キサラギ・ジュンの税務小説

『黄金武将』翻訳『天皇財産と課税』『SCOOPED』ニュージーランド活劇『大統領になれなかった男』『NORADテープ』

イミテーション・ゴールド キサラギジュン 裏金作り・ロッキード事件の真相

2017-07-06 21:50:11 | イミテーション・ゴールド
 
 
 
 
 《近所のスナックのママから借りている黄金のライター》・・・純金のライーターには、「三二五八八八」、「CREDIT SUISSEの花模様の絵柄」、「一〇 OZ」、「ORIGINAL FACY GOODS」、「九九九.九」、「FINE GOLD」が刻印されている。それもフィリピン旅行の最中、置き引きにあってワシの手元にはもうない。ママになんて言い訳をしようか、今迷っている。もちろんニセモノだろうな、きっと。
 
□ウラガネ作り
献金企業がウラガネ作りの道具として使う取引は株と土地である。殖産住宅事件のトウゴウ・タミヤスが「N通産大臣から”貴社が上場するそうだが、新株上場は儲かると聞いている、二五億ぐらい調達できないか”と依頼された」と供述しているから本当のことだ。
日本通運事件や共和製糖事件、近くはリクルート事件もその手口だ。
千代田区平河町の砂防会館、GM党本部の総裁室には大金庫がある。この中になにが入っているか知る事ができるのはたったの三人、経理局長(オザワ・タツソウ)、幹事長(ハシモト・トミサブロウー)、そして総裁(タナカ・カクエイ)だけだった。実際に金庫の鍵を持っているのはタナカの子飼いの秘書一人で、カネが必要になればいちいち、タナカ事務所から呼ばれてくる。
逸話がある。
一九九二年九月二五日カネマルは東京地検特捜部に容疑を認める上申書を提出。その結果、略式起訴され罰金二〇万円となった。
しかし、世論の反発は凄まじく、カネマル・シンは同年一〇月四日、議員辞職を余儀なくされた。それは経世会会長の辞任も意味していた。
経世会(タケシタ派)は会長の座を巡る熾烈な抗争が起こっていた。抗争となったのはOを担ぐOグループとオブチ・ケイゾウを担ぐオブチ・グループ。
同年一〇月二八日、経世会総会でオブチ・ケイゾウが新会長に決定する。それを不服としたOグループは同年同日「改革フォーラム二十一」を旗揚げ。経世会が分裂状態になった。
この分裂にオブチ・グループは紀尾井町の赤坂プリンスホテルを拠点とし、オザワグループは永田町のキャピタル東急を拠点とした為、本来の事務所があった砂防会館は空白地帯になった。
で、その分裂状態のときに、砂防会館の経世会事務所にあったグレイの巨大な金庫から忽然と現金が消えたというのだ。
その経世会が分裂状態にあったとき、十三億円の現金をオザワ邸に運びましたという証言を、側近中の側近であった元秘書がしている。これをニュースバリューとして考えたら、主要メディアが報じないのは不自然だが、どこも報じていない。
O支持者なら「その元秘書の狂言である」とか「そもそも週刊文春なんて週刊誌はクソだ」等と言い出すでしょう。(ごめんなさい、もしこれが文春から発売されたら取り消します。)ですが、それは検討違いで、マツダ・ケンヤ氏というジャーナリストはO氏追及の第一人者だし、過去には週刊文春ではなく週刊現代で告発をしていたジャーナリストであり、マツダ氏の発信した記事は国会でも取り上げられているし、東京地検さえもマツダ氏の過去記事を参考にしているであろう事が予想されているものです。そして何よりも、マツダ氏の追及とは全く異なる角度に存在している《ミスターG》という存在が、それと符合するような証言を今になって語り始めてしまっているワケです。
タカハシ・ヨシノブ証言について問われたG氏の弁は、以下のとおり。
