ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

2017年雲取山

2017-12-10 21:30:45 | 山歩き
標高2017mの雲取山に登った。2017年中に登ってみたかったので、心残りにならないように12月に入って、何とか駆け込みで登った。東京都・山梨県・埼玉県の1都2県にまたがる山である。石尾根を過ぎると急な登りがあって、しんどくなる。時間も気になり、本当に登れるのかと思いながら歩いていると、よほどしんどそうに見えたのか、下ってくる人に「歩き続けていれば到着する」と励まされる。やっと、2017mの山頂に到着。山頂では、何か作業をしている方がいて、せっかく山頂で達成感を感じようとしたが、少し残念な雰囲気。どうやら2017年を記念して建てられていた標柱を撤去した後の作業をしていたようだ。年末まで待っていたら雪やら凍結で環境が悪化して撤去出来なくなるかも知れないので、早めの撤去だったようだ。標柱が写真に収められなくて残念。作業をみていると、穴が掘ってあって、木を埋める作業もしていて、石を重ねて、見えないようにしていた。下りはいつものように足が痛くなり、ペースが遅れ、午後4時半ころから暗くなり、駐車場に着いた時には午後5時半過ぎていて真っ暗に近い状態だった。とにかく2017年中に登ることができたことには満足できた。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

富士宮コースから富士山

2017-10-10 21:28:51 | 山歩き
山仲間5名で富士宮コースを通って富士山に登る。9合五勺の胸突小屋に泊る。
登りは調子よく登れたが、下りは膝が痛くなり、皆より遅れて下りることになる。
3回目の富士山である。富士宮ルートは、富士宮口五合目を出発し、静岡県側(富士宮市内)の富士山南側から山頂を目指すルートである。スタート地点は、富士宮口五合目(標高 約2,400m)、山頂までの標高差 約1,300m。六合目で宝永火口方面への宝永山遊歩道と分岐している。ガスっている中を歩き出す。途中、宝永火口の山が見える。標高3000mを超えると元祖七合目の小屋に到着。9合目を超えて、9合五勺の胸突小屋に到着。小屋に着いたら、宿泊の手続きをし、食事をする場所を確保して、持って行ったつまみでビールやワインを飲み、歓談。後から一人遅れて到着して、合流して食事。風邪気味で体調不良になって、ゆっくり登ってきた。夜中に目が覚めて外に出ると、雲が多くて、星はほとんど見えず。そのあと、小屋の中で横になっていると、激しい雨音が聞こえてきた。3時に起床の声かけで起き上がる。雨はやんでいたが、ガスっていた。3時半過ぎに歩き出す。皆ご来光を見るために、たくさんの人でにぎわっていた。山頂について、ご来光を観ようと吉田口の方に歩いて行ったが、雲が多くて、結局、ご来光は見えず。山頂はさすがに冷えてきたので、上着を一枚着こむ。吉田口経由で剣が峰に向かって歩き出す。お鉢巡りで、火口を見ながら歩く。下山は登山道と同じ道を歩く。傾斜がきつく、地面が固いので、膝の負担が大きく、膝が痛くなり、皆より大幅に遅れながら歩くことになる。前日に体調不良になった方の後をついていくような形で歩く。天気は回復してきて、雲海やら駿河湾や伊豆半島が見え、展望を楽しむこともできた。他の人たちが先に歩いて行ったので、あまり休憩時間もとらずに下る。五合目に着くと、バスに乗るために階段を下りるのもぎこちない歩き方になりながらもバス乗り場に到着。帰りは御殿場の温泉で汗を流し、帰路につく。相変わらず、富士山は人が多かった。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

山モリ!フェス

2017-08-22 22:10:24 | 山歩き
山と溪谷社が「山の日」(8月11日)と翌12日の2日間、丹沢にて、山や自然を体験できる展示やアクティビティを展開するイベント「TANZAWA 山モリ!フェス 2017」が開催されていた。今年で2回目である。今回の場所は県立秦野戸川公園。8月12日の朝、ふと思い立って、娘と一緒に行ってみた。田部井淳子の思い出の品の展示 やK2やギャチュン・カンで山野井さんが実際に使用したダウンウェアや、山野井さんが中高生の頃からの愛用の装備等が展示されていた。登山教室やトークイベントも開かれていた。
鈴木みき氏のトークイベントに終了間際に入った。娘もいい話が聞けたので、もっと早く入って、聞ければよかったという。尾木ママ”こと尾木直樹氏は、自然教育のススメを語ってくれた。さすがに話は面白い。子ども連れのお母さんたちもたくさん入っていて、3歳の子に、お母さんのおなかにいたことを知っているかと聞くと知っているという。このように2~3歳までは覚えていて、3歳にリセットされ記憶が全部忘れてしまうような話をされていた。脳科学も新しい分野で、女性は、言語をつかさどる分野が進化しているが、男性は弱いといわれる。尾木ママは話が旨いので、女性化しているところもあるのかと思った。小林千穂氏もトークイベントをしていたので、入ることにして、聞くことができた。小林千穂氏は、今年の夏山の状況を話されていて、雪が多いことを語られていた。天気図の見方も触れていて、いろいろな天気図があり、信頼度のマークも注目されていた。バックの詰め方も話され、ペットボトルやストックも中に入れているといわれた。中が水にぬれにくいようにバックザックも中に詰められていることを話されていた。これからの夏は南アルプスを縦走されるとのことである。音岳家OJIライブは山の歌を山の経験に基づいて、歌詞と曲を作り、披露されていた。いい声である。
山好きの人たちが集まり、たくさんの企業が協力し、盛りだくさんの企画で、楽しく過ごせた。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

