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近聞遠見:「竹島を爆破したらいい」=岩見隆夫

2012年01月07日 06時36分07秒 | 保管記事


 

  記事の紹介です。


近聞遠見:「竹島を爆破したらいい」=岩見隆夫

 今年は内外の指導者論が一段とにぎやかになる。米中露仏韓台でトップの改選・交代が行われ、日本でも民主、自民両党の党首選が秋に予定されているからだ。

 暮れのあるパーティーで耳にはさんだ次の話は、指導者論の前座のようなエピソードである--。

 昨年11月、麻生太郎元首相と高級官僚OBが韓国に招かれ、シンポジウムに参加した時だ。全斗煥(チョンドゥファン)時代のバリバリの反日論客が登場し、

 「日韓関係はよくない。日本は『竹島なんかくれてやる』と言えばいいじゃないか」

 と挑発した。麻生が応じる。

 「韓国も大変だろう。ひとつ、日韓で合意して、竹島を爆破したらどうか」

 「……?」

 「ただし、これは、韓国の専門家に聞くと、30年前に田中角栄さんが言ったことだ」

 竹島爆破を口にしたのは田中でなく、金丸信だ、いや某韓国大統領だ、と諸説ある。だが、田中に似つかわしい話、と思いながら聞いた。

 ところで、リーダーの力量は首脳外交で試されることが多い。戦後日本でも、対日講和、日ソ復交、安保改定、沖縄返還、日中正常化、ロン・ヤス関係、電撃訪朝などで首相の名前が残る。

 なかでも、田中首相によるユニークな野人外交の印象が強い。1972年9月、北京での日中正常化交渉。初めて周恩来・中国首相と人民大会堂で向かい合った時、田中はまず、

 「蒋介石をどう思うか」

 と聞いた。交渉の最大のネックが台湾問題で、当時、蒋は中華民国(台湾)総統、中国と敵対している。周は言下に、意外な答えをした。

 「彼は中国人の代表だ」

 「しかし、あなたたちは追いかけたり、追いかけられたり、死刑の判決をやり合ったりしてきたではないか」

 と田中はたたみかけたが、

 「蒋介石は世界に誇る中国人の代表の一人だ」

 と周は再びきっぱり言う。

 「なぜか」

 「あなたも知っているように、あの第二次世界大戦を通じて、一国の統帥権を連合国に委任しなかったのは蒋介石だけだった」

 田中はさらにズケズケと言い、2人は短時間のうちに信頼関係を深めていく。

 「周首相の答えを聞いて、懐の深さにびっくりした。ただ者でない。傑物だ」

 と、田中はのちに述懐した。

 翌73年10月の訪ソ。クレムリンでブレジネフ書記長、コスイギン首相に田中はのっけから切り込んだ。

 「日本人はソ連に対して許せないという感情がある。それは昭和20年8月9日にソ連が日ソ中立条約を破って参戦したからじゃない。日本があっさり無条件降伏した時に、中国政府は大陸にいた数百万人の日本軍兵士や在留邦人を『母のもとに帰れ』と送り返した。ところがソ連は何十万という関東軍の兵士をシベリアに連れていったじゃないか」

 ブレジネフが即座に反論した。

 「中国は飯を食わせられないから、口減らしのために早く返したんだ」

 「何を言うか。多くのわが同胞に酷寒のシベリアで飯もろくろく食わせず、(同胞は)無念の思いで死んでいったんだ」

 田中の野人外交はこんな調子だった。金権政治家のレッテルを貼られながら、いまだ人気が衰えないのは、国を背負う指導者の気概を、世間が田中に感じ取っているからではないか。

 以上、リーダー論の導入部として。(敬称略)=毎週土曜日掲載

==============

 岩見隆夫ホームページ http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/

毎日新聞 2012年1月7日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20120107ddm002070069000c.html

  記事の紹介終わりです。

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竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場

1 竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。 

2  韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。 

※韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。
( 外務省 
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/ )

 

2.竹島の領有
1.1618年(注)、鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛は、同藩主を通じて幕府から鬱陵島(当時の「竹島」)への渡海免許を受けました。これ以降、両家は交替で毎年年1回鬱陵島に渡航し、あわびの採取、あしかの捕獲、竹などの樹木の伐採等に従事しました。(注)1625年との説もあります。

2.両家は、将軍家の葵の紋を打ち出した船印をたてて鬱陵島で漁猟に従事し、採取したあわびについては将軍家等に献上するのを常としており、いわば同島の独占的経営を幕府公認で行っていました。

3.この間、隠岐から鬱陵島への道筋にある竹島は、航行の目標として、途中の船がかりとして、また、あしかやあわびの漁獲の好地として自然に利用されるようになりました。

4.こうして、我が国は、遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。

5.なお、当時、幕府が鬱陵島や竹島を外国領であると認識していたのであれば、鎖国令を発して日本人の海外への渡航を禁止した1635年には、これらの島に対する渡海を禁じていたはずですが、そのような措置はなされませんでした。
 

 

 

 

2011 08 04  竹島を 取りもどす 【わが郷】

2011 08 01  自民議員の入国拒否 韓国、鬱陵島視察を懸念 【中國新聞】

2011 07 29  鬱陵島視察 現場に行かねば分からぬ 【産経】

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 米軍のマレン統合参謀本部議長が来日して、わが自衛隊の折木良一統合幕僚長らと会談した。米国と日韓の3カ国で共同間演習をしたそうに、ほのめかしたという。

 

2010 04 05  「竹島の不法占拠」を言えない、岡田外相の黒い腹 【わが郷】

 

 

 

 

 


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マスコミなどの記事

 

 

 

2012 01 06  竹島で漁をした隠岐の漁師の漁獲量記録の写し見つかる  【山陰新報】

 

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