キサラギ・ジュンの税務小説

『黄金武将』翻訳『天皇財産と課税』『SCOOPED』ニュージーランド活劇『大統領になれなかった男』『NORADテープ』

ゴールドウオリアーズ サクラサクラ キサラギジュン訳2017

2017-05-05 19:50:59 | ゴールドウオリアーズ
  1. □将来に備えるためフィリピンに金塊を埋める。
  2. ジュン・キサラギの税務小説Flag Counter第二次大戦が終わる月、フィリピンではルソン島のごつごつした岩山で山下奉文(YAMASHITA TOMOYUKI)大将が戦争引き伸ばし作戦を展開している間に、数人の高級幹部の皇族軍人たちが近くの洞穴やトンネルに略奪した黄金や他の宝物を埋める作業を監督していた。「将来に備えるためだった」。
    日本で一番のヤクザが、アジアの裏社会や闇経済を奪っている間に、日本陸軍に同行している専門チームは、国庫、銀行、工場、個人宅、質屋、画商から組織的に略奪し、一般人の身ぐるみをはいだ。
    この点、日本はナチよりもはるかに徹底していた。まるで巨大なバキュームカーが東南アジアを横切ったようなものだ。略奪品のほとんどは、朝鮮経由で日本に送られた。
    残りは船を使ったが、一九四三年(昭和十八)米潜水艦が日本周辺を完全に制圧するようになるとフィリピンよりこちらへは運べなかった。隠匿された財宝にとって決定的なことは、日本の軍事力が失われると、財宝も最終的に失われるということだ。
    植民地のどこで戦争が終結しようが、日本は常にフィリピンを維持しようとした。
    皇子達に監督されて、一七五カ所の皇室地下金庫が島中に作られた。一九四五年(昭和二〇)六月初旬、アメリカ戦車隊がバンバン(Bambang)から二〇マイル以内に接近していたころ、一七五カ所の地下貯蔵庫の技術者代表は、軍の複合施設、八番トンネルで知られる地下二二〇フィートの坑道でお別れ会を催した。そこには壁から壁へ上から下まで、ぎっしりとゴールドバーが並べられていた。
    夜もふけ、大量の酒を飲み、軍歌を皆で歌いながら、また天皇陛下の長生きを祈りながら次々と万才をした。深夜になって、山下将軍と皇子はそこを抜け出し、トンネルの入り口はダイナマイトで爆破し、技術者達は埋められた。
    彼らは生き埋めにされたのだ。
    形式的に言うなら彼らは殺された訳ではない。彼らは、ゴールドバーに囲まれ徐々に窒息していった。地下貯蔵庫は秘密を保たれることになった。
    数日後、皇子たちは潜水艦で日本へ脱出し、三ヵ月後、山下将軍もアメリカ部隊に投降した。
    半世紀の間、この恐ろしい生き埋め事件は知られなかった。隠匿された財宝は、「山下将軍の金塊伝説」として無視された。しかし、生き埋めの目撃者は、われわれを八番トンネルへ案内し、個人的な話も得られたのだ。
    □「サクラ、サクラ」
    フィリピンの若者ベン・バルモレスは、戦争中、フィリピンにある皇室財宝基地で基地建設や在庫調べ、封印などに従事していた日本のさる特別な皇子の世話係りであった。高学歴で、たまに涙もろい皇子はダイナマイトが爆発する直前ぎりぎりでベンを八号トンネルから連れ出し、彼の命を助けた。
    われわれは十七才半ばの貧乏だが健康的なベンに取材し、彼は、一九四三~四五年に、その皇子の部隊で見たと、経験したことを、何ヶ月にも渡ってわれわれに語った。最終的にその皇子と他に関与していた他の皇子を特定できる重要なヒントをわれわれに与えてくれた。
    アジアでの略奪を監督していたのは天皇陛下の優雅で洗練された弟、秩父宮(Prince Chichibu)であった。
    彼の組織は天皇による詩の題名のひとつ、「黄金と百合」にちなんでコードネーム「金のユリ」(kin no yuri/Golden Lily)と名づけられた。他の(下級)皇子は征服した領土に広がった「金のユリ」の別の基地で司令官となっていた。情報筋は、戦時中のベンのご主人は、竹田恒泰親王(Prine Takeda Tsuneyoshi)であると確認した。彼は昭和天皇の一番上の従兄弟であり、明治天皇の孫にあたる。
