真理の探求  ― 究極の真理を目指すあなたへ by ぜんぜんおきなわ

本が出ます。
タイトル:「神の子への手紙」
2017年8月1日 刊行

第三十四回 誰が悟るのか(その三)

2017-06-17 08:07:22 | 悟り
前回、ある精神世界のビッグネームが講演会で語ったことを例にして、「悟り」という言葉の力についてお話しましたが、これについてはもっと詳しい説明が必要だと思います。

第三十回のブログで、私がインターネットで「悟り」と名がつくサイトはどんなものでもリサーチしたという話をしました。

その時、驚いたのですが、そこにあったのは毀誉褒貶が渦巻く世界でした。どうも人々は、「悟り」というトピックに対して、相当に感情的になるらしく、強烈な憧れを持つ人や肯定的な感覚を持つ人がいる一方、否定的な感情を抱く人も多くいるようです。

ただ、これはネットの世界だけにとどまるものではなく、例えば1990年代にはオウム真理教の事件が起こり、メディア全体に「悟り」という言葉が、主にネガティブなイメージを残すものとして、毀誉褒貶が踊りました。

また、もっと大きな歴史的視野に立ってみれば、「悟り」を生きた人々が、ある時は人々の賞賛の渦の中で聖人に祭り上げられたり、逆に忌み嫌われるものとして忌避の渦の中で死刑にされたり、火あぶりにされたりしてきました。

いずれにしても、「悟り」という言葉は、その言葉の内に秘められる絶対的な静寂性や不動性とは反対に、人々の心には何かしらのザワザワしたエネルギーを起こさせるようです。そのエネルギーが一方では賞賛や聖人化となり、もう一方では忌避や迫害となるようで、どちらにせよ、平静と受領できないという点では共通するようです。

「釈迦といういたずら者が世に出でて、多くの者を迷わするかな」と一休さん(1394-1481)は言いましたが、そもそも宇宙が、「悟り」なり、Enlightenmentなり、そういう言葉を持ってしまっていること自体が、「いたずら」のもとなのだと言えます。

というのも、「釈迦といういたずら者」と言いつつも、一休さん自身もその「いたずら」の海における一つの波として生きていたことは自覚していたはずだからです。

しかし、そうした「いたずら」や毀誉褒貶という渦の中にあっても、「悟り」という言葉は台風の目のように、まったく微動だにせず、空として在り続けます。

色即是空。ここでもやはり、色自体がいかに移り変わろうとも、空としての言葉そのものは、絶対的不動です。不動の「空」と、諸行無常の「色」。それは変わりません。

ですから、前回、例に出した精神世界のビッグネームによる講演の場面でも、この構造は不変だと観察できるのです。

その先生が「私は悟ってるんですよ。」と言えば、横にいる奥様が、「この人は悟ってませんから。」と聴衆に言う。それを聞いて、聴衆もわっと笑う。

この一連の流れは、表面的に見れば講演会におけるそれぞれの人間が行った一連の行為に見えますが、上で言った「台風の目」という視点で見れば、「悟り」という言葉が自らの言葉の意味を体現するために、講演会に来た講演者や聴衆全体を使って狂言回しをやったと見ることもできます。

映画を見れば、目に見える俳優達が行為してストーリーを作っているように見えますが、実はストーリーを作っているのは画面には見えない脚本家や監督です。俳優は彼らによって「回されている」だけです。

それと同じように、「悟り」という言葉のまわりに群がる毀誉褒貶やごちゃごちゃの歴史も、我々人間の方が「悟り」という言葉のまわりで「回されている」だけと見ることもできます。

御本尊である「悟り」という言葉自身は、まわりの騒乱をよそに、その無時間の時間の中で微動だにせず、ただその絶対的静寂の中でお座りになっていらっしゃる。

これが、「悟り」というこの超越的性を巡る混乱の歴史の正体なのでしょう。

こう書くと、池田晶子(1960-2007)のあの言葉を思い出します。

「ある言葉がその言葉である、その姿をとってそこにあるということは、それ自体が、絶対を巡るわれわれの歴史という経験に他ならないのであり、言葉に宿った意味内容など、その二次的派生物にすぎない。」 (「新・考えるヒント」 講談社 110頁)

「悟り」という絶対を巡る毀誉褒貶は、言葉という「空」を巡って、言葉の意味内容という「色」の奪い合いが起こる歴史とも言えます。

この視点からすれば、誰が悟ったとか、あいつは偽物だとか本物だとか、そういう絶対性の奪い合いも、超越性を巡る歴史の台風一過に過ぎません。

視点がそういう騒乱の方ではなく、台風の目の方へ向くなら、悟りという真空は、人間の肉体以上の実在として、色即是空のその体をあらわすことでしょう。
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