「経世会の金庫の中には一〇億くらいが入っていたのが、いつの間にか二億くらいしか残っていなかったので、Oさんが八億ぐらい持ち出したんだろうと思っていました。しかし、運んだタカハシ元秘書本人が一三億だと言うんだからそうなんでしょう。これほど大きな額とは思いませんでした。でもこの話は検察審査会とか国税とかいう問題じゃなくて、要するに泥棒ですよ」
つまり、Gは経世会の金庫に二億円しか残っていなかったから、日頃から一〇億円ぐらい入っていた金庫なのだから、差し引き八億円ぐらいをO氏が持ち出していたのだと思っていたところ、証言によれば実は一三億の持ち出しであったらしいから、そうなのだろうの意。
再び週刊文春六月一〇日号に沿って、その騒動の経過を追っていきます。
『タカハシ元秘書がカネをO邸に運び出したという実行シーンの証言というのは、信憑性は低くはないでしょう。タカハシさんによれば、関与していたのは経世会の鍵を預かっていたヤヒロ・マモル事務局長(「O氏の金庫番」と呼ばれた人物で二〇〇六年に没しています。)と、最終的にカネをO邸に運び込んだ際、それを受け取る役目をしたO夫人までが関与していた事になる。
分裂状態が起こった事で、オブチグループは「Oが勝手に金庫からカネを運び出してしまうのではないか」と警戒していたという。ハシモト・リュウタロウが金庫の鍵を預かっていたヤヒロに対して、「鍵を渡せ」と迫ったが、ヤヒロは「これはカネマル会長から預かった鍵だから、カネマル会長に渡すのならいいが、それでなければ駄目だ」と突っぱねたという。』
このハシモト・リュウタロウとヤヒロとの「鍵を寄越せ/渡せない」という問答については、フナダ・モトが当事の事情を知っており、ハシリュウがヤヒロに「鍵を返せ」と言い寄ったが鍵を取り返せなかったという旨の証言している。つまり、この状況もウラは取れているワケです。
そうした緊張状態の中、Oグループは虎視眈々と現金輸送作戦を展開させていた。
ヤヒロが合図を送り、それまで運び出す役目の証言者(タカハシ元秘書)は待機するような算段だったという。そして或るタイミングでヤヒロから電話が入る。議員会館にいた証言者は砂防会館の通常は使用されていない裏の駐車スペースへと、用意していた車で向かったという。電話があってから、そこまで間は四~五分。
証言者が非常階段を昇りかけたとき、既にヤヒロがドアを開けて待っていたという。ヤヒロの足元には大きな紙袋が数多く並べられていたという。紙袋はビニール(セロファン?!)のカバーがついた大きめの紙袋を二重にしたもので、外部から見えないように新聞紙が上にかぶせられていたという。
証言は以下のように生々しい。「紙袋はかなりの重量で両手に下げると腕がしびれるようでした。トランクに入れた時に“本当にカネかな”と思って新聞紙をどかして中身を見ました。ビニールで梱包された万札の束がぎっしりで、”一袋、一億円だな”と思いました」。
十三個の紙袋をクルマに積んだ証言者は、霞が関から首都高に乗り、三軒茶屋で降りて道路脇に停車してからO夫人(K子氏)に電話を入れたという。O邸は警察官がいて警備をしているで事務所のある玄関の方は怪しまれると思われたことからO夫人に「勝手口を開けておいて欲しい」と言うと、「わかった、わかった」と返答したという。
O邸に着くと、既に勝手口は開いていて夫人が待っていたという。証言者が勝手口に紙袋を降ろすと、夫人が台所の方へと更に紙袋を運んだという。夫人は台所の上がり口となる場所に全ての紙袋を運び込んだという。更に、秘書や家事手伝いでさえ入る事がないO氏の書斎へと紙袋を運び終えると、証言者は夫人に断わりを入れた上で、議員会館へと戻り、何事もなかったように仕事を続けたのだという。』
そして証言の最後は、以下のとおり。