丹沢 沢登り

2017-07-17 20:04:54 | 山歩き
30数年ぶりの沢登りである。丹沢の葛葉沢と源次郎沢に登る。作治小屋に泊まり、1泊2日である。登り方はほとんど忘れてしまっている。プロの人について、ロープを出してもらったりしながら、登る。ずぶ濡れになったりして、天気も曇っているので、体が冷え込んでしまいながらも、沢登りを久しぶりに味わうことができた。2日目は、結構な雨にも降られながら、途中で沢を下ることになる。下りて来たら、ヒルも足にくっつかれていた。それでも沢登りの難しさと楽しさを堪能できた。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

上高地

2017-05-14 21:48:18 | 観光
連休に一泊2日、家族4人でバス旅行をした。郡上八幡や白川郷、飛騨高山、上高地を回る旅行である。バスの移動時間が長く、欲張りなコースなので、一つ一つの観光地は時間が短く、じっくり見ることができない。それでも上高地は90分の時間がとれたので、大正池でバスを降りて、河童橋まで歩くことができた。大正池では、穂高連峰や焼岳の眺めがよい。大正池は1915(大正4)年6月6日の午前に突然あらわれた池。焼岳が大噴火をおこし、その際に噴出した多量の泥流により梓川がせき止められてできた。大正池はできた当時、梓湖と呼ばれたこともあったが、大正年間にできたことから今の名称が定着した。河童橋のほうに歩いていく途中に、霞沢岳と六百山を望む梓川のほとりに、英国人宣教師ウォルター・ウェストンのレリーフ(石碑)がある。ウェストン氏は登山家として日本各地の名峰を制覇し、上高地にも訪れて山案内人・上條嘉門次とともに北アルプスに登る。そして上高地の魅力を1896(明治29)年、著書『日本アルプスの登山と探検』で世界に称賛している。「楽しみとしての登山」を日本に浸透させた功労者として、日本山岳会は氏の栄誉を称えて1937(昭和12)年に梓川沿いの広場にレリーフが掲げられた。河童橋まで来ると、たくさんの人でにぎわっていた。写真は、大正池と焼岳である。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

ライオン~25年目のただいま~

2017-04-14 21:49:28 | 映画
ガース・ディブィス監督の映画「ライオン~25年目のただいま~」を見た。
5歳の時、インドで迷子になり、25年経って青年になったサルーが母を見つけ出した実話が元になっている。インドの貧しい母子家庭に暮らし、兄と共にいたときにはぐれて、停車中の回送電車に乗ってしまい、眠り込んでしまい、遠い大都市コルカタへ迷い込んでしまった。家に帰るすべもなくて、オーストラリアへ養子に出された。里親に育てられ、大学生になった彼は、グーグルアースを使い、自分の生まれ故郷を探し当てて実親とも再会ができる。里子となって恵まれた生活を送っていたが、インドの実母や兄は自分を探し続けているのではないかと悩み続ける。一方で育ての親である里親に対する「罪の意識」もあって、なかなか言い出せない。だんだん不安定な青年期を送る。ある意味、自分のルーツ探しをし始め、自分を取り戻す旅に出たともいえる。オーストラリアの里親の社会状況とインドの子どものおかれている厳しい現実も垣間見えた。里子の弟が後から家族の一員となり、発達的に対応の難しさがあり、ニコール・キッドマン演じる母親が苦労する場面を見て、サルーも不安定になる。里親になって子育てをし、子育ての難しさと成長を見守ることを描き、子育ての多様性と包容力も感じられた。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

