キサラギ・ジュンの税務小説

『黄金武将』翻訳『天皇財産と課税』『SCOOPED』ニュージーランド活劇『大統領になれなかった男』『NORADテープ』

イミテーション・ゴールド キサラギジュン 昭和天皇の相続

2017-07-06 21:49:29 | イミテーション・ゴールド
□昭和天皇の相続
  一九八九年七月七日、宮内庁は昭和天皇の課税となる遺産を、総額十八億六千九百万円美術品五千点と発表した。法定相続人は天皇、皇太后など計十一人。資産の分散を防ぐため、遺産額の半分を皇太后が、残りの半分は天皇陛下が相続し、常陸宮以下は相続権を放棄した。その結果、天皇陛下の納税額は四億二千八百万円だった。美術品は六百点を相続税法、皇室系財宝で非課税とされた。由緒あるものとして、三種の神器、宮中三殿、宝冠類(テアラ)、皇太子の守り刀、壺切御剣(つぼきりのぎょけん)など歴代天皇にゆかりのあるものや神筆類が非課税に指定された。
ところで、終戦直後の天皇家の(国内)財産は三十七億五千万円だった 。日銀物価統計局の二百十一倍を適用すると現在価値は約八千億円である。これらの財産は財産税として課税され、四七年三月末日までに三十三億四千二百万円が国庫に納入され天皇家には約四億円が残された。(物納が大部分だった。)それから四二年、相続税課税財産は十八億六千九百万円と計算された。当時の物価指数を参考に換算すると、当時の千五百万円足らずだ。象徴天皇として、あるいは課税財産額としてこの金額はふさわしいものだった.
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ジュン・キサラギの税務小説
 
 
 
 
 《近所のスナックのママから借りている黄金のライター》・・・純金のライーターには、「三二五八八八」、「CREDIT SUISSEの花模様の絵柄」、「一〇 OZ」、「ORIGINAL FACY GOODS」、「九九九.九」、「FINE GOLD」が刻印されている。それもフィリピン旅行の最中、置き引きにあってワシの手元にはもうない。ママになんて言い訳をしようか、今迷っている。もちろんニセモノだろうな、きっと。
Flag Counter□皇室の隠し財産か
 加藤康男『昭和天皇「七つの謎」一〇天皇の財布と「隠し財産」』(WILL・二〇一四年.一〇月一九一ページ-一九二ページ)
 要旨『終戦間際、これまであまり知られていないが、天皇の財産を海外に移す計画が行われた。敗戦がせまった昭和二〇年四月、良子(ながこ)皇后のお名前でスイスの赤十字国際委員会(ICRC)に対し突如として一千万円スイスフランと云う巨額の寄付を提示していたことがわかった。この文書は国際赤十字とイギリス外務省の公文書のやり取り(F〇/三六九/三九六九、FO/三六九/三九七九)でわかったのである。
日本側の提示に対して、連合国の極東委員会(Fer Eastern Commission)-対日政策委員会がこれを却下する。戦勝国の没収権を守るためである。ところが、日本赤十字委員会はこの決定をアメリカの裁判で覆した。一九四九年、秘密裏に送金額がある銀行からある銀行へ送金されたのである。寄付はBISにある横浜正金銀行の「天皇の『日本の秘密口座』である特別勘定」から「国際赤十字のスイスにある銀行の表口座」に振り替えられたとある。なお、送金日は一九四九年五月末、それまでにスイスの横浜正金銀行預金はスイス政府によって凍結されていたが、それを解除しておこなわれたという。現在に至っても宮内庁関係者のだれもが「知らないカネ」となっている。』問題はここからである。現在の価値で五千億円というカネがそれで、全部だったかということだ。仮に天皇の財産が日本赤十字の出資金に変わったのであれば、(社)日本赤十字社は財産を公開して、国または宮内庁、あるいは財務省として登録していることを明かにすべきである。参考までにいえば赤十字社の二〇一三年三月三一日現在の基本金(一般法人の資本金に相当)は二五億円だった。現金預金は三七億円なので、その中に入っているとは思われない。マッカーサーが持ち出しちゃったのかな?財務省が着服しているのかな?横浜正金の次の東京銀行、その次の東京三菱銀行、その次の三菱東京UFJに渡ってスイス支店口座にあるのかな?
