キサラギ・ジュンの税務小説 『日本人のパナマ文書リスト公開ー住所別』『NORADテープー撃墜した戦闘機』

『イミテーション・ゴールド』『微風のマニラから』『天皇財産と課税』『ナピサン』『大統領になれなかった男』

金のユリ   キサラギジュン2016/10

2016-10-12 13:23:59 | 金のユリ

金のユリ ゴールデン・ブッタ

プロローグ 最初のマネーロンダリング   

■最初のマネーロンダリング
■オニガワラ解釈
■M資金のルーツ
■マッカーサー資金
■ショーワ・トラスト

A章 書評
■書評
■マル福金貨
■マニラの屠殺人
■沈没船引き揚げ計画
■京風ラーメン
■黄金の仏像
■ロハスハウスの急襲
■逮捕と拷問

B章 著者自身からのEメール
■著者自身からのEメール
■情報のタイムラグ
■トレジャー・ハンテング
■オープンシティの責任
■サンティとランズデール
■究極のトルーマン・ファンド
■卍(swastika)
■気の早い会議
■マッカーサーの秘密の里帰り
■ホテルカンズメ
■BCCI
■アレン・ダレスCIA長官
■登場人物紹介
■三人委員会
■マクロイの経済家としての資質
■どんなふうに大洋を航海していくべきか
■『金のユリ ゴールデンブッタ』のいわれ
■著者の断り書き
■著作活動の危険性について
■レビュー紹介
■日本は貧乏過ぎて、乞食に払うカネもない
■アメリカによる日本略奪財産の没収過程


C章 右翼の襲撃
■右翼の襲撃
■かめます
■身代わり
■会見記録
■ハンザワナオキもどきのマニラ出向
■海舟
■金メッキの金塊
■マル福金貨
■日銀強盗
■センベイとケータイ
■アメリカ財務省は火の車
■ゴ・ディン・ジェムって知ってる?
■チャルマーズ・ジョンソン
■愚者の黄金
■天皇の海外財産
■アメリカの在庫はみんな金メッキ

D章 まだあるM資金詐欺
■まだあるM資金詐欺
■天国に一番近い島はどこか?
■DNA銀行
■M資金詐欺から派生した手口の研究
■陰謀説あるいは逆説のいわれ
■スイス口座
■ウラガネ作り
■サの出金伝票
■列島改造に出費し今じゃスッカラカンのカ
■ロッキード事件の真相
■GⅡの先輩、フクダ・タロウ
■ウラガネを運んだ男
■マッカーサー詣出
■財閥解体を免れた准財閥銀行
■ホテルカンズメ

E章 米従軍記者が見た昭和天皇 
■『米従軍記者が見た昭和天皇』
■皇室財産
■財産税
■財産税の黒幕、クレーマー大佐
■新税三法案について
■天皇財産についてSCAPの考え方
■財閥家の財産
■財閥復活
■アンドー
■スイス送金
■皇室の隠し財産か
■国外財産調書法
■最悪の評価
■『天皇のロザリオ』
■究極のキャピタルフライト
■旧軍財産
■戦争利得の除去及財政の再建
■ブラックカーテン
■陰の支配者、華僑
■ケーディス、天皇財閥解体指令
■海外財産は没収
■戦時賠償