鍋割山

2016-12-29 16:32:35 | 山歩き
恒例の鍋焼きうどんを食べに、鍋割山に登った。
表丹沢県民の森で車を駐車し歩き出す。天気もよくて、登っていくと、富士山の頭が顔を見せ始め、山頂でくっきりとした富士山が見えた。山頂での鍋焼きうどん、体が温まり、美味しい。展望とうどんに満足し、同じ道を下る。下りは足が痛くなり、ペースが落ちて、どんどん後ろから来た人にも追い抜かれるが、久しぶりの山歩きができたのはよかった。
帰りは、スーパー銭湯「湯花楽」で汗を流す。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

大阪城

2016-12-08 05:47:09 | 観光
大阪で研修があったので、大阪城に行った。最近山にあまり山に登れていないが、その分、城や歴史巡りが多くなった気がする。関ケ原や名古屋城に行ったり、沼田城・名胡桃城にも行った。大阪城は、ちょうど今、大河ドラマ「真田丸」の舞台にもなっているためか、平日だったけど、人でにぎわっていた。あまり時間がなかったので、天守閣は展望台に登って周りの展望を楽しみ、資料館は流すようにみた。大阪城のボランティアガイドさんに、40分ぐらいの時間で城内を案内していただき、石垣などの説明を受けた。案内していただけるとよくわかって、さすがに詳しいと思った。
豊臣秀吉が築いた大阪城には、秀吉は1年ぐらいしか住まなかったようである。豊臣秀頼は、1598年5歳の時に父秀吉が亡くなったあと伏見城から移り、23歳で自害するまで大阪城に住む。1614年秀頼と淀殿は、徳川との決戦を覚悟し籠城、15万とも20万ともいわれる幕府勢に「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」の二度にわたって攻め立てられ、1615年ついに豊臣政権は息の根を止められた。ここに、栄華を極めた豊臣家は滅亡し、比類なき大坂城は灰になった。現在、豊臣期の大坂城は土の下に埋もれている。石垣の積み方や石の刻印などから、江戸幕府が堀や石垣に至るまで天下普請によって造り直している。つまり、巨大な石垣や深い堀は、“秀吉の大坂城”ではなく、豊臣家が滅亡した後に、徳川家がつくったものである。ブラタモリで放映していた地下にある豊臣時代の石垣がみえる穴の蓋には、鍵がしっかりしてあった。大阪城は東、北、西の三方向が上町台地の崖となり、湿地帯に囲まれ、自然の地形の力で、強固に守られていた。幕末に徳川慶喜が大阪城から江戸に逃亡する際に出火し、建造物の殆どが焼失、更に終戦前日の大阪大空襲により焼失した。1665年に落雷によって消失した天守は昭和6年(1931)まで再建されず、266年間大坂城は天守を持たない城でもあった。その後、昭和40年(1965)に大阪城整備工事の一環として再建されたものでが現在の大阪城天守である。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

海よりまだ深く

2016-05-23 21:37:26 | 映画
是枝監督の「海よりまだ深く」という映画を見てきた。
団地に一人住まいの母・淑子と、長男・良多、その元嫁・響子と11歳の息子・真悟の、家族をめぐるストーリー。それは“なりたかった大人”になれなかった大人たちの物語。台風の夜に、偶然ひとつ屋根の下に集まった“元家族”を描いていく。この映画の舞台にでてくるのが、清瀬にある旭が丘団地である。是枝監督が9歳から28歳まで実際に住んでいた団地である。かって憧れの集合住宅として全国に建てられた団地が、老朽化と住人の高齢化といった問題を抱えるようになり、シャッター商店街も目立ち、建てた当初のイメージと異なる状況に直面している。是枝監督は、「なりたいものになれなかったのは団地も同じなんですよね」と話す。このような団地のたたずまいをなりたいものになれなかった登場人物たちのせつなさと重ね合わせているかのようである。実際に映画でも、そこで撮影されたということである。日常の風景を切り取っているが、なかなか含蓄のある言葉がでてきたり、それぞれの役者がうまく演技をしていて、見終わって、味わい深さを感じた。テレサテン「別れの予感」の音楽が流れた。
「教えて 悲しくなるその理由 あなたに触れていても 信じること それだけだから 海よりも まだ深く 空よりも まだ青く あなたをこれ以上 愛するなんて 私には出来ない」
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

桜祭り

2016-04-07 06:03:53 | 山歩き
4月3日、職場の地域で、桜祭りがあった。今年は桜の咲くのが早かったので、
散ってしまうのではないかと心配をしたが、咲き始めてから、冷え込んだので、
ちょうど、この日は満開に近かった。朝のうち、雨が降っていたが、だんだん
止んできたので、人も出て来て、にぎわってきた。春のこの時期に桜を通して、
イベントが組まれるというのも地域のつながりができて、活性化にもなるのかなと思った。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加