□国外財産調書法
  時すでに来たれり、国税庁は国外蓄財をターゲットに、「居住者」がその年の一二月三一日において、その価額の合計額が五千万円を超える国外財産を有する方は、その国外財産の種類、数量及び価額その他必要な事項を記載した「国外財産調書」を、その年の翌年の三月一五日までに、住所地等の所轄税務署に提出しなければならないことになった。
対象者は金持ちの個人であり、法人には適用されない(法人は全世界バランスシートを出さなければいけない。)。だがしかし、法人に擬制して、たとえば、リヒテンシュタイン法人(外国法人)として、ジュネーブに財産が五千万円以上ある場合も、リヒテンシュタイン法人への出資額として国外財産を形成することになる。なお、タックスヘイブン税制という厄介なものが日本税法にあり、リヒテンシュタイン法人の運用益は個人の「雑所得」を形成し、確定申告がいる。そして、「情報申告」を怠った場合は六か月以下の懲役が適用される(場合がある。)。このように罰則付きで情報申告を厳しくしたのは、金持ち層の相続税対策として海外離脱、海外蓄財が急増したためであろうが、旧体制(エスタブリィシュメント)や宗教団体の理事、財団理事、社団理事、ヤクザ、ナリキン、多国籍企業の幹部、そして、相続対策として海外へ資金を持っていった創業家(旧財閥)の人たちなどがターゲットとなるようである。パナマ文書に出てくる日本人500名余も当然、ターゲットとされているだろう。⇒キサラギジュンの「パナマ文書日本人リスト」を参考にしてくください。
  最後に一言、「居住者」とは天皇陛下を含む国民全体である。
□最悪の評価
 皇室の蓄財に関して、『神々の軍隊』(濱田政彦著)ではこう書かれている。
『戦前、皇室には予算として年額四五〇万円が国家予算から計上されていたが、一説によれば天皇の総資産は少なく見積もっても約一六億円であるという。だが、宮内庁のこの数字は嘘で、本当の資産総額は、海外へ隠した資産を含めれば、信じ難いような天文学的金額であるともいわれている。皇室予算だけではこのような金額を貯蓄することは不可能であるが、当時皇室は横浜正金(後の東京銀行)、興銀、三井、三菱ほか、満鉄、台湾銀行、東洋拓殖、王子製紙、台湾製糖、関東電気、日本郵船等、大銀行、大企業の大株主であり、その配当総計は莫大なものであった。すなわち、これら企業・銀行の盛衰は、そのまま皇室に影響を及ぼすわけである。こうなると戦争で、財界が植民地から搾りとるほどに皇室は豊かになるということになる。』
 戦前の天皇家と国家、あるいは天皇家と資本家の関係がこれで言い尽くされているであろう。天皇は昭和の大戦争に深く関与した。戦争責任はある。いかにユダヤから仕掛けられた戦争であろうとも、大企業、大銀行はみんな戦争経済へと誘導したのであって、その大株主であった天皇が戦争を指導したのだから、責任なしとは言えない。私は先の戦争に関して連合国に謝る理由はないと思うが、天皇に戦争の責任は重大だったと思う。
先の引用にもあるように、天皇家と日本郵船は明治期から深い仲にあった。日本郵船の大株主は天皇と三菱財閥であった。当時は海外渡航といえば船舶しかなく、日本郵船は日本貿易の命綱である。この日本郵船が大量の移民をアメリカに送り込んだ(数十万人といわれる)し、また大量の若い女性を海外に運んだのである(娼婦にするためである!)。
 日本郵船だけでなく、天皇は大阪郵船の大株主でもあり、これを使って、日本は手に入れた外地へ、人間や物資を運ばせ、莫大な利益をあげさせた。』というのだが、国民の側に立てば、必ずしもそうでなかったとワシは思っている。というのはこの『神々の軍隊』の作法がが『ゴールドウオリアーズ』の作風とほとんど同じだからだ。一部事実でもあり、一部風評でもある中間型ノンフェクションでできあがっている。もっともワシもそうだが・・。
□『天皇のロザリオ』
 鬼塚英昭氏の『天皇のロザリオ』(成甲書房)によれば、福沢諭吉は「賎業婦人(娼婦)の海外出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」と主張している。外貨稼ぎに日本の女性を使えと言ったのであるから、どこが「天は人の下に人をつくらず」だ! つまり諭吉は、娼婦の海外輸出は天皇と三菱に利益もたらすから「得策だ」と平然と言ったのである。だから諭吉はユダヤ・フリーメースンの会員だったのだ。慶應義塾とは日本資本主義と天皇を支える私立の重要な学校であった。財界人を多く輩出したのは慶應義塾や官製の東京帝国大学であった。
 そこを出た財界のトップたちは、記述のように、二・二六事件を影で操り、そこから一気に戦争経済へ主導し、政府要職にも就くなどして日本を大戦争とその果ての破局へと導くのである。