エピローグ 
■歴史学者トインビィーの追憶
■ミヤタ参謀
■ワシの反省事項

  1. プロローグ
  2. ■最初のマネーロンダリング
  3.  ある著作家(実名を出すと非常に困る)によると、『太平洋戦争の末期、アジアの各地から南方軍のゴールデン・リリィ部隊が収奪した財宝(金の延べ棒、金銀貨、仏像、宝石、絵画、陶器、軍需品)は仕分けされて木箱に入れられ、マニラに向け船積みされた。』という。なぜ、日本ではなく、マニラだったかというと戦争中期(一九四三年)から、アメリカの制海権が充実し、日本へのルートがふさがれ、南シナ海、台湾沖を海上輸送することが困難になったからだ。ゴールデン・リリィ部隊とは、皇子チチブ宮やタケダ宮から統率された部隊であって、サイゴンに駐留した南方軍(テラウチ・ヒサイチ元帥)がアジア各地からかき集めた財宝をちゃんと日本へ送っているか監視するため、南方に送られたものだ。したがって、ゴールデン・リリィ部隊が直接、財宝を侵略・略奪をしたということではない。しかし、実働部隊や憲兵たちはたとえば現地人や中国華僑の葬式の場にのりこみ、死体から金歯を抜き取るということもしたみたいで、ナチスのホロコーストのようなことも起きたようだ。そのころのアジアの金塊・金貨等は純度がばらばらで混ぜ物が多かった。そのまま、国際市場に売却することはできないので、マレーのイポに送られ、精錬鋳直しがおこなわれ、重さ十五キロの純度の高いゴールド・バーに変えられた。そして、そのバーの出所を示すイヤーマーク(刻印)は「金のユリ」すなわち天皇の百合印がほどこされた。
  4. それらの金塊(バー)は横浜正金銀行香港支庫や台湾支庫へ送られ、その後、マカオの金属商に「現物」として売却された。あるいはマカオのポルトガル銀行を通じて、「金債権」としてイタリア・バチカン市銀行に送られた。実際の金塊の「現送」の場合は、ペナンやシンガポールから潜水艦で、インド、マダガスカル、アフリカ喜望峰回りでポルトガル、リスボン~フランス(ビシー政権下)~スイスまで運ばれたものもある。永世中立国スイスには戦時下の紛争国の国際決済を請け負う国際決済銀行(BIS)があり、日本も理事国として参加していた。日銀はBISの金交換取引において「横浜正金銀行」の口座を通じてある程度自由に金売却ができていた。しかし、連合国との戦争が激化するとアメリカは金売却(USドル調達)にストップをかけ、他の主要通貨に交換することも制限を始めた。困った日銀は、ナチスの金塊(ブラックイーグル・ゴールド)がスイスへ集まるルートを利用して、ナチスの金塊に紛れ込ませて、スイスへ「現送」したのである。スイスの銀行はそれを知らないふりをして受け入れた。横浜正金銀行の最大個人株主は天皇陛下であり、彼は全体の二十二%を保有していた。結果、スイス預金の残高の二十二%は天皇家のものと云えないこともない。
  5. * 戦争終了時、裕仁陛下は金と外国通貨、外国公債で一億ドル(現在なら一兆ドル)を越える財産をスイス、南米、ポルトガル、スペイン、バチカンなどに隠していた。戦争終了直前、横浜正金銀行(正金)は台帳の収支が正確には一致していない事と、占領地域の銀行に莫大な負債を負っていることに気づいた。借り越し高は、無価値な軍票で支払えば消すことができた。そして終戦を迎え、スイスにある正金の残高は凍結された。つまり、没収ではないが使えなくなったのである。正金の業務は清算され、海外各地にある貸借差額残高は日銀の保有勘定に移された。そしてその後、急きょ作られた東京銀行の勘定に移されていった。
  6. ということは天皇家の財産として使えなくなったのか?という疑問が起ころう。決してそうではない。日本占領軍のマッカーサー元帥にしても、スイス駐在のアレン・ダレスOSS(米戦略情報局)ヨーロッパ総局長にしても、天皇家の財産には手を出さなかったからだ。もちろん米国務省のコントロールを受けていたとは思われるが、このことに関してはアメリカ政府は全くのオフリミットだったのである。