    この裏づけをとるために、英国図書館(British Library Oriental Collection)から手に入れた一九三〇年代の不鮮明な多くの写真を使い、ベンに目隠しテストを行った。それらは、パールハーバー奇襲前日ごろと見られる軍服姿の皇子達の写真である。写真の名前ははずし、普通の兵士も混ぜておいたのに、ベンは竹田宮、そして昭和天皇の兄弟である秩父宮、三笠宮(Prince Mikasa)、そして南京虐殺において日本軍の指揮をとった年長者、朝香宮(Prince Asaka)を指さした。(訳者注:ベン少年が、南京にいた朝香宮を知っていたというのは、論理的にちとおかしい。また南京虐殺が実際にあったとも、朝香宮の責任だったとも確定していない。)
    ベンは彼らが在庫を調べ財宝基地に収納する間、ともに過ごし食事を運びお茶やタバコをもっていったと話した。ベン・バルモレスはフィリピンから離れたことのない田舎の百姓であり、小学校以上の学歴はないから、彼が即座に皇子を確認したことは説得力があった。
    竹田皇子の写真を見せたときベンはどきっとして、日本の民謡の「サクラ、サクラ」を口ずさみだした。竹田皇子がいつも口ずさんでいたと話した。ベン・バルモレスが竹田皇子を特定したことは、われわれの大きな難問の失われていた一片を発見したようなものだ。
    われわれが天皇家の物語『Yamato Dynasty』を書いているころ、一九四五年八月、アメリカ情報局は、フィリピンにある日本軍の財宝地下貯蔵庫の数ヶ所を知り、秘密のうちに数十億ドルの金、プラチナ工芸品、宝石類を回収したと聞かされた。もしこの知らせが本当なら、米国政府が半世紀以上にも渡って隠し続けている、驚くべき国家機密の存在が明らかになるだろう。だから、それらを新たに調査する価値があるとわれわれが考えた時には、重大な危険が伴うことも覚悟したのである。
    ここに、われわれが知ったことがいくつかある。
    □運転士官コジマへの拷問
    日本降伏の公式告示を受けた後の一九四五年(昭和二〇年)九月二日、山下将軍とその部下達は、キアンガン地帯の要塞から出てきて、MPジャック・ケンウォージー少佐 に率いられる米軍将校等に武器を渡し、マニラ郊外ニュービリバッド刑務所に入れられた。
    戦後、マニラ市での岩淵少将(Admiral Iwabuchi Kanji)が指揮するマニラ海防部隊の海軍兵士による恐ろしい殺戮行為のため、山下が部下の統率を欠いたことが、市民の大虐殺を招いたとして、死刑を宣告された。山下は陸軍司令官として、マニラ市を「オープン・シティ」にして無傷のままマニラから離れる命令を出していたのだが、岩淵たちが従わなかったのである。(訳者注:岩淵自身も行方不明になっている。戦後少将から中将に昇進した。)
    山下の裁判の間、戦時略奪の話はいっさいなかった。しかし、そこには隠された密約があったのである。
    OSSもしくは後のCIAの要員は、日本の略奪金塊の発見を使命としていた。その秘密を知っていると思われる山下について、直接、尋問することはアメリカが軍事法廷の被告側弁護士を付けている手前できない。山下に肉体的な拷問をすることは不可能だったので、代わりに部下が拷問を受けた。
    運転士官コジマ・カシイ少佐(Major Kojima Kashii)は特に過酷な拷問がなされた。山下が一九四四年十月フィリピン防衛を引き継ぐため満州から到着して以来、コジマはどこへでも一緒にでかけた。コジマの拷問を担当したのはフィリピン系アメリカ人、セビリノ・ガルシア・ディアズ・サンタ・ロマーナ、フィリピン情報局の役人で、名前も個性も多い男だ。
    友人は彼を「サンティ」とよんだ。彼がコジマに自白させたい事は、山下をどこへ乗せていったのか、金塊や財宝がどこに隠されているかだった。
    サンティを指揮していたのは、のちにアメリカで「冷酷の戦士」(Cold Warriors)として知られることになるエドワード・G・ランスデール大尉 だったとわかった。
    ランスデールは三十七才のとりえのない男であり、当時は、サンフランシスコでOSSのためのプロパガンダを書いて過ごす、ただの広告代理店のライターだった。
    □ランズデール、フィリピンに派遣さる。
    そこに、彼の人生においてとてつもないチャンスがめぐってきた。トルーマンがOSSの閉鎖を命じたのだ。OSSのウィリアム・ドノバン 主任大将は、アメリカの情報資源と個人的情報網を保護するため全職員を政府、もしくは軍の部署へ移動させた。
