真理の探求

神としての真理を探究しています。
(哲学・宗教)

第六回 フィロソフィー(その四)

2017-05-20 08:08:15 | 哲学
前回、ユダヤという言葉が、紆余曲折を経て人々の強大な偏見にまで成長したという話でした。

しかし、ユダヤという言葉より、ある意味もっと偏見にさらされているものがあります。

それが「宗教」という言葉であり、「哲学」という言葉です。

宗教はウサン臭い連中の集まり、哲学は小難しい理屈の集まりという偏見です。

カール・マルクス(1818-1883)の有名な言葉に、こういうものがあります。

「哲学者は世界を様々に解釈してきたにすぎない。大事なことは世界を変えることである。」

今ここでもう一度このマルクスの言葉を読んでみても、私はこの偏見に驚きます。

「哲学者は世界を様々に解釈してきたに過ぎない」とマルクスは解釈したわけですが、同じように哲学に偏見を持った人たちには、この言葉は非常にウケました。

1960年代には、マルクスのこの考えは世界的に大人気だったわけです。

さて、こうしたマルクスの偏見に対して、私は哲学をこう定義したいと思います。

「多くの自称哲学者達は、確かに世界を様々に解釈してきた。しかし、本物の哲学者達は、世界叡智に対する愛、およびそれへの畏敬の念を様々に語ってきた。大事なことは我々がそうした愛の軌跡を辿り、愛に目覚め、究極の愛の原理は自己の内にあることを知ることである。」

確かに「哲学」と言っても、本屋に行ったら玉石混交、様々なものがあります。

フィロソフィー(愛知)とは程遠い本もたくさんありますから、がっかりすることもあるでしょう。

しかし、本物の哲学者が書いた本なら、それは超越的な真実在に向けたラブレターなのです。

ニーチェはこれをAmor Fati(運命愛)と言いました。

詳しくは次回に。
『スピリチュアル』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 第五回 フィロソフィー(そ... | トップ | 第七回 フィロソフィー(そ... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。