  7.  ヨーロッパ戦線のナチスドイツは例によって、ユダヤ人から奪った金歯や金塊を溶かし、鋳直し、ドイツ帝国の規格を守った「カギ十字」と「黒鷲」(ライヒ・バンクの象徴)のマークを付けたバーにした。この金塊の正当な所有者はナチスだというのだ。しかし、ドイツの場合は、英国・米国にいるユダヤ人の組織が騒ぎ出し、六〇年の歳月をかけて、スイスから「ブラックイーグル」を回収している。その中には、アメリカが密かに私蔵した金塊も含まれていたのではないかと思う。ならば、日本のスイス分はどうなったのか、アジアの各国は、戦後独立したり、革命がおきたり、米国に支配されたりして、略奪財産を返せと言える状態ではなかった。アメリカ自身も日本略奪財産については、アジアの各国へ返すことに熱心ではなかったし、かえって「日本は貧乏である」として、各国の返還の個別交渉をけん制したほどだ。
  8.  戦後のある時期、スイスの銀行にあった日本の銀行の預金残高の凍結が解除された。スイスの銀行にある預金残高とは必ずしも、スイス国内にある金塊の量を表して
  9. いるわけではなく、たとえば、ニューヨークのシティバンクの口座に残された日本国の「預金債権」(外貨交換権)ということもある。実際に、戦後開設されたIMFや世界銀行の出資金にそれは充当されたというが、その額がいくらで、出資者は誰となるのか皆目わかっていない。日本国の預金債権と云うのなら横浜正金銀行の凍結資金が国庫に帰属したという証拠を見せてもらいたいものである。そして、国庫に帰属するとはいかなる法的過程を通じて国の財産になったのかも。
  10.  ワシは横浜正金銀行の、そして、それを継承した日銀の、それをまた、継承した東京銀行の、そして、合併を通じて現在の四菱東京UJFの残高として今も残り続けている、と思うのである。
  11.  世界の金取引の中心としてマカオはとても繁盛していた。一九四四年、ナチスと日本の略奪した金が、中立国を通してロンダリングされるのを止めるため、ブレトン・ウッズ会議に連合国が集まった時、なぜかポルトガルは、その一覧表にマカオを載せることを忘れてしまった。しかも誰も、その見落としに気づかなかった。
  12.  歴史家であるベルティル・リントナーは記している。
  13. 『マカオ商人は海外の銀行で一オンス三五ドルで金を買って、すぐに領地(マカオ)へ持ち帰り、誰であろうが買いたがる人間に売ったのさ。華僑のホーイン(HoYin、何口)に率いられた組織は、戦争を逃れるため広東からとんずらしたんだ』と。
  14. 『マカオは金持ちの華僑にとっては戦時中の避難所であり、貴金属交易のおかげで随分潤ったようだ。当時、日本の略奪品だけが一部の金の源だったのだ。シナ海では日本の銀行だけが業務の取り扱いをしていた。マカオの質屋、仲介人、個人は、日本人のために貨幣を金と替えてやることで一財産を築いた。戦争が終わり植民地当局が戻ってくるとマカオの億万長者達は植民地通貨を使用することができるのでほとんどの国土や工場を破格の価格で購入することになった。
  15. 裕仁の個人資産のいくらかはマカオでロンダリングされ、残りは東京のスイス銀行を通した。戦後アメリカ占領当局が監督しているころに裕仁個人の資産記録を閲覧する機会があったジャーナリスト、ポール・マ二ングは裕仁の財産が、敗戦が避けられないことを覚悟した一九四三年末に中立国の避難場所へ移し始められたことを知った。内大臣木戸は天皇の財務顧問でもある日本の指導的な銀行家との打ち合わせをした。彼らのすすめにより、所持金は東京からスイスへ送金され、事実上東京における裕仁の現金残高は空っぽになった。日本が購入代金を支払ったナチスの金塊(日本の金塊でスイスの金塊を買うのである)は、横浜正金銀行のスイス支店口座に移されていたが、それもまたスイスにある裕仁の個人口座へ振り替えた。同時に木戸は皇室に備蓄してあった金で現地通貨を買うために、潜水艦でアルゼンチンやマカオに運び、銀行振替でスイスへ送られた。』と。
  16. 「日本の潜水艦でアルゼンチンまで行けるのかね」
  17. 「無理ですね」と足立。
  18. 「スイスへはどうやって送る?」
  19. 「私の調べたところでは、金塊を物理的にスイスへ送るということは無理だと思います」
  20. 「じゃ~どうやって?」
