キサラギ・ジュンの税務小説

『黄金武将』翻訳『天皇財産と課税』『SCOOPED』ニュージーランド活劇『大統領になれなかった男』『NORADテープ』

イミテーション・ゴールド キサラギジュン チャルマーズ・ジョンソン

2017-07-06 22:04:37 | イミテーション・ゴールド

□チャルマース・ジョンソン
『ゴールド・ウオリアーズ』(黄金の戦士)、かなり長い小説なので、前に、レビュー(批評)を紹介しておく。全部で八人 がレビューを書いているが全部を訳すと何週間もかかるので、以下の二つ(「チャルマース・ジョンソン」、「フィル・シャノン」)だけにする。
ロンドン・レビューブックス 二〇〇三年一一月二〇日
「アジアの収奪」著チャルマース・ジョンソン
 第二次大戦で日本とドイツのどちらが中心的なあるいはより獰猛な収奪者であるかをしめすのは意味の無いことかもしれない。ドイツは六百万人のユダヤ人と二千万人のロシア人を殺した。それに比べ、日本は三千万人のフィリピン、マレィ、ベトナム、カンボジア、インドネシア、ビルマの人々を殺戮した。そのうち、少なくとも二千三百万人は在外華僑の人たちだった 。両国とも記録的な大量の収奪を行ったのであるが、日本はその期間がナチスよりも長かった。両国とも占領国の民を労働奴隷として扱った数は数百万人あった。日本の場合はその中に性的奴隷として前線の兵士たちに提供された女性たちもいたのである。もしあなたがナチに捕らえられた捕虜、英国、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダの兵隊であったとしよう。ロシア人は除くが、その捕虜(POWs)の一員であるあなたが監獄で死んでしまう確率は四%だった。のに対し日本のその「死の確率」は三〇%近くにも高かったのだ。
 両国の本当の違いが戦後一九四五年からの一〇年程度でわかってくる。ナチスによる占領国の家庭や事務所から強奪された絵画や財産はドイツ政府によって補償されたからである。ホロコーストに生き残った者や死者の家族たちは約六〇年間に渡り、裁判で闘い、ドイツの民間会社から奴隷労働の対価と盗まれた家財の補償を得たのである。オーストリア政府は二〇〇一年、集まった寄付金五億ドルの中から三億ドルを強制労働させられたスラブ系の人たちに補償すると発表した。ドイツ政府も、お互いの信頼関係が強まることを条件に、収奪を認め、それに応ずることを長い間表明し続けている。既に四五〇億ドル以上が補償及び賠償として支払われている。ドイツの例に比較し、日本の場合はたった三〇億ドルだけ外国の犠牲者に支払われた。自国の戦争被害者へは四千億ドルも支払っているというのに・・・。
□フィル・シャノン
 歴史家、フィル・シャノン(Phil Shannon)のこの本に関する内容紹介と書評は次のようである 。
『一九四五年六月、マッカーサー軍の戦車が南から上陸するようにみせて実際は、リンガエン(ルソン島北方の良港、フィリピンが攻略されるときはいつもこの港から軍隊が上陸する。)から上陸し、三〇キロ以内に近づく中、フィリピン占領日本軍の長であるヤマシタ将軍は敗戦を覚悟した。彼は皇国再興を期し、アジアからの略奪品、金塊や宝石類をルソン島北部のバタンガスの山地に埋めることにした。その埋葬場所はアメリカ兵の捕虜や朝鮮人労働者一〇万人を使い、日本の工兵技術者達が建設した地下トンネルの一つで、略奪品をトンネルに隠すと完成を祝って、一七五人の日本兵・下士官グループと別れの宴を催した。その前に大半の労働者は餓死していた。
真夜中、酒に浸り愛国歌を唱いながら兵士たちは酔いつぶれたが、ヤマシタは二人の親王とともに、こっそり抜けだし、トンネルの入り口でダイナマイトを爆破させた。地下七〇メーターに生き埋めにされた技術者には、日本軍がアジアで征服した領土から略奪された金の延べ棒という物言わぬ仲間があるだけだった。
 何千人もの連合軍捕虜とアジア諸国からの民間人奴隷労働者も秘密の金庫建設を終えた後、地下洞窟、トンネル、坑道に生き埋めにされた。この秘密の隠し場所の秘密を知っていて、生き残ったのは、スターリングとペギー・シーグレーブ夫妻が本書Gold Warriors中で明らかにしたように、戦後に戦利品を回収するはずの日本軍人トップと皇族のエリートだけだった。