    後に冷酷な戦士たちの代表選手になるランスデール大尉は、フィリピンのGHQ、G―Ⅱへ配転するチャンスを与えられた五十人の職員の一人だった。そこで彼はサンティが山下の運転手の拷問をすることを聞き、その尋問に同席し、観察者、参加者となった。
    その年の十月、コジマはついに屈服した。そしてランスデールとサンティをマニラ北方山岳地帯の、簡単に開く事ができた二ヶ所を含む一ダース以上の「ゴールデンリィリー」地下貯蔵庫へ案内した。
    内部にあったものには誰もが驚いた。サンティとその部隊が貯蔵庫の残りを開けている間にランスデールは東京へ行き、マッカーサー将軍に要点を伝えた。そして、それはトルーマンに知らせるためワシントンヘもたらされた。ホワイトハウスのスタッフ、閣僚との討議の後、トルーマンは言った。
    「回収を進めろ、ただしそれは国家機密である」と。
    □ブラックゴールド
    フィリピンで発見された金、プラチナ、樽に入った宝石などの財宝及び、日本国内で没収された金銀ダイヤはヨーロッパでナチスが略奪した品と一緒にされ、共産主義と戦うために世界中に広がる秘密の活動資金として「ブラック・イーグル信託ファンド」が創設された。
    この「黒い金」はもちろん、公会計のものではないので、トルーマン政権の隠れた作戦用に、無制限、かつ領収証なしで使うことができた。これは又、ワシントンによって連合国の国庫をうるおすだけでなく、各国の政治家リーダーへワイロをばら撒き、左翼寄りになる外国の選挙結果を右寄りに操作するために使う財産基盤となった。
    一九四〇年代、ソビエト連邦が世界中の過激な共産主義者と社会主義者の活動を支え、資本主義世界の生存が窮地におかれていたことがこのトルーマンの方針を正当化させていた。
    何人かは、トルーマンの下した戦略の決定を深刻に悩むだろう、そして、他の人は熱く支持してくれるだろう。この本の狙いは、その決定の過程を調査することでもないし、良いか悪いかを判断することでもない。それはその時点では賢明な決定だったからである。(しかし、長い目でみると悲惨な結果になったのではあるが。)
    われわれはただ小手調べの記事を書いただけで、政治的には中立でありたいと思っている。この本の唯一の目的は、秘密のヴェールをあばき、調査を進展させ、多くの、そして悩ましい、予期せぬ成り行きを調べることだ。
    それは、トルーマン一人の決定だったわけではない。世界的な政治活動ファンドの基礎を、戦時略奪品でまかなうということは、実際のところルーズベルト政権の戦争省長官、ヘンリー・M・スティムソン が創設したものだ。戦争中にスティムソンは、枢軸国の略奪品と、戦後の枢軸国がどの様に扱われるべきかを詳しく考える顧問団を持っていた。
    形勢が枢軸国に不利になってきて、財宝を手に入れるのは時間の問題だった。
    この戦争のご褒美はナチスにより侵略された国々と、民間の犠牲者からの金の略奪だった。もともとの所有者の痕跡を消すため、ナチスはそれらを溶かし金塊に鋳造したのち、カギ十字(swastika、訳者注:一九三五年~四五年の間、ドイツ国旗として使われた。)とライヒスバンク の黒鷲の刻印を押した。
    □金の足跡がたどれないのには別の理由もある。
    もとの所有者は死んでしまい、前の政府は消滅しているのだ。東欧はソ連の支配に屈してしまい、略奪された金の返還は不可能だった。特筆すべきスティムソンの補佐役は、補佐官ジョンJ.マクロイ、ロバート・ロベッティ、そして相談役としてロバートB.アンダーソンらで、すべて役所や銀行で傑出した抜け目のない男たちだ。
    マクロイは、後に世界銀行のトップに、ロベッティは国防長官、アンダーソンは財務長官になった。彼らの解決法は「非公式な」黒い鷲信託ファンドを設立することだった。
    この考え方をアメリカの同盟国が、秘密裏に議論したのは一九四四年七月が最初で、四十四ヶ国がニューハンプシャーのブレトンウッズに集まり、戦後の世界経済の計画を練った。