  21. 「金を香港(ジャーデン商会)かマカオ(ホー家、華僑)のどこかに隠し、金証券(金の預かり証)の形にしてバチカン(ローマ)に送り、スイスの銀行(UBS等)のバチカン口座に預金すれば可能なんですね」
  22. 「マカオはポルトガルの植民地で、カトリックつながりで、マカオ=バチカンルートがありましたからね」
  23. 歴史家のジェームズ・マッケイは、裕仁陛下の財産を個別に言うと、スイス口座に二〇〇〇万ドル、南米銀行に三五〇〇万ドル、ポルトガル、スペイン、バチカンに合計で四五〇〇万ドル所有していたと結論をくだした。合計すると一億ドル、当時金価格、一オンス三五ドルが現在では六〇〇ドルとすると、現在価値で一七億ドル、すなわち、二兆円ぐらいか。
  24.  ある著作家夫妻によれば、この組織的な略奪と隠蔽工作は「金のユリ」作戦とよばれ、天皇の弟君のプリンスが自ら指導して、お宝をマニラに集め、選別して日本へ送っていたものだった。その価値は数十億ドルあったという。そして、一九四三年以降、台湾海峡、バシィー海峡がアメリカの潜水艦によって封鎖されると重い荷物は日本へ送れ なくなったので、フィリピンの山や海、川に二百以上の穴を掘りそこへ埋めたというのだ。その金額は“一千億ドル”にも達しった。純金の一トン以上もある仏像も一〇体以上も含まれている。戦後、アメリカはヤマシタ将軍付きの運転士官を拷問し、早速、掘り出して大部分を回収した。それでも残されたお宝をマルコスが掘り出し、自分の応接間に飾ってあったが、一九九七年になって、スイス・クローテン空港の地下貯蔵所で発見された。あるいは同じ年、テレビ朝日の撮影クルーがフィリピンのどこかで、インドネシアのスマトラ、カンボジア、ミヤンマー(ビルマ)から盗ってきた一億五千万ドルの価値がある千八百本の金の延べ棒を撮影している。そのコア(試料)を東京へ持ち帰って分析した結果、そのルーツがわかったというのだ。
  25. 「一千億ドル?」
  26. 「その当時の金は、一グラム=一ドルだったから、わかりやすいだろう、一〇万トンだ」
  27. 「一〇万トン!」
  28. 「そう、一〇万トン、世界の保有量はだいたい一六万トンぐらいと云われているから、この数字は大きすぎるな、だからその十分の一としても一万トンだ。アメリカの公式の保有量八千トンを上回る」
  29. 「どれくらいの金額なんですか?日本円で?」
  30. 「一グラム=四千円として、四〇兆円、日本の租税収入の一年分ってところだな」
  31. 「そのスイスのクローテン空港ってやつ、どうやって調べたんでしょうね?」
  32. 「マルコスは、一九八六年二月、ハワイへ亡命している。その後、フィリピン政府から訴訟を起こされ、マルコスのスイス財産が調査され、スイスの地方裁判所が発見したんだ」
  33. 「その仏像は今どこにあるんですか?」
  34. 「ちゃんとフィリピンに返されたようだ」
  35. 「それをミヤンマーやカンボジアに返したんでしょうかね?」
  36. 「いや、返していないと思う。日本軍がやったことで、責任は日本にあるっていってな」。
  37. ある著作家夫妻が書いている。『日本に到着していた盗品の宝物は、ほとんどが個人の地下金庫や、皇族の金庫に入っていったため、東南アジアの経済復興と独立をしようとする日本戦略はうまくゆかなかった。又、アジア地域の原材料、産業、農業、密輸、強請りなどを支配していた華僑達もその計画を妨害した。彼等は南京虐殺を行った日本を嫌っていたが、それよりも中国沿岸の出身地であるアモイ、スワトウ(履門)や、近辺の港を日本が爆撃したことを特に恨んでいた。過去にヨーロッパの企業は、東南アジアで華僑と協調して働いた時にしか成功していない。日本軍がやってきて、石油、砂糖、塩、その他の日用品に専売制を導入したため、地域経済は崩壊してしまった。価格は高騰し、物資の供給は止まり、膨大な失業者であふれ、インフレと買占めが横行した。日本軍はその報復として華僑に的をしぼることにした。彼らを標的とする暗殺部隊がおくりこまれた。』というのだが、本当だろうか?
