックス』が開催されるそうです