 鬼塚英昭氏の『天皇のロザリオ』には、戦前の皇室が銀行支配も徹底していたことを書いている。皇室は日本銀行の四七% の株を所持していた。だから紙片を発行し、公定歩合を調整するたびに、莫大な利益が皇室に流れた、とある。日銀は発足当初からユダヤ国際金融資本の日本支店であるから、これでいかに天皇家とユダヤ資本が深い関係かがわかるだろう。
さらに鬼塚氏は天皇とアヘンの関係も暴露している。
 「同じ手口(米国に移民を送って儲けた話)を皇室と三菱は考えた。ペルシャ(イラン)からのアヘンの輸入であった。皇室と三菱は三井も仲間に入れることにした。三井を入れなければ内乱が起こる可能性があったからだ。三井と三菱は隔年でアヘンをペルシャから入れ、朝鮮に送り込んだ。満州という国家はこのアヘンの金でできた。
 天皇一族はこの利益を守るために秘密組織をつくった。厚生省という組織に、天皇は木戸幸一(後に内大臣)を入れ、アヘン政策を推進させた。一九三八(昭和一三)年一二月に興亜院がつくられ、アヘン政策を統括した。日本でもケシ栽培をし、朝鮮にほうり込んだ。中国でも熱河省でケシ栽培をした。この利益も皇室の財産の形成に大きく貢献した。 
 多くの(ほとんどと言うべきか)軍人たちが、三菱と三井のアヘンの利益の一部をもらって遊興にあけくれた。」
 天皇も、財閥も、軍人も、アヘンという恥ずべき巨悪に手を染め、巨利を得ては遊興に使うために、戦争を次々に仕掛けたのだった。このゆえをもって、天皇はついに終生、中国と朝鮮には足を踏み入れることができなかった。ちなみに沖縄も、天皇は自らの助命と引き換えに、米軍の永久使用を提供したので、これまたついに沖縄を行幸することはできなかった。
□究極のキャピタルフライト
 さて、再び『神々の軍隊』の続きである。
 『皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などがスイス、バチカン、スウェーデンの銀行に預けられていた。さらに取り巻きの重臣たちもそれに倣って同商会に接触し、そのおこぼれに預かっていた。中立国スイスには敵対する国の銀行家同士が仲良く机を並べて仕事をしている奇妙な現象が見られるが、なかでも国際決済銀行、通称バーゼルクラブは、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。同行は不安定な紙幣ではなく、すべてを金塊で決算する銀行であった。
 内大臣・木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和一九年一月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に六六〇億円(当時)という気の遠くなるような巨額の皇室財産を海外に逃すよう指示した。皇室財産は中立国であるスイスの銀行に移され、そこできれいな通貨に“洗浄”されたが、その際皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは秘密裏にナチスに戦争協力したので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。」
 昭和天皇は大東亜戦争中、宮中に大本営を置いて陸海軍の下僚参謀を指揮して作戦を実行した。それの実態が連合軍にバレれば自分も戦犯として処刑されるという恐怖と、せっかく築いた莫大な資産が取り上げられることを心配したのだ(むろん実態は連合国は承知していた)。だから彼は、資産をスイスや南米の銀行に預けた。海軍の潜水艦を私的に使ってアルゼンチンに金塊を避難することまでやった。
 そして進駐軍がくると、マッカーサーに卑屈に叩頭し、朕はキリスト教徒になってもいい、日本をカソリックの国にしてもよいと申し出た。宮中の女性を東京裁判のキーナン検事に提供して歓心を買い、戦争中の陸軍軍人の内輪情報を(田中隆吉を使って)チクっては責任を全部東条らに押しつけて、彼らが絞首刑になるよう誘導した。みんな、自分の命乞いのため、そして資産保全のためである。』
※著者としてこれらのことを全面的に支持するものではない。やはり『昭和天皇実録』を読んだ後でなければ、特にアルゼンチンへのキャピタルフライトは全然証拠が示されない。

エピローグ  
□歴史学者トインビィーの追憶
 むかし、高校時代だったと思ったが、英国の歴史学者トインビィー(A.Toynbee)にいたく感激した事がある。彼は「歴史とは正史というものを含めて万人に存在する」といったような気がした。つまり、ベトナム戦争のさなか、西洋的自由を求めて戦ったアメリカの兵士たちにも、祖国解放を求めて戦ったベトコン側にも歴史は存在するが、それは勝ち残った側が綴る正史だけではなく、死んでいった兵士たちにも生存の歴史が存在したということなのだろうか?