 秘密の金庫を守るべくとられた極めて残虐な対策にもかかわらず、戦後、アメリカの軍事諜報将校達はその存在をつきとめ、何十億ドルもの価値の金、プラチナ、宝石、伝統的財宝を隠された場所から取り出した。
ナチによるヨーロッパでの戦時略奪品は金塊にナチの「卍印」が刻印された。ヨーロッパの金塊は、ナチの党章の「双頭の鷲」にちなんで名付けられた秘密のファンド「ブラック・イーグル・トラスト」となった。フィリピンで発見されたアジア侵略に由来する「死者たちの黄金」もアメリカの手でブラック・イーグル・ファンドへ統合されていった。具体的にはマニラGHQ、CIA(一九四七年以降)はヤマシタたちがフィリピンの山々に埋めたその金塊をブラック・イーグル・ファンドに紛れ込ませて、アメリカによって管理されたということだ。
 アメリカ大統領ハリー・トルーマンは、盗まれた資産を四二ヶ国の一七六の銀行口座に分散して管理した。いわば国家によるマネーロンダリングだが、そうする価値はあった。戦後落ち着くと各国の金持ちたちは日本やドイツが略奪した財宝を「返せ。」と言ってくるからだ。そのため、トルーマンはアメリカ人高官による秘密チームを作った。責任者はアメリカ陸軍長官ヘンリー・スチムソンだった。
 日本の軍国主義政権によるアジアの略奪は計画的で、おびただしいものだった。政府国庫、銀行、工場、家庭や画廊が容赦ない奇襲にあったが、葬式の最中、金の詰め物を取り出すため死体の歯までたたき壊すほど細心の注意が払われたのはその好例だ。それは「死者たちの金」だったわけだ。汚れを嫌う日本軍はその出所をわからないようにするため、マニラで精錬して一二.五キロの、持ち運びやすいゴールドバーに変えていったのである。
 日本の暗黒街の親分で超国家主義の元凶、コダマ・ヨシオが海軍の補完機関として物資の略奪を命じられ、アジア各地を渡り歩いた。占領したアジアを略奪する無法者たちの責任者となったのだ。コダマたちだけではなく、皇族の軍人たちもまた、その略奪品の管理のため、アジア各地へ派遣されていた。皇族の軍人たちは、昭和天皇の和歌の一つにちなんで、「黄金の百合」と呼ばれたファンドにその金塊を注ぎ込んだ。黄金の百合は天皇の末弟、秩父宮(在御殿場)を頂点に、日本金融界トップの何人かのアドバイスの下に運営された。行き先は海外、スイス、バチカン、マドリッド、ブエノスアイレスということも考えられる。
 フィリピンに持ち込まれた盗まれた金塊の多くは、戦争初期、戦費をまかなうべく日本へと持ち去られたが、大半は日本のエリートの強欲に向けられるはずだった。アメリカ潜水艦が対馬海峡や台湾海峡、バシィー海峡を封鎖すると日本への略奪品の流れは止まり、それら金塊はフィリピンの山、フィリピンの海の近くに積み上げられた。
 アメリカによって管理されたブラック・イーグル・ファンドのカネのうち、日本分はアジアにおける反共の砦の費用に消費された。戦後日本への資金援助として注ぎ込まれたカネ(たとえばガリオアエロアの無償生活物資の購入資金)は大半を日本がかつてアジアから奪って所有していた財産をアメリカのドルに換えてワシントンで管理していたものを流用したものだった。
 黄金の百合は、戦後、すぐにはGHQのアメリカ陸軍大佐マッカートが監理していたため、「マッカート資金」といわれたが、その後コダマの犯罪者仲間からなる秘密暗殺団を支援する「四谷資金」に一部が注がれた。日本における軍国主義再生の邪魔になる学生運動指導者、自由主義者、左翼、組合運動家、ジャーナリスト等を暗殺団が排除するために使われたのだ。
 また、四谷資金ではなく、「キーナン資金」というものもある。東京戦犯裁判の主席検事ジョセフ・キーナンにちなんで名付けられたキーナン資金は「黄金の百合」資金を使って、東京極東裁判で証人達に賄賂で証言を偽らせ、天皇の評判や、右翼政治家や、コダマのような犯罪者の親玉連中を仕立て直し、親米派を激励し、戦後日本における保守派の政治影響力を固めるために潤沢に流し込まれた。