「岩手めんこいテレビの巨額な株疑惑問題やこの経世会のカネの問題などは、今回のO氏に絡む四億円の土地購入資金の原資解明に避けて通れない事実であると考え、検察に話しました。しかし、調書にはされませんでした」。
なぜかわかりますか?時効になったカネの資金元は訴追できないからです。それとも、政権党にからむ問題はオフリミットかも。
□サの出金伝票
「タナカからミキに移って新しい幹事長になった、N自民党総裁が部屋の大金庫をはじめて空けたら中には五万円しか入っていなかった。これじゃ吉野家の牛丼のカウンターの手提げ金庫みたいなものだ」。
実際は五万円どころか百億円を超える借金だった。タナカは政権後半、人気が落ち、集金能力がなくなった。そこで自民党債といえるニセ国庫証券を第一勧銀へ振り出し、資金を調達していた。新しい経理局長はコレは大変だと言うことでタナカ総裁時代の資金の使い道を調査した。サの出金伝票が数億円分出てきた。
「これは何だ?」と言うと前の担当者は最後にシブシブ言った。
「砂防会館のことだよ」
「砂防会館?ここだろう」
「イヤ、オヤジさんのとこの金庫のことです」
「党のカネ(オモテのカネ)を総裁室で渡すんじゃないのか?」
「オヤジさんのカネ(ウラのカネ)もここで渡していたんだよ」
「すると何か?党のカネ(オモテのカネ)もタナカさんからのカネ(ウラのカネ)だと言って使ってしまったってことか?」
「ま、そういこともあったな」。
そういうことで、タナカの金庫が空になったが、まだ、外国にはMファンド(若しあれば)があるため面目を失わず、金脈問題も五億円程度の小さな事件として片付けられる原因となった。もし、タナカの資産が内外とも逼迫すればロッキード事件はこんな事では済まなかったと思えるのである。だが、第一勧銀からの融資話は水面下で進行していった。
□列島改造に出費し今じゃスッカラカンのカ
タナカ首相は、列島改造路線に乗り、カネを湯水のように使った。日本経済もうなぎ上り、サトー未亡人の預金三六億ドルはそのままとし、残り三六億ドルを半分づつ、青年将校のN(タナカ首相時代の政調会長)と警察官僚上がりのG官房副長官のサインが必要な架空名義口座(日本国籍、日本旅券を有するが架空の日本人で、住所登録地は東京都千代田区一丁目一番地(皇居前広場)である。)二人の名になっているらしい。
タナカの子飼いだったのに結局、親分にはむかったタケシタ・ノボルの場合はもっと悲惨な運命にあっている。彼の秘書アオキ・イヘイが変な死に方をしたときだ。ウオールストリート紙によると、「彼の手首や首をカットして失敗すると今度は自分のネクタイをカーテンのつり金具に巻き付けて首吊り自殺していた」というものだ。西洋人にはなかなか理解できない自殺方法だ。あまり合理的な死に方とは思えないのだ。タケシタの金庫番だったアオキはタケシタがリクルート事件で首相退陣を表明した次の日に死んだ。タイミングとしては絶好だった。
アオキ「まさか、思わぬほころびからこんな話になるなんて夢にも思いませんでしたよ。株を買った時にはねえ……」 「思わぬほころび」とはこの朝日新聞のスクープ記事だった。だが、本当は違っていた。アオキはタナカ発行のニセ金融債五七年債の現時点の償還責任者だった。 タナカの子飼いだったタケシタが官房長官時代に五七年債の償還問題を背負い込んだことは理解できる。そのタケシタの第一秘書アオキは問題を全部背負っていたのである。
ブッシュ(父)は、テキサスの石油企業からこの五七年債の償還を依頼されていた。ヘイグ元国務長官を使って、GM党と交渉に当たらせた。ウルガイラウンドで米の補助金を減らすよう求められていた日本政府は補助金を減らしたが、別の名目で三兆円も農林対策費を増額する。その大部分は実際に農家へ支払われたと考えられるが、その一割はアメリカ、ブッシュの懐へ行ったのである。