そうは言っていなかった。トインビィーは、
『神々は獅子鼻で黒い肌をしているとエチオピア人は言い、神々は青い目で赤い髪をしているとトラキア人は言う。牛や馬がもし手を持ち、自分の手で絵を描けたら、人間が美術品を創るように、牛や馬を創ろうとするであろう。そこで馬は自分の思う神々の姿を馬のように描くし、牛は牛のように神々の姿を描くであろう、つまり自分の姿から想像して神々を描くに違いない。』と言っていたのだ。(『歴史研究』歴史思想の相対性・トインビィー)
□陰謀説あるいは逆説のいわれ
 一九五一年、サンフランシスコ講和条約が成立し、そのカネの管理が日本側に引き継がれたというのだが、そのカネはもちろん公の場に出ることができない戦争未亡人みたいなもので、実際にその半分は亡くなったある首相夫人の名前を借りてスイスに預金してある。残りは歴代の官房長官と歴代の首相経験者(ただし,GM党主流派出身)の管理の下に今も現存している。 そのことは無論歴代の大蔵大臣も承知している。なぜなら、税界には、海外で預金等で稼いだ者の情報を交換する租税条約というものがあるが、なぜか条約の内容をつかさどる大蔵省主税局はスイスとだけは情報交換規定をその中に挿入していないのだ 。
 外務省は「なんでスイスだけがそうなっているのか」不思議に思っている。だから、大蔵省は宮内庁や内閣官房に対してそういう配慮があると思われても仕方がない。
 また、歴代首相、ヨシダ、キシ、イケダ、サトウ、N、タケシタ・ラインまでは皆、東大(タケシタは早稲田大、)あるいは大蔵官僚(ヨシダは外務官僚、Nは通産官僚)上がりでもあり、「引継ぎ」があった。タナカ・カクエイが首相になったとき(一九七二年七月)には、ファンド(若しあれば)の残高は少なくなっていた。タナカはそんなよもやま話よりも、年金基金をレジャー設備に、道路財源を高速道路に、国債を新幹線整備に活用して鞘をとることに専念したと思う 。また、対米一辺倒の政治から、自前の石油(尖閣列島付近、アゼルバイジャンへの接近)、自前の外交(中国国交回復)などレフト・ターンが過ぎた・・ためCIAの陰謀 の犠牲になったというのも一理あるような気がする。
□スイス口座
 一九五七年キシがGM党の総裁に選ばれ総理大臣になった。首相就任と同時にタナカを郵政大臣とした。そのポストの獲得に三百万円(現在の価値で三億円)を要した。タナカは日本のテレビ局のネットワーク化に伴う許認可権を得た。その後キシはタナカを大蔵大臣に付け、M資金の管理権をゆずっだ(実際はサトー内閣の大蔵大臣)。一九五〇年代から六〇年代の中間までに金権選挙、国会運営その他に使われたワイロは一〇兆円を超え、M資金(若しあれば)は大半が使われてしまったのである。
 一九六〇年、第二回目の日米安保条約締結が国民的反対運動の末、ようやく成った。アイゼンハワー大統領は反対デモのせいで日本へくることをあきらめた。そのため、キシはアイゼンハワーに謝りにいったように見せかけていた。少なくとも国民はそう思っていたのだが、とんでもない間違いだった。キシと一緒に訪米したサトー・エイサク大蔵大臣とニクソン副大統領とが秘密裏に会談していたのだ。
「エイサク・サトー、私は来年、大統領戦に打って出るつもりだが、どうも民主党候補の若造の方がカネに潤沢で、このままではとても私に勝ち目がないようなのだ。そこで、提案なんだが、CIA担当の私が今管理している貴国のショーワファンドの管理権をあなたの兄上に返そうと思うのだよ」
「兄にですか?宮内庁とか大蔵省にではなく?」
「その通りだ、エイサク。いくら天皇家のものだとしても、今さら宮内庁へは返せんだろう、大蔵にしてもしかりだ」
「では、その見返りは?」
「だから言ったでしょう、来年ここでは選挙があるって」
「わかりました。リチャード閣下の選挙資金にキックバックすることが条件なんですね、で、その資金は今どこにあるんですか?」
「そんなことは言えんよ、わが国でも大統領だけが引継ぐトップシークレットなんだからね」
「ですが、そこが銀行ならなにがしかセレモニィーが必要でしょう、たとば名義の変更だとか」
「それもそうだな、ま、今は仮にスイスにあることにしておこう、あそこは我が国も貴国も手を出せない絶対的な金融秘密国家だからね」
「資金は自由に使えるんですね、たとえば沖縄を返してもらうのに使うとか」
