信仰日記

主に教会行事案内や出来事を記録していきます。

気づき信仰体験発表(1)

2017-07-20 | 日記
教会講習の時にご発表頂いた内容を、少し長いとは思いますが、掲載させて頂きます。
長いので、何回かに分けて書きます。

№1

■ 御神尊様、今日は信仰体験の発表の場を頂きました。 祖父母の事や、私の知らない時代の事、入信のきっかけ、道に導いて下さった方の事など、命をみつめる機会をいただきありがとうございます。

 私は、大正11年生まれの父と、大正10年生まれの母との間に、2男2女の長女として生まれました。
 母は、婚約者がいましたが、シンガポールの激戦で戦死したということでした。その後縁あって婚約者の弟と結婚することになりました。当時は、こういうことがあったそうです。 戦後身ひとつで引き上げてくる人もいれば、紙切れ一枚の知らせや骨壷で、帰って来た人もいたと聞きます。 二人とも、悲惨な時代に青春時代を過ごしています。

 母の父親は、昭和12年に50才で亡くなりました。母が15の時です。 その頃頼りになる兄は病弱、姉達は嫁いでおり、一番下の弟は、未だ3才。母親も祖母もおり「 お前が男だったらなあ~」と親に言われていたそうです。
 父の復員を待ち、26才で結婚、父は養子です。

 当時の母は、親に合わせれば夫に合わず、夫に合わせれば、親に合わずの板挟みで、心労が絶えなかったそうです。そのためか、リューマチから心臓弁膜症をおこし、痛みや苦しみで長患いし、寝たり起きたりをくり返していたようです。

 善隣の道に導いてくれた方は、近くに住む父の知り合いでした。その方は肝臓が悪くむくみがひどかったのが、教えを聞いてからは、どんどん良くなったそうです。
 子供が3人いましたが、一人が良くなれば、又ひとりが悪くなり、医者から縁が切れなかったそうです。佐賀の講習に行くと、「このままの状態でいると、子供を取られますよ!」と言われ、初め半信半疑だったそうです。 それから10日位に7才の長男が高熱でリンパが腫れ、命に関わると医者に言われ、迷わず又講習を受けたそうです。

 当時の事が書いてある母の手紙に「主人と和解することを、心が開き入れてくれません。自分自身に言い聞かせて、ようやく心が落ち着き、胸のつかえが取れる頃には、こどもの目に赤みが戻ってきました!」当時の兄の目玉は、死んだ魚のように、白く濁っていたと聞いています。



 



 

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