□ロッキード事件の真相
「世界を支配している石油メジャーの力は絶大である。いささか冒険主義的だったタナカ君の資源外交戦略が淵源となり、“ロッキード事件”が起こったのではないかと考えることがある」、
「タナカ君が逮捕されてから間もなく、日本を訪れたキッシンジャー氏と二人きりで話していた折のことである。氏は、“ロッキード事件は、間違いだった。あれはやりすぎだったと思う”と、密かに私に言ったことがある。キッシンジャー氏は事件の本質、真相をおそらく知っていたに違いないのです」とある老練な政治家が言った。  というのは、ホワイトハウス在住記者ジュリー・ムーン(文明子)がヘンリー・キッシンジャー国務長官に「ロッキード事件はあなたが起こしたんじゃないんですか?」と問いただしたところ、キッシンジャーは「オフ・コース(もちろんだ)」と答えているからだ。「もちろんだ」という冗談は冗談ではなかった。
□GⅡの先輩・・フクダ・タロウ
ロッキード事件(一九七二年)ではフクダ・タロウという日系二世がコダマの手下となって働いた事がわかっている。F一〇四ジェット戦闘機の防衛庁への売り込み(全日空のトライスターではない。)がおもわしくないことを危惧したロ社の代表ジョン・ケネス・ハルは、フクダに日本の黒幕の紹介をたのみ、フクダはコダマをロ社のエージェントにたのんだ。フクダはGⅡのウイロビー少将の通訳としてGHQに出入りしていたことがある。
ロ社は用途の確定できない多額のカネをコダマと丸紅に送る必要が生じた。一二六〇万ドルの巨額のカネをニューヨークを拠点とする国際通貨の取引会社・デユーク社経由でスイス及びロサンゼルスから送った。デユーク社はCIA御用達のマネロン企業としてすでに有名だった。
デユーク社は、CIAの前身OSS(海外戦略局)のメンバーでハンガリーからの亡命者ニコラス・デユークによって戦前に設立されている。戦後、彼らは世界に五九の支店を持つまで拡大した。もちろん香港にも支店があった。普通の銀行業務ではない。銀行規制や書類事務を避けたいと思う人たちのカネを慎重に扱う業務だ。六八年から七六年にかけてロ社の数千万ドルの巨額のカネの大半がスイスからデューク社香港支店経由で「現金」(米ドルではない。万札だ。)で日本へ運び入れられたのだ。したがってその段ボールは羽田や伊丹を通関していない。おそらくは啓徳空港から横田基地の線だろう。CIAの専用飛行機オピューム・エアー号が使われたに違いない。当時はベトナム戦争の最盛期でズックの袋に入った米軍兵士が横田基地へ運び込まれていた時期だ。米軍兵士の体にはヘロインが六オンスもつまっていた。米兵の給与支払いに「やみの円」も飛び交っていた。タナカやコダマが受けとった現ナマを誰も見た者はいないが「円紙幣」が入った段ボールを英国大使館の脇で受け取ったり、スペイン牧師(某大学のサレジオ会のメンバー)がゴルフバックに用意して持ってきたことは検事調書の運転手やフクダ・タロウの証言で明らかになっている。(その後運手手もフクダもすぐ死んだが。)
一九八五年一〇月一八日、アメリカの大手貴金属商「デューク・ペレラ社」のニューヨーク本社に、ロイ・ラングと名乗る四四歳の浮浪者の女が訪れた。二一階にある会長室へツカツカと入って行き、まず受付の女性秘書を簡単に射殺したあと、ニコラス・デユーク会長を殺すという事件が発生した。ニコラス・デユークはその場で亡くなっている 。
□ウラガネを運んだ男
日本のロッキード事件はカネのルートを解明できなかったことから、タナカを外為法違反というきわめて形式的な犯罪で断罪して結審した。ところが二〇一二年一一月九日、突然歴史が覆されるような事が起った。日本へカネを密輸した人間が表れたのである。