  38.  足立が天皇の財産について知っていることといえば、一九四六年一一月一二日、GHQの民政局(GS)部長、ケーディスが内閣府に出した指示(「戦時利得の除去及び国家財政の再編成に関する覚書」SCAPIN三三七 )によりヨシダ内閣は「財産税法」を公布して天皇家からも財産を供出していただいたということくらいだ。
  39. 税法の内容は、一九四六年の時点で(国内に)所有していた 動産・不動産の合計が一〇万円以上の個人の財産に課税され、同一家族で該当者が複数ある場合は合算されて課税された。天皇家も個人に含まれるので課税財産を三七億円 とし、その九〇%、三三億三千万円が国庫へ納付された。だが、スイスや南米にあるとある作家夫妻や外野の歴史家がいう国外財産は対象とされておらず、把握できないので、勿論対象とならなかったのではないかと思われる。
  40. もし外国に日本の財産があったとしても、戦争の結果、勝った側が負けた側の「国家財産」を差し押さえ、押収するのは当然の法理である。また、没収等に権威づけするため法的手続きがいるだろうという理屈っぽい人たちに対しては、戦勝国との講和条約(サンフランシスコ条約)で、日本は「国家保有」の海外財産の放棄を明言している。中国、満州財産(国・私有に関わらず、現物)は中華民国と中華人民共和国が没収し、朝鮮半島もそれぞれの政権が没収した。だから天皇保有の海外財産なんてなかったのじゃないか、天皇財産=国家保有財産だろう?ってことには必ずしもそうはならないのである。いや、その反対に外国の銀行に預託された天皇家の財産は、現地の住民の名義を使った固有の資産として登録されたから「凍結」さえされていなかった。しかるに、
  41. 足立のつたない、数少ない調査の結果であるが、GHQが天皇家の「海外財産」を知っていないはずはないのだが、どこにも調査したという記録がない。(天皇・皇族の「国内財産」は宮内省経由大蔵省から報告させている。)もし、海外財産がスイスや南米にあるとすれば、CICやOSSを使って調査し、お宝を没収しているのではないかと思うのだが、どうもその辺が空白となっている。謎なのだ。にもかかわらず、アメリカの新聞記者たちは「これくらいはある」と情報発信する。しからば、調べてみようじゃないか、今はインターネットという強力なツールがある。
  42. ■オニガワラ解釈
  43.  足立は直ぐ、オニガワラ(Y新聞社会部編集デスク)にレポートをあげた。オニガワラはこの新聞社では珍しく、右寄りじゃなくて、社主のゆうことも聴かなかった。戦後のCIAの暗躍について松本清張の『深層海流』を超えるレポート《連載記事》を書けというのだ。もともとこの新聞社の創始者、消臭力に似た名の人物はCIAとつるんで日本へ原子力発電所をいれた。CIAの方も、彼を暗号「ポダム」で読んだ 。今の社主だって、テレビでN元首相と日曜対談を繰り返すほどの右寄りである。そんな社風の中で、『深層海流』をバージョンアップしろなんて無理な相談だが、ともかく、宮使えの手前レポートを提出したのだ。案の上、山ほど課題が降ってきた。
  44.  オニガワラはこう解説した。「足立君、もう少し具体的に調べるべきだな、これじゃ記事にならんぞ、社主も反対する」と。
  45. 「この手紙の主はきっと戦後の暗黒史を独自の立場から小説にしたいエライ小説家かだれかだろう。彼は名前を出したがっておる。登場人物や組織の名をな。なぜなら“名をあえてふせる”と言っているからだ」。
  46. そこでオニガワラの解釈が入った。この場合「管理機関」とはGHQのGⅡ(参謀本部第二部)とESS(経済科学局)のことだろう。
  47. 「東京の情報機関」の設置場所は、岩崎邸のあった本郷だろう。本郷ハウスだ。「アメリカの中心都市」といったらワシントンに決まっとる。
  48. その下部の「事務機関」とはキャノン機関じゃよ。
  49. 「日本の某大銀行?」日銀だろうな、だってわざわざ、“日本で云えば最大の”と接頭辞をつけるくらいだからな。
  50. 「別名義」は特定できんが、宮内省かもしれんな。
  51. 「有力市中銀行」はワシの知るところでは、サンワ(大阪)、トーカイ(名古屋)、カンギン(東京)、T県(千葉)の地場銀行(千葉銀?「レインボー事件」)、埼玉の有力銀行(埼玉銀行?一九四三年渋沢系)、神奈川の地方銀行トップ(横浜銀行?一九四三年、神奈川県各地の銀行を合併)だと思うよ。