    これは一九四五年のサンティの回収を知っているマニラを拠点としていたCIA職員や前のCIA副長官レイ・クレイン を含む多くの高い地位の情報によりわれわれが手に入れた文書の中で確かめられた。(クレインは、最近(一九九〇年代)になっても、シティバンクの地下金庫にまだある日本の戦時略奪金塊を支配しようと関わり続けている。)
    トルーマン大統領とワシントンのマクロイ、ロバート、スティムソンへの説明を終えると、ランスデールは、一九四五年十一月、ロバートB.アンダーソンと共に東京へもどった。そこでマッカーサーはアンダーソン、ランスデールに同行し、極秘にマニラへ飛び、すでにサンティが開放した地下貯蔵庫めぐりへと出発した。聞くところによるとその中で二メートルの高さにまで金の延べ棒が積まれているところを散策したらしい。
    彼らが見たものから、日本が全アジアから数十億ドルの略奪を長年にわたって行ってきたことは明白である。
    アンダーソンとマッカーサーが見たのは日本には届かなかった金だけだ。戦争のために破産していたなんてとんでもない。日本はとても豊かだった。
    レイ・クラインや他の者によると一九四五年から四七年の間に、金の延べ棒はサンティとランズデールによって四二カ国の銀行の百七十六口座へ慎重に運びだされたらしい。
    秘密にしておくことが重要だった。もしも盗まれた莫大な金塊の回収が公になれば、何千もの人々が、多くはうそだろうが、文句を言いに来るだろうし、政府は所有権を解明しようとして身動きがとれなくなるだろう。
    トルーマンは又、そんな大量の黒の金があると知れると一オンス三十五ドルの固定相場が崩壊すると聞かされた。あまりにも多くの国が、金や米国ドルとリンクしているので、金暴落は世界中の貨幣価値を急落させるであろう。この議論は「黒い鷲作戦」によって利益を得る立場の人間が過大に表現していたかもしれない。しかし、誰もどうなるかという確信はなかった。もし、金の秘密が保たれれば、価格は一オンス三十五ドルが維持でき、ドルは強いままで、金ペッグ制の通貨は安定するだろう。
    その間に、黒の金が準備資産として配給されれば、連合国の優良銀行を支えることにつながり、各国政府も強固になるだろう。用心のため、各銀行の金塊置き場は注意深く管理された。金として使用することは厳しい制限下に置かれた。これで、ワシントンは事あるごとに、各政府や各国の中央銀行そして民間優良銀行に対し圧力をかけられるようになった。
    あまりにも長く国と指導者を協力させ、冷戦の中アメリカと同盟させた状態に放置していたため、眠っている金の延べ棒は、不正政治資金(ワイロ)として使うようになってしまった。
    われわれが手に入れた公文書では、一九四五年から四七年の間に、莫大な金塊やプラチナ塊が世界最大級の銀行、即ち黒い鷲基金のでかい集積場となるUBS(ユニオンバンク・スイス)や他のスイスの銀行に預けられたことになっている。
    スイスは戦争中に中立を保ち、略奪もされず損害もなく、資産も減らさなかったため、重要な役割を演じていた。スイスの銀行職員幹部によって書かれた文章によると、この財産を基にとても大きな融資が行われた。戦後復興の目的で、英政府、エジプト、中華民国、又他の国々へ無償もしくは有償で貸し出されたとある。
    長い時間が経つうちに国家機密の保護が、不快な乱用する立場をつくりだしてしまった。国家の機密を保護するものは、政府の役人や協力者の個人的分野まで保護してしまう。あとの章でこれらの地下資金が莫大なワイロとして表面化したとか、イタリア、ギリシャ、日本そしてそこらじゅうで、選挙の買収に使われたたくさんの書類例をおみせする。
    もうかる信託財産が、世界中の影響力のある人々のために準備された。
    ゴールド証書が勧誘のために与えられた。賢い人の手の中にあれば可能性は無限である。数十年の期間が過ぎ、いくつかの世界的大手銀行は地下貯蔵庫の黒い金で遊ぶことに病みつきになった。
    さて、金を保持するためなら、彼らは何であろうとするであろう。たとえ口座の持ち主あるいは自分の後継者から搾取することになろうともだ。
    スイス銀行のホロコーストで得た金に、それがおこった。「ゴールデンリィリー」を地下貯蔵庫から回収し、ブラックイーグル・トラストを準備したのを思い返しても、それはどちらでも良いことだ。隠匿の意味は愛国的な理由であったし、その使い道は西側にとって高潔なものだったからだ。
