立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

河岸段丘上の立山町新瀬戸地区、天上の「農と陶の里」・・・立山町新瀬戸地区

2017年06月27日 | Zenblog
 以前にもこのブログで取りあげていますが、再度急いで走ってみました。河岸段丘の上にあるけっこう広々としたこの地は「天上の里」という感じです。古くこの地に瀬戸焼の陶工たちが住み着き、越中瀬戸焼の繁栄を築いたのも理解できます。


(1)立山町の平地から一段高い丘が続いています。




(2)平地から段丘上へ上がっていく道です。




(3)段丘上へ上がってしまうと、また広々とした平地が広がっています。




(4)右の道は下の平地から上がってきたばかりの道です。そしてこの高い平地にも豊かな水を流すための水路が走っています。




(5)ハナショウブが咲いています。




(6)ホタルブクロも咲いていました。




(7)新瀬戸小学校の校舎です。




(8)下の平地へ下っていく道です。




(9)その道から下を眺めました。直ぐ下に見える集落です。集落の向こうに平地が広がってています。




(10)下の平地に田んぼが広がり、屋敷林が見えます。西の常願寺川に向かって真っ直ぐの道が延びています。




(11)西北の富山湾方向です。遠く海岸部には富山市北部の市街地などが見えます。


 (9 10 11の写真は下の平地へ下る途中から見たものです。)



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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (まめな)
2017-06-28 05:11:55
懐かしい風景です。新瀬戸小学校は去年から休校になっているのですね。私が子供だった時も小さい学校でしたが、休校になってちょっと寂しいです。近くにある総合公園には、子供たちが小さい頃よく連れて行きました。ところで、私のハンドルネームの「まめな」とは方言ですが、まだ言う人はいるんですかね。「まめか」「まめけ」などと言ったり。私の祖父母の年代は、これが挨拶言葉でした。
まめなさん (zen)
2017-06-28 14:22:07
 新瀬戸小学校は確かに休校になっていますね。あれだけ立派な建物が、まさか?という感じですが事実ですね。驚きました。つい最近まで子どもたちの元気な声を聞いたことが何回かありましたから。

 「まめな」という言葉は、今でも聞くことがしばしばあるように思います。私の生まれた滋賀県南部でも「まめけ」と同じ意味で「まめにしてはるか?」というふうに今でも使うようです。「まめ」という言葉の使用地域はかなり広いようですね。
「まめけ」 (はたやん)
2017-06-28 18:07:23
【割り込みで悪しからずであります‼】

本当に懐かしい記憶をありがとうございました‼

上市生まれの自分の義姉は今でも普通に遣っています‼

祖母は「まめけ」・「まめなけ」・「まめながけ」・・・しか遣っていなかったような‼

おふくろは「げんき」と相手によって遣い分けていたような・・・!!??!!
Unknown (まめな)
2017-06-29 23:39:32
zenさん、はたやんさん、まめなけ? 「富山弁番付表」なるものがあることを発見。よく出来ていて、おもしろい! 思わず声に出して笑ってしまいます。なんとか手に入れて、額に入れて飾りたい!
富山弁はよく残っている (zen)
2017-06-30 21:08:47
 富山県が特色ある言葉・文化・産業・気風をよく残しているのは、地勢的に独立国のような構えがあるからだと思いました。

 夕方のNHK富山放送局の番組に「富山人」と名づけたり、富山県内の一般道路で出会う車がほとんど「富山」ナンバーだったりするのにも現れていると思います。私の出身の滋賀県ではもうそのようなことは思いもつかないことです。

 ですから、富山県には今もって「富山らしさ」が驚くほどに残っているのです。私が滋賀県からここへ引っ越したとき、あまりにもはっきりといろいろな「富山らしさ」の残り方に驚きました。

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