  52. さらにオニガワラは続けた。「アメリカの石油会社」はエッソやモービルだろう。「アメリカの生命保険?」AIUだろうな。
  53. 「秘密工作機関」はCIC(OSS)だな。
  54. 「国際投資機関」とは戦後すぐできた開発復興銀行や日本輸入銀行(後日本輸出入銀行)、興銀、信用銀行(横浜正金=東京銀行、台湾銀行=日貿信、朝鮮銀行=ホシノ・キヨジ=コダマ・ヨシオ=日本不動産銀行=日債銀=あおぞら銀行、日本長期信用銀行=新生銀行)だ。
  55. 「東南アジア工作費」はインドネシアに集中しておった 。ササガワさん・コダマさんがおったからな。
  56. 「コンゴ」については当時、ソ連が接近しておったから対ソ戦略として行われたのかな、ワシもそこはよくわからん。ルムンバ大統領を記念してルムンバ大学というのがモスクワにあった。ワシは一時、そこの奨励金でモスクワに行ったことがある。日系ロシア人議員(イリーナ・ハカマダ、袴田里見は伯父)やイリイチ・サンチェス(あの国際的革命家のジャッカル)もいたみたいだがワシは知らん」
  57. 「イシイ・コ―キさんはいましたか?」
  58. 「イシイ?あ~あの石井五億円男か」
  59. 「イエ違います。あの右翼に殺された石井紘基議員ですよ(モスクワ大学留学六五年~七一年)」
  60. 「そんなの知らん」
  61. 「二〇〇二年伊藤白水(ユン・べクス)から刺殺されるじゃないですか」
  62. 「ワシは知らん!」
  63. 「デスク、相談に乗ってましたね?」
  64. 「イヤ、ワシは絶対知らんぞ」。
  65. ―(故)石井紘基民主党議員は、ロシアでのオウムの実態に迫り、取材に対し、『オウムは、統一教会をラジカルにしたものである。オウムが行く前に統一教会がロシアに進出していたが、そういう連中がいつの間にかオウム信者とすり変ってしまった。』、
  66. 『日本の政治家も深く関わっている。』と語っており、在日右翼のユン・ベクスに刺殺された 。
  67. 「心理工作機関」とは本人も力説している京都の新興宗教や本郷の聖公会や水交会のフリーメーソン工作なんだろうな。新興宗教の名は知っているがボクも怖いから名前は出せん」といいつつもオニガワラはしゃべりたい様子だ。
  68. 「そうするとデスク、あなたのお話をうかがっているとフィリピンからササガワさんたちが持ちかえったダイヤ、貴金属は不思議な老人が口を利いて、宗教団体のものだからという口実のもとに、無事に元へ戻ったということなんですか?」
  69. 「そうじゃよ、ダイヤ十一万カラットは、梅山(多分、桜田)元憲兵中佐がらT銀行(多分、千葉銀)佐々頭取(多分、佐々木)に持ち込まれた。これが佐々資金で、佐々頭取が換金のため、京都の精華教(多分、聖化教)に移された。これがGHQの摘発に会い、危うく没収されそうになったが不思議の老人がなんとかした」
  70. 「その不思議の老人とは誰のことですか?」
  71. 「「わからんそこまでは、それは誰なのか、ボクも知らんが・・・・多分、有名な物書きだろうな、唇の分厚い・・。」
  72. 「じゃ~日銀ダイヤは全部、フィリピンから送られたものだってことですか?」
  73. 「その老人もそうとはいっとらん。関東軍や朝鮮軍や台湾軍の白金事件(それぞれ約一トン)あるいは大阪のコバルト事件、米子飛行場の白金事件(六五〇キロ)などもあったからな」
  74. 「ま、ダイヤモンドの大部分は中国からとみていいがな」ーコダマは大森実のインタビューには「私がシンガポールからもってきたやつ」と答えているがこれは出先をカモフラージュしているんだろう。コダマは麻薬であがったカネを戦略物資やプラチナ・ゴールドに変えた。それらを戦争が終結して日本へ持ちかえる必要が生じたが、あまりにも膨大で日本へ運ぶことができなかった。ために、香港・マカオでカマス一つ分(十一.五キロ)のダイヤモンド に変えて、朝日新聞のセスナ機に載せて(軍用機は飛行が禁止されていた。)米子飛行場経由、東京へ持ち込んだ。始め、ダイヤのうち、大粒のものは宮内省へ持ち込むが、それがアメリカ軍の検閲の対象となることを懸念し、翌日、渋谷松濤の自宅へ持ち帰っている。残りの雑ダイヤ(といっても数百億円分はあった。)は日本橋の緑産業へ持ち帰った。戦後ずいぶん経って、四大証券不祥事が起きた頃(いつだっけ?)ダイヤの一つ二つが、コダマから野村証券の幹部やソゴーデパートの社長に送られていたことが国税局の査察でわかっているから本当のことである 。コダマは潤沢なダイヤ資金を持っていた証拠だ。