    しかし、冷戦中にあまりにも多くの黒の金が情報操作に使われたことは、そんなにどちらでもよいことではない。そして今になって、「黒の金による情報操作」は厳重な国家機密となってしまい、今さら、それに近づこうとする者を排除する動きが活発になってしまったのである。
    その基金で儲けているやつを別としても、その不正資金を誰が指揮したのだろう。他にも乱用はたくさんあった。財宝の存在を隠し、かつアメリカの一九四〇年代にアジア中から共産主義の流れに対抗する確固たる地位を保つため、ワシントンは外交上で大きなうそをついた。
    特に日本がほとんどの金を盗んだことに関しては、うそをついた。
    日本の支配者エリート達は共産主義者に非常におびえていた。
    伝統的な筋金入りの保守派であったアメリカは、日本にアジアでの反共産主義の砦になってほしかった。だから、東京に隠匿された財産は決して知られてはならなかった。東京のほとんどの熱狂的反共産主義者は、戦犯で起訴されつつあった。そこでアメリカは民主的な改革と新しい憲法を導入しつつ、まったく民主的でない男達の支配下に、日本を逆行させ莫大な黒の金を注入して彼らの権力をささえた。
    一九四五年、戦争が終わり、ワシントン政府は、日本は決して略奪行為をしなかった、国は荒地となり、国庫は破産していると主張しはじめた。そこに多くの大きな「うそ 」の出発点があり、「真実」は恐怖の機密になったのである。
    「ゴールデンリィリー」で集められた財宝とワシントンが回収したものが秘密にされなければならなかったので、日本とアメリカの国民はずいぶんだまされることになった。
    一九五一年、そのうそでねじまげられた平和条約が決まり、それによって数千人の捕虜と強制労働を強いられた市民はその被害に対し何の補償も受け取れなくなった。
    戦争補償の要求から日本を守るため、ジョン・フォスター・ダレスは三人の日本人と条約の交渉のためにひそかに会っている。その中のひとりが宮澤喜一で、後に首相になり大蔵大臣を何回も勤めている。
    条約の第十四項によると、「戦時中に負傷したり被害を被った連合列強に対して補償金を払うべきだということは認識される。しかしながら現状の日本にはその原資が不足していることもまた同様に認められる」、第十四項の声明は、日本は破産したと主張し補足している。「連合国列強と各国家は日本の行動で発生したすべての賠償請求を放棄する」という条約に署名したことで連合各国は日本の略奪をどこかに消し、日本人の餌食となった人は幸運を失うことに合意した。
    条約を支持する見返りとして、疲弊した連合国の中央銀行を元気にするために、ワシントンがサンタ・ロマーナによって回収された黒の金を秘密に船で送った証拠を提供しよう。
    黒い鷲信託は政治活動資金であったから、いくらかは悪い手のものに落ちたものもあるが、聖書の精神とはかけ離れながら、次々と広がり、かつてない大きさで残ったままだ。
    信頼できるアメリカ、日本の情報筋によると、一九六〇年に邪悪なニクソン大統領は大統領選へのキックバックを約束する見返りに、日本の自民党の指導者へ、最大級の基金のひとつMファンドを供与した。これはこれ自体非常に気がかりなことだ。しかし、三百五十億ドルとか今では五百億ドルをこえるといわれる「Mファンド」は、それ以来自民党の実力者に支配され選挙の買収や一党独裁を保つため、色々な重要な改革を阻止するために使われた。
    他にも秘密資金を使った同類の悪用は、世界中で見出された。秘密を守ることが力となり、権力は堕落する。秘密の権力が、秘密のうちに堕落する。日本専門のシャルマース・ジョンソン はうまいことを言う。
    「冷戦は終わった。合衆国は冷戦を続ける必要性を信じていたんだろうが、「冷戦そのもの」を、そのための「コスト」と冷戦が想定外の結果になったことに対する「無知のコスト」の代償だということはできなかった。今の課題は日本が社会主義か中道主義に転換するかどうかではなく、アメリカに頼りきって堕落し、長い間、驚くほど弱体だった日本政府が、どうやって進化するのかなのだ」と。
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