「その通りです。使い道は自由です、だが、通常の銀行ルートを使ったらだめです。スイス銀行内の名義変更ということでやろうじゃないですか」
「結構ですよ、それで名義変更の相手先は?」
「あなたの奥さんのヒロコさんではどうかね?」
「OKです、あいつは青山の英語大学卒なので英語はぺらぺらだし、サインもうまいですし、」
「イヤそうじゃなくて口の方が軽いということはないよな」
「大丈夫ですとも、少なくとも日本語では喋りません」
だが、その口約束は守られなかった・・・というより、ニクソンは選挙に負けてしまったからだ 。
 M資金からGM党へ、さらにニクソン大統領の選挙資金の提供はあったはずだが、ジョンFケネディの方が男前で女性から人気があったため、僅差で敗れてしまったのである。復活は後、八年待たねばならなかった。
一九五七年から駐日大使をしたダグラス・マッカーサーⅡ世(マ将軍の兄の三男 )はさっそく官邸に呼ばれた。彼はサトーから更なるM資金の要請を受けている。後に国務省へ送った本国報告書の外交公開資料には、サトーが、「反共の砦を作るにはまだまだ資金が足りないのだ、貴君の叔父上が始めて、日本へ来られた際、天皇陛下の海外財産を把握凍結して国務省(アチソン閣下)・陸軍省(スチムソン閣下)共同の秘密資金として主にCIA活動に支出していくことが決められた。それを活用したいのだよ」
「それはもともとは我が国の戦利品を原資としているのだからな」と言ったことが記録されている。
 マ大使は本国に打電して、「またまた、首相はカネを無心しています。全くしょうがない奴らですが驚くにはあたりません。彼らは昨年も同様にカネの無心をしてきたからです」と。
で、結局ボールはニクソンのコートに投げ入れられた。数か月後、一九五九年~六〇年安保条約交渉の際、ニクソンは副大統領としてキシにMファンドの管理権を譲って、さらに彼が大統領になったら、「沖縄も返還する用意がある」と言ったことが今や現実となっていたのである。ただし、その当時も今も米軍基地はそのまま沖縄にとどめることが条件だった 。
 サトー政権は四期続いて七五年、六五歳の若さでサトーが逝去した。タナカとのMファンド(若しあれば)の管理権をめぐって毒殺説もはびこっているが眉唾だろうとは思う。だが、タナカはこの事件でサトー未亡人に三千億円を支払ったとシーグレーブ夫妻が『ゴールドウオリアーズ』(英語版・和訳はない、)で書いている。そのカネはサトーエイサク個人の相続税の対象となってはいないだろう、スイスの海外財産は日本では把握できないからだ。もしあなたがMファンド(若しあれば)に関係することを何かやっていたら、死に際に大病院に担ぎ込まれるような事態になることをできるだけ避けることが賢明だ。というのはサトーは新橋の料亭でてんぷらを食っていて脳梗塞で倒れた。サトー未亡人は賢明な人で、新橋の料亭から慈恵医大へ搬送しようという警察官僚や大蔵省役人のアドバイスを受け入れず、三日間もそこへ寝せ続けた。死後、慈恵医大に搬入され、元首相の身体は切り刻まれ、「アルコールによる肝硬変だった」と宣言された。実際は脳卒中だった。毒殺の線もぬぐえない。サトーは総裁・首相の座をタナカに譲った後もMファンドの管理権をタナカに渡さずヒロコ夫人の名義でスイスに保持していた。タナカはどうにかしてこの管理権を奪いたかったのである。サトー死後、ヒロコ未亡人はGM党の金庫番になり、その鍵をタナカと共同で管理したという話である。(後にタナカが奪い返した。)
 タナカGM党総裁の金権選挙について多言は要しまい。カクエイVSフクダ総裁選では三〇億円から五〇億円を使ったとうわさされた。参院選では五百億円から一千億円を使っている。これらのカネはどこから出てくるのか?その当時のGM党献金額(オモテのカネ)は七二年会計年度で二六〇億円だった。だが、領収書が要らない裏のカネでなければ効果を発揮しない。その資料はもちろんない。ウラガネが表ざたになり、昭電事件、造船疑獄。吹原産業事件、田中影治事件、共和製糖事件が起きている。死人も多数出ている。九頭竜川ダム事件では総理秘書官のナカバヤシ・ヤスオ氏がなくなっている。ジャーナリスト、クラチ・タケオ氏も怪死をとげている。
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