ジャーナリストの徳本栄一郎氏は言う。
『それは少し蒸し暑い金曜日の午後だった。昨年一一月九日、ある所要で香港に滞在していたとき、私は香港外国特派員協会に足を運んだ。』
要旨は次のとおりだ。
『そこで元デューク社の社員と偶然出くわすのである。元社員の名はブルース・エイトキン(Bruce Emil Aitken六〇歳後半 )。彼は香港支店長ブリンクから「日本で差し迫った日本円の支払注文が積みあがっている。香港支店の連中は日本警察に目を付けられている。君はグアム支店長なので大丈夫だ」といわれて、円礼を日本へ運び役にされた。色々考えた挙句、「ゴルフバックに五千万円の札束を入れて日本へ持ち込むことを考え出した」という。冬はゴルフバックを日本へ持ち込むのは不自然なので「日本経由グアムに行く」といってごまかした。運び屋は他の運び屋とは素性がわからないようになっているが、日本の場合はスペイン人の神父(四谷のあるカトリック教会の神父)がエイトキンからゴルフバックを持っていったという。神父は東京地検につかまったので供述書は取られているはずだ。エイトキンによると、香港支店が日本へ現金を運びはじめたのは一九六九年ごろだったという。ロッキード社とコダマがコンサルタント契約を結んだのも六九年ごろだった。そしてP三Cを閣議(タナカ、アイザワ大蔵省次官、G副官房長官)で偵察後継機と決定した後、不審な経緯をたどっで、結局ホゴとなるが、そのころのデューク社の送金システム(紙幣の密輸)はフル回転していたのだ。』(「文藝春秋」二〇一三年一〇月号三三二ページ以下)
ロッキード社がコダマを秘密顧問とするのは五八年七月である。しかし、コダマは子飼いのコウノイチロウーを使って反グラマン・・キャンペーンを行っている。キシがグラマン機を購入すると決定していたからだ。コダマは制服組から、ロッキード社機(F-一〇四c)の優秀性、廉価なこと(一機当たり一億円の差)を聴いており、それが良いと思っていた。前からロッキード社に軍配を上げていたのだ。それを見て、ロッキード社がフクダ・タローを通じコダマに接触した。なお、ロッキードもグラマンもワイロ合戦をしていたと考えられるが、CIAはどうしていたのだろうか。
どの政府機関でも中立を守り通すということはできないもので、CIAも例外ではない。共和党拠り、民主党より、ロッキード寄り、グラマン寄りの幹部など入り乱れて陰謀がめぐらされたと思われる。アメリカ政府の思惑としては日本にアメリカの戦闘機を買ってもらうことが不可欠である。兵器産業の発展を考えるとそのころ、グラマン社が窮地に立っていたので、政府ははじめはグラマン社を押していた。しかし、途中からロッキード社がワイロ作戦で巻き返すと民間の競争に口をはさまないかのように中立の立場を取るようになる。タナカの失脚を狙ってCIAの秘密ファンドがロッキード社経由、タナカ、コダマ側に渡ったとする陰謀説もあるが、CIAの資金はウラ勘定も含めて会計経理されていて(ただ、その支出内容の説明は三〇年後)、一ドルたりとも嘘の支出はできない。ので、タナカ・ロッキード事件にMファンド、その他のCIA資金が工作費として使われたかもしれないという憶測は望み薄である 。
□マッカーサー詣出
マッカーサーは一九五一年ニューヨークへ帰った。マッカーサーの居所はウオルドーフ・アストリア、今のウオルドーフ・ホテルの居住棟である。そこに彼はマッカーサー司令部を作り、マッカーサー慈善基金の基地とした。そこでマッカーサーはあまり得意じゃない社交界にイヤイヤ、デビューしている。マッカーサーのNY基地に日本の老政治家(ヨシダやシゲミツ)も時々尋ねてきている。GHQ時代の日本の行く末を決めた「各制度」、「各政策」のメンテナンスに余念がないということだ。ある意味で表舞台の外交交渉よりも裏舞台の修理工作の方が影響が多きいもので、そのとき、もはやマッカーサーの戦後は終わっていたのであるが、マッカーサーが提唱し、日本のCIAを模倣した内閣調査室のカウンター・インテリジェンス活動はまだ始まったばかりだった。