 この資金はまた日本の化学生物兵器計画の証人達(陸軍中野学校・イシイ部隊)に偽証をさせるための賄賂に使われ、彼らが持っていた破壊的な知識を秘密にしておき、それをアメリカ軍に引き渡すようにさせた。また、黄金の百合作戦の現物の目撃者達への口止め料にも使われた。
四谷資金にまつわる事件のよくある死因として「自殺」があげられるが、これは自殺ではなく「幇助自殺」で誰かに殺されたのだ。変死や不審な「自殺」が国営の鉄道の線路付近で横行した。
 この二つの資金(四谷資金・キーナン資金)は最終的に「M資金」へと流れ込み、まずは控えめな二〇億ドルで始まったが、急速に拡大し、一九五〇年までには日本の国民総生産のほぼ一〇%になるまでに至った。これから得られた利益で、日本の自衛隊の前身が整備されたし、自由党と民主党とが合同する資金(いわゆる五五年体制)に投入され、合同が成立して自民党となった権力者たちは日本の主導権をそれから五五年間独占したのだ。
 M資金は、キシ・ノブスケ(戦時の閣僚として奴隷労働の活用に積極的に関与し、また一九三〇年代から副業として麻薬にも手を出していた。)が、親分として慕うオガタ・タケトラ(「ポカポン(POKAPON)」というCIAのコードネームがある。)を保守合同の長とし、総理大臣にするための資金としても支出された。それほど親米派でない民主党のライバル、ハトヤマ・イチローに対抗するためである。M資金からは全ての政治家にご祝儀としてカネが配られたが自民党派閥に対しては特に大きな報酬を支払った。キシが一九五七年~一九六〇年の三年間の首相在任期間に、自民党はCIA(究極的には国務省)の秘密資金から毎年一千万ドル受け取っていたというのは事実であり、五五年体制づくりにそのカネが使われたことはCIA評価に関する公文書が公開されて確定している。
 CIAは、戦後の数十年間、主にフィリピンで未発見の「ヤマシタ・トレジャー」(黄金の百合)狩りに加わった。日本やアメリカからのトレジャー・ハンターがフィリピンに蜜に群がるハチ、あるいはずっとまずいものにたかるハエのように、生き埋めの現場や、財宝を載せた船が日本降伏のわずか数日前に急ぎ退散した海域に集まった。
 *
 ワシントンの各代の大統領がお気に入りの独裁者の一人、フィリピン大統領フェルディナンド・マルコスは、一九六五年以後、この宝探しに割り込み、CIAの専用飛行機(その名も「麻薬号」)、アメリカ空軍機、さらにアメリカ海軍の船を使って発見された金塊を各地に移動した。マルコスは「黒いカネ」を各地に分散するシステム(CIAの犯罪銀行ネットワーク)を利用した。たとえば、オーストラリアのヌガン・ハンド銀行 (Nugan-Hand Bank)が良い例だが、同行の理事会には退役アメリカ情報将校がずらりと並んでいる。
 マルコス、そしてマルコス後のフィリピン大統領コリー・アキノもまた、CIA、ペンタゴンとつながっており、ゴールド・ラッシュに加わった。コリーでさえ、アメリカ軍需産業や民間諜報組織の助けを借りなければこの国を統治できないのだ。
CIA内部では、泥棒連中のやり口はご多分に漏れず、略奪者と政治家によるジョイント・ベンチャーだった。お互いを殺し合う裏切りや惨事にいたる仲たがいでイベントが中断することがしばしば起きた。
 アメリカ大統領ビル・クリントンも、ヤマシタの黄金を巡る前任者達(CIA)の秘密主義を継続した。クリントンはワシントンが当惑するような日本の反応を避けるため、CIAに命じて、アメリカの公開文書記録からアジアにおける黄金の百合文書を取り除くことを許可した。つまり、日本のある部分について、公文書の開示時期を五〇年から七五年に延長させたのだ。
シーグレーブ夫妻によれば、ジョージ・ブッシュ(息子)大統領政権になって二週間後に、アメリカ海軍の船二隻と海軍特殊部隊(SEAL)が、アメリカ連邦準備銀行の金準備高をニセモノからホンモノに変えるため、さらなる黄金回収をフィリピンに求めて人員を派遣したのだ。アメリカは今や火のクルマだからだ。』と解説されている。

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