  75. ■M資金のルーツ
  76.  それは戦後のどさくさで、日銀倉庫からGHQの幹部がくすねたダイヤのことではない。米国へ持ち出されたダイヤモンドなどは大したことがない。日本は莫大な金塊をアジア各地から持ち帰っていたのだ。それをマッカーサーが第八軍を使って全国から発見回収した。全国と云っても、それはやはり、東京・大阪が主であって、東京は月島沖の海の底に金塊、プラチナ、銀塊が沈められていてGⅡもしくはCIC(GHQ民間情報局)が引き揚げたもの、あるいは、終戦の詔勅が読まれている最中に宮内省の別の地下金庫から、大量の金塊を運びだし、府中競馬場の南に展開する多摩丘陵にある兵器廠の防空壕に埋められた話など。(これは、作家浅田次郎氏の『日輪の遺産』に詳しい。)マッカーサーがその現場を訪れ、この金塊の搬出を禁じた。本国に輸送すれば、戦中開かれたブレトンウッズ会議の米貨平衡方針(一オンス=三十五ドルで固定、これがワシが一グラム=一ドルとする根拠)を根本から覆すので、本国から埋めたままにするよう打電された」というのがマッカーサーの言い分だが、とにかく、そのまま退蔵したんだそうだ。
  77. 「エ、じゃ~今でもその兵器廠(稲田堤あたり)にあるんで?」と足立が素っ頓狂な声をあげた。
  78. 「馬鹿モン、小説の話だよ」。
  79.  その没収金塊(日銀倉庫に集められた)を正式にサンフランシスコ経由、フォートノックスへ送ったという記録はもちろんない。戦時利得を正直に公表する国なんてどこにもないから、そのことに関する記録はほとんどない。ただし、インドネシア、スマトラ、シンガポール、マレーでオランダ人居留者、英国人、オーストラリア人から奪った財宝、宝石についていえば、ひも付きでその人たちに返したものもあることがSCAP文書にある。
  80. マッカーサーは米国大統領選に出る野心が一九三〇年ごろからあったそうだ。アメリカでも大統領になるためには先代の大統領の推薦が大事だから有形無形の寄付をするならわしがある。だが、マッカーサーがルースベルトに代わったトルーマンに献金したという話は聞かない。トルーマンはシカゴの洋服やの息子で、カネには用心深い性格だった。もしマッカーサーから献金があったことがばれれば、大統領職を失う危険性を重々わかっていたはずだ。マッカーサーもその軍資金を「金のユリ」から私蔵したというのであれば、ただでも中の悪い国務省(スチムソン)の攻撃を受け、たちまち、連合国司令官を首になるだろう。そういうことで、没収された日本国の金塊、ダイヤは正式に、かつ「非公式」にアメリカに送られただろうとワシは推理している。トルーマンはそれをアメリカ議会の承認を受けた公会計上の存在にはしなかったからである。トルーマンやスチムソン(陸軍長官・国務長官)はその膨大な「金のユリ」をそのころ激化していく冷戦の対共産工作資金として使うことを決意していた。この著書にも詳しく紹介されているが、アメリカのこの資金のコントロールは、政府高官三人(三人委員会)の手にまかされ、具体的にはアジア各地に展開するCIAの工作資金として使用されたのである。多分、対日共産分子、対国鉄組合、エセ共産分子、軍幹部くずれ、宗教団体、右翼、左翼、中道派、国家主義者、右や左の政治家、フルブライト留学生、原子力発電所、左翼学者、ガリオア・エロア資金、ドッジプランなどに使われたと考えられる。日本以外では対ソ連軍拡競争、対中国(朝鮮戦争)、親台湾工作、対日米安保工作、対ベトナム工作、対インドネシア工作そして対フィリピン(マルコス)工作にあてられ、残高はほとんどなくなっているはずだ。
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