元官房長官によると、「内閣機密費は年間一七億円程度で、GM党の総裁室の金庫とは規模が一桁違うと思う、総理には毎月二千万円を渡し、参院GM党へは五百万円、GM党国会対策委員長へも五百万円を渡していた、盆暮れには首相経験者、ただしGM党出身者へ百万円を送っていた。そのほか、北朝鮮対策とか、フィリピン人質事件とか、拉致問題とか、とにかくオモテに出せない支出はここもしくは外務省特別上納金から出ていたと思うよ、あそうそう君たち新聞社や評論家の連中にも数万だが良く配ったよ、背広代とか言ってね」
「財務省が複数の大手銀行の海外支店にそれぞれ秘密資金を蓄えていると言う話は?」と記者が話題を変えた。
某元官房長官「そんなのは聞いた事がないね、あのけちな財務省がそんなことをするはずが無いじゃないか、何かの間違いだろう?」ところでワシの思い出話だが、昔、民族型の石油会社(出光ではない。)にいってサウジ・クエートの国境の海域にあるカフジ油田の調査をしたことがある。ちょうどそのころ、イラン・イラク戦争が勃発していて、イラク寄りだったクエートが戦争資金をイラクに供与した。その方法はカフジ油田で獲れた石油を日本の商社に売り、代わり金を興銀(今みずほ)に預ける。実際はそのカネでアメリカから戦車、戦闘機を秘密裏に買って、イラクに届けるというものだが、ここからはあまり詳しく言えないが、その某石油会社の経理上、石油代金が行方不明になって「売上脱漏額」(何百億円だ!売上代金と仕入れ代金の相殺)ということになり、社長はあわてて通産局長を呼び出して某国税庁関係者にこう言ったらしい。「あなた、お分かりのとおり、今はホルムズ海峡の通行が我が国にとって一大事である。もし我が国が、クエート国がイラク側を支援して、日本の石油会社を経由して兵器を購入、イラクへ無償供与していることがバレた場合、わが日本のタンカー群は確実にイランから攻撃される。イランは必ず、ホルムズ海峡閉鎖に傾くだろう。そうなった場合は君らは責任をとれるのかね?」と脅かして来た。当然、国税庁官僚(A級ライセンスで通産官僚より上)は反論したのである。「キミ、戦争と課税は別だよ、だが当方の職員がそのような課税をしたことをマスコミにリークすることは慎むヨ」と。ワシがここで言いたかったことは以上のようなことではなく、大蔵省の秘密預金のことである。銀行調査に出かけたワシは唖然とした。興銀本店のユーロダラー預金(三千億円はあった。)の中に××名義の大蔵省預金があったのだ。銀行の担当者は「あなたたちの先輩の預金ですからよしなに」と確か言ったのだ。だとすれば、「財務省がケチで自前の秘密預金なんか持っていない」という先程の某元官房長官発言は財務省の官僚に騙されていたとしか思えない。
 《NYウオルドーフ・アストリアのマッカーサー司令部にて、ヨシダ元首相とマッカーサー》ウイキペディア・・・「アレは大丈夫だろうなジュン・キサラギの税務小説Flag Counter
ジャンル:
小説
Comment   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« イミテーション・ゴールド ... | TOP | イミテーション・ゴールド ... »
最近の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | イミテーション・ゴールド