キサラギ・ジュンの税務小説 『日本人のパナマ文書リスト公開ー住所別』『NORADテープー撃墜した戦闘機』

『イミテーション・ゴールド』『微風のマニラから』『天皇財産と課税』『ナピサン』『大統領になれなかった男』

対フィリピン戦争  微風のマニラから(12) キサラギ最終版

2016-10-12 12:31:05 | 微風のマニラから

挿絵 160*120

□ 対フィリピン戦争

林老人は朝鮮人だった。「林」とは四葉香港でキサラギやツチヤと話していた80歳前後の白髪の男だ。本当の名は「朴」。
朴は戦前、朝鮮併合時代の京城から陸軍士官学校56期を卒業したあと、第六航空軍に編入、フィリピン戦マニラに配備された。当時、山下軍団(第14方面軍)はフィリピン・バターン半島で反撃を開始していた米比軍ゲリラ部隊の掃討に参加。被弾してマニラ湾に不時着、マニラ湾沖の要衝コレヒドール島(Corregidor)で陸戦部隊に編入された。
運悪く(運がよかったともいえる)マッカ-サーの落下傘部隊にコレヒドールは制圧されて朴は数少ない生存者の一人として捕虜となった。

朴はマニラの米国野戦病院で終戦を迎える。ひどいマラリアにかかっていた。フィリピン人ナース達の献身的看護のおかげで一命をとりとめた。C級軍法会議の刑期を2年で終え日本へ帰還する。通常であれば、朝鮮出身者は朝鮮に還されたが、朴は林と改名して陸士合格しており日本国籍を言い張った。日本に挺身隊の婚約者を残していることも朴を日本へ帰還させる誘引になった。
結局、横浜港へ返された。桜木町から東京下町の焼け野原に帰ってきた。朴は荒川区三ノ輪の婚約者の実家に身を寄せる。婚約者の実家は地域の紙回収業者をしており、それを継いだ。
その後、紙のほか、銅、鉄、ブリキ、真鋳などの回収業から鉄カンを製造するようになる。
回収された金属類は製鉄会社へ納入する。クズ鉄は製鉄の香辛料。不二製鉄に納入した。
不二製鉄の資材調達部長は同じフィリピン・バターンで従軍した当時の上官Aであった。
A の引きで朴の事業は拡大していく。
そのころ、スチール製の缶詰が主流であったが、徐々にアルミ製の缶詰が出回りだした。輸入缶は重量が軽い方が得だ。朴は経営者としても技術屋としても優秀であり斬新な技術を開発する。
どこが斬新かというと発想の転換である。それまで瓶でないと酒類は流通していなかった。重い20本入りのビール・ケースはいかにも流通コストを圧迫するのである。今では紙パックもあるが、ビールは紙となじまない。朴はアルミ缶のビール、つまりカンビールを着想する。しかし、缶は本体と底の部分は丸く折り曲げて接合部分を溶接し、上蓋部分は別に生産して2つをかしめる方法で製造していた。
恐ろしく手数のかかる製罐方法だった。カンビールの缶のコストは売価の60%を占める。
ようするにビール飲料のコストよりも缶の製造コストの方が高かったのだ。それを朴は平版のアルミ板から缶の側面と底面がつながった立方体の缶を製造するのに成功する。
たこ焼きのように吸い上げ、いきなり立方体にする技術を開発したのだ。
缶側面のキリンやアサヒのプリントも平版のアルミにあらかじめ印刷してある。
アルミ板が立法体になったとき初めてそのプリントの意味がわかる(読めるようになる)革新的な製法だ。

「それで、いったいどこからビールを入れるのサ?」とニガワラが聴いた。ニガワラとは埼玉の大工だ。
「上蓋にプルトップが着いているじゃないか。プルトップを装着前に穴があいてるだろう。そこから注ぎ込むのさ」とツチヤが得意げに種明かしする。
 
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