立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

馬場島へ入って、奥へ進んで、秋の到来を感じる(6)・・・上市町・県道剱岳公園線

2017年10月10日 | Zenblog
 馬場島へ入りました。剱岳は前の山と重なって見えなくなり、駐車場を過ぎてキャンプサイトの横を通り抜けます。さらに左のシラカバ林を見ながら、その道路の先に聳える剱御前山を味わいました。それから車を降りて、白樺林の奥にある剱岳登山口の方へ進みました。下界とは異なり、馬場島の秋が来ています。(明日へ続きます。)


(1)馬場島へ入りました。剱岳は前の山と重なって、もう少しで剱岳は見えなくなります。




(2)駐車場です。剱岳は手前の山に重なりました(剱岳の岩のゴツゴツが少しだけ見える)。秋の雰囲気に囲まれました。




(3)キャンプ場です。左の道を奥へ進みます。




(4)キャンプ場を過ぎてさらに奥へ。上のゴツゴツした岩は、剱岳の前の山に重ならない部分が見えています。




(5)左にシラカバの木に囲まれた広場があります。




(6)さらに進むと立山川(早月川の支流)の上流方向正面に剱御前山が見えます。左の山の左肩がゴツゴツしているのは剱岳の岩がわずかに見えているのです。




(7)剱御前山にズームしました。




(8)左のシラカバ林の先に剱岳への登山口があります。



(明日へ続きます)



標題をクリックするとページが開き、下にコメント欄があります。一言書いていただくと幸せです。
右下の「コメント」をクリックしてもページが開きます。
ぜひブログランキング・にほログ村へにクリックを!




コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 馬場島に近づく、剱岳の見え... | トップ | 馬場島の秋を楽しんで帰途へ... »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (杉氏)
2017-10-10 20:17:49
日本の命運がかかった、総選挙の戦いの火ぶたが切って降ろされた。「自公とその補完勢力(希望の党・維新)」対「野党と市民連合の共闘」という「二極対決」が鮮明です。

五年前に発足した安倍政権は、アベノミクスで格差を広げ消費税をあげ、そして数の力でやりたい放題、秘密法、戦争法、共謀罪など無理やりに成立させた。

今、。自公と希望の党、維新で憲法改悪を叫んでいます。

私たちの手に政治を取り戻す秋です!!!
あの顔だけは見たくない (zen)
2017-10-10 21:49:33
 「もうテレビであの顔だけは見たくない」という生理的な嫌悪感が私にはあります。最初からそうでした。あれに騙されるなんてどうかしていると思っています。もううんざりです。政治というものが嫌になってしまうほどです。

 でもそうばかりも言ってられません。民主主義とは、やっぱり我慢しながらなんとかしなければという気持ちがだいじだとも思うからです。少しでもましなものに変えていかなければとも思うからです。
 
 平和を、日本の「戦争放棄」の憲法を土台に構築しなければならないと思っています。安保法制などの軍事力を基本にするとは土台から狂っています。
 70年の歴史がある「戦争には手を出さない」国を、「平和を作り出す」国を推し進めたい。戦争の日本を経験したもうじきに死ぬ人間の切なる願いです。しかし日本は危険領域に入ってきました。
 戦争に向かわない国にするために投票したいと思います。
Unknown (まめな)
2017-10-13 23:31:49
Zenさんのように戦争を体験した方が仰るとやはり説得力があります。戦争は絶対に嫌だと改めて思います。

こちらカナダでは、第二次大戦中に敵国移民が被害を受けました。中でも日系人の扱いは酷かったそうです。家も財産も全て奪われ女と子供は抑留キャンプへ、男たちは肉体労働へ。戦後は日本へ帰るか、ロッキー山脈の東側へ行くかを迫られ、元々住んでいたバンクーバーに戻ることは許されませんでした。ここトロントにはそんな体験をされた一世、二世の方々がまだ住んでいらっしゃいます。私は長期ケア施設で3年ほどボランティアをしていましたが、その時そのような方たちからいろいろお話を聞きました。

ところで、戦前のカナダへの移民の一番多い出身地は滋賀県だそうです。なかでも彦根市が多いとか。映画にもなった「バンクーバーの朝日」の野球選手も彦根出身の方がいたそうです。Zenさん、何かご存知ですか?

コメントを投稿

Zenblog」カテゴリの最新記事