キサラギ・ジュンの税務小説 『日本人のパナマ文書リスト公開ー住所別』『NORADテープー撃墜した戦闘機』

『イミテーション・ゴールド』『微風のマニラから』『天皇財産と課税』『ナピサン』『大統領になれなかった男』

マッカーサーの憲法草案と財閥解体 キサラギ2016/10

2016-10-18 12:27:00 | マッカーサー

マッカーサーの憲法草案と財閥解体
ジュン キサラギ
ダバオ出身のタレント(マニラ・ワシントン)
プロローグ
□大統領になりたかった男
□彼のくせ
□天皇財産についてSCAPの考え方

一章 皇室の財宝
□最初のマネーロンダリング
□マッカーサーの積み残し 
□マッカーサーと三和銀
□皇室の財宝
□ニッポン日記

二章 GHQの女
□子爵夫人
□美人スッチーの失敗
□ダグラス・マッカーサー

三章 憲法草案
□評判のよくない憲法草案
□憲法発足前夜
□憲法研究会草案
□逆コース化

四章 ご会見
□ただ一人の通訳
□身代わり
□日本の略奪を暴露するのは二五年早すぎるよ、その時の大統領は?まさか?
□はらいせにエイ、出しちゃえ

五章 まやかしの財閥解体
□まやかしの財閥解体
□皇室財産の解体
□軍需物資の解放
□隠匿物資の摘発
□戦時賠償
□旧軍財産
□戦争利得の除去及財政の再建

六章 財産税
□財産税
□財産税・相続税では終戦記念日以前の海外財産は課税されなかった。今の相続税法でもそうなっている!
□オレオレ詐欺に飛び火
□国外債権債務報告書(旧国外財産調書)

七章 進駐前夜
□前史
□バターンボーイズ
□閉所恐怖症だったマッカーサー
□すぐ帰ってくるさ
□フィリピンが好きだったマッカーサー
□マッカーサー回想記ーコレヒドールからの脱出

八章 山下処刑
□山下処刑

九章 天皇家の海外財産
□マカオは金塊の換金場所だった。
□天皇財閥の解体、再編成
□皇室の隠し財産か
□昭和天皇「七つの謎」
□最悪の評価
□『天皇のロザリオ』
□天皇財産凍結令
□究極のキャピタル・フライト
□略奪金塊が全部、スイスへ集約されていく訳
□スイス仮名預金
□バチカン預金
□ナチの黒鷲の金塊との合同運用
□加瀬俊一
□アチソン回顧録「二つの重要な未解決の問題」
□国際決済銀行の役割
□敵にも味方にも融資する国際金融同盟
□UBSはやりすぎたのだ。

十章 戦後M資金への波及
□ODA&PCGG
□ショーワ・トラスト
□金塊を置いていけと中国当局から言われた。
□オニガワラ解釈
□SHANGHAI CONSPIRACY“上海陰謀”
□GⅡの先輩・福田太郎
□源流

十一章 日銀ダイヤモンド
□クレーマー大佐、日銀ダイヤくすねるの件
□スキャピン
□『日本の黒い霧』
□隠退蔵物資等処理委員会委員長代理世耕弘一
□見返り資金

十二章 サツマイモ台湾
□敵産
□台湾財産の調査
□サツマイモ台湾
□台湾銀行から日貿信へ
□台湾財産

十三章 マッカーサーの二〇五四日
□フィリピン占領から日本占領へ
□マッカーサーの二〇五四日ー準統治

十四章 財閥復活
□財閥復活
□安藤
□ホイット二―将軍へダイヤモンド
□日本への原爆投下
□更迭

エピローグ 
□老兵は死なず、ただ消え去るのみ
□ダバオ出身のタレント(東京)

 


□ダバオ出身のタレント(ワシントン)
一九三五年ルーズベルトはフィリピン防衛に当たらせるため、マッカーサーをその地に送った。
「うまくできてるよな」
「何が?」と足立。
「だって、フィリピンには恋人がおるではないか、南国でハネム~ンと言うわけか、やや年を食ってるがワシほどではない」
「なんのことですか」
「君は知らなくてもよい」

 
プロローグ
□大統領になりたかった男
本国には、トルーマンが大統領としてひかえている。出先にはマッカーサーが、総督然としている―こうなるとこの両者のあいだには、争いとまではわからないにしても、なんらかの言い合いぐらいはどうしても不可避だった。さしずめ、トルーマンはローマであり、マッカーサーはシーザーであった。しかしマッカーサーは、自分の見解をとおそうとして、精一杯努めはしたものの、ついに、ルビコンを渡ることは敢えてしなかった。

「私は何一つ後悔していない。悪いこともいいことも私にとっては同じことだ。だが、私を自由主義の反面教師だと見る弱い連中が私の財力に疑いの目を向けるのもわからないことはない。私は人生で一度も選挙権を行使したことはないし、財力を大統領選に投じようと思ったこともない。もちろん、軍人だからだが、フィリピン、日本で二度の統治行為を行って精根尽き果てている。今更、合衆国の大統領など未練はない」と負け惜しみをいったのである。
日本占領が順調に進んでいる間に、世界の他の地域ではいろいろな事が起こっていた。米国では、共和党大統領候補指名の運動の真っただ中に突然、私の名前が登場していた。私は候補者ではなく、立候補運動をすることも断った。またもや一国の首班になりたいというような気持ちは、私にはさらさらなかった。その仕事は日本占領だけでもう十分だった。・・略
『マッカーサー大戦回顧録(下)』ダグラス・マッカーサー著、津島一夫訳、中公文庫

□彼のくせ
なにげない食事の席でその人のくせというか性格は出るものである。私がもっとも驚いたことは彼が高慢ちきでもなく、結構陽気で、ユーモアもあり、妥協的なところがあるということだ。もっとも私のような政治や軍隊から関係のない親友であればこそだと思うが、彼はよく笑い、ヒトの話も聞く。それが結構いい加減に聞いているということではなく、まじめに反論もする。彼とはいろいろなことを話した。淫売婦が自分の顧客(なんと一万人!)の票を得て当選したとか、日本とドイツの違いだとか、日本を置いてきぼりにはできないとか、連合国側の態度が変わってきたこと、日本の離婚率があがって心配だとか、アイゼンハワーのこと、歌舞伎芝居のこと、日本人の軍事裁判のこと、一定のレベル以下の軍人は単に愛国者にすぎないこと、日本の皇室がいかに血統がただしいか、日本国民の戦争に負けた屈辱感がいかに大きいものだったか、自由人となった日本国民は金輪際、不自由には戻らないだろうとか、なので、彼の金銭欲や財閥の解体や天皇財産なんて話題に上ったことは金輪際なかったね。そういう会話は昼食会では無理だよ」―そういう会話の途中で彼は時々、窓の外を眺めてなにかジーっとながめていることがあった。彼は一体、何を望み、何を考えていたのかね。
□天皇財産についてSCAPの考え方
マッカーサーの頭には日本の天皇制度を維持し、ソビエト、共産中国に対抗していく反共の砦として「日本」、「台湾」、「フィリピン」枢軸を構築するつもりだったのだ。そのためには天皇の財産、「黄金の百合」をどこかに隠さなくてはならないし、山下将軍を早く処刑してしまわねばと思ったらしい。

山下将軍は四五年の一二月七日〈パールハーバーの奇襲の日)に死刑を宣告され、翌年の二月二三日に処刑されてしまった。大将としての威厳は保たれず、囚人服のまま、絞首刑となり遺骸も誰もわからない場所に埋められたようだ。マッカーサーは公式には金塊のキの字も出さず、フィリピン金塊のことも台湾金塊のことにも一言も触れていない。マッカーサーは日本の財閥解体で戦争特需で儲かった財閥の財産(軍需物資・日銀のダイヤ、特殊銀行の財産、天皇家の株式など)の報告を受けたはずだが、奇妙なことに公式には一言も触れないのだ。フィリピンのマルコスが政治の舞台に登場する四年前の話である。

「本当は天皇家が放棄したか隠した金塊をマッカーサーが私有していたのさ」と吉田翁はこともなげに云う。「共産勢力との戦いの軍資金に使うつもりでいた。後年大統領となったマルコスはこの金塊の存在をばらすと脅かしては、歴代のアメリカ大統領から軍事援助費として支出させ、自分の懐に入れていたのさ。香港三和に隠された金塊の管理人(信託名義人)としての手数料も彼の懐を肥やしていたのさ」と云う。
ならばその根拠は?

国会図書館憲政資料室の所蔵の資料を調べた足立は「皇室財産」についてGHQとSCAP間で話し合われている資料の少なさに愕然とした。多くの皇室財産はやみの下に葬られたのだ。
極東委員会が一九四五年二月ワシントンに設置された、戦勝国全体により日本を占領管理していく最高決定機関で、米国のほかソビエト、英国、中国、オーストラリアなど参加する。東京には極東委員会の下部組織、対日理事会がおかれ(四月五日)、GHQ抜きで直接日本政府と交渉できるようになる。今までGHQあるいはSCAPとして独り決めしてきたマッカーサーはこれらの諸機関が動き出す前にすべてを決める必要がある。特に天皇制の存続については、中国、ソビエト、オーストラリアが強硬に反対しており、戦犯としても裁く可能性が高くなっていた。マッカーサーは戦争犯罪人の処刑、象徴天皇憲法制定を急いだのである。そのためには天皇の財産をはきだしてもらわなければいけないのだ。

一九四六年九月一日のホイットニーからワシントン宛ての発信文書では「八月三一日付けの改正案第八八条《皇室財産・皇室の費用》から「世襲財産以外の」との文言が削除されたことは、皇室の世襲財産が第八八条の規定によって国有化されることを意味するのか、あるいは皇室の私有財産として課税されるのか」という、FEC(極東委員会)のイギリス代表の質問の文書」 に答えて、
マッカーサー元帥は「第八八条には、七月二日のFEC原則の四一dに従って、天皇の財への課税を、他の日本国民と同様、盛り込むべきだ」と回答している 。

イギリスは、皇室財産が国有化されることを条件として、現在の憲法改正案がポツダム宣言等に合致するとの立場をとる旨伝えている 。

皇室財産についての審議結果を米陸軍参謀長に伝えて、四六年七月二日のFEC原則に基づいて、皇室財産については、天皇の世襲財産を国有化の対象から除くとした規定は削除し、実際