散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

紀伊国屋文左衛門の碑(深川・成等院)

2014-06-08 06:06:07 | 日記
    

 深川三好町の成等院に紀伊国屋文左衛門のお墓と碑があります。お墓は正面の大きな碑の左

奥にあります。文左衛門は紀州(和歌山)出身で、若い時に江戸に出て材木商を営み、幕府と

関わり材木豪商となりました。後年は富岡八幡(門前仲町)一の鳥居付近に住んでいましたが

享保19年(1734)に66歳で没したといわれ、ここ成等院に葬られました。  

 人物伝には不明な点が多く、半ば伝説上の人物といわれますが20代の頃、紀州みかんと塩

鮭で富を築いた話は有名です。晩年には、蕉門十哲の筆頭といわれた宝井其角ら文人とも交友

して「千山」の俳号を名乗ったといいます。江東区見どころ案内によると大きな碑は昭和38

年に建てられたものです。

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4 コメント

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文左衛門 (hibochan)
2014-06-08 07:18:12
紀州が終焉の地と思ってました
時代劇に登場しますが半ば伝説ですか
紀伊国屋文左衛門 (晩節を行く農民)
2014-06-08 08:01:19
お邪魔致します

誰しもが頭の隅に残っている紀伊国屋文左衛門の話しですね
紀州みかんと塩 鮭で富を築いた話は有名、これが一番・・

お宅様の話からでは晩年には文人とも交友して「千山」の俳号を名乗り素晴らしい晩年を送った人なのですね
金に余裕ができると人間その様な道にも目が向くのでしょうね

爺さんは金はありませんから文人には・・・・・

    では失礼いたします
hibochanさん (sanpo63)
2014-06-08 16:08:37
 時代劇に出てくる材木商は概して悪徳商人ですね

 「紀伊国屋 お主も悪よのう」と言われたのかも

 みかん船で嵐のなかを江戸にという話は聞きますね。
晩節を行く農民さん (sanpo63)
2014-06-08 16:13:39
 紀文と言えば「みかん船」というイメージですが
材木で儲けていたとはね とにかく商才は
大いにあったのでしょうね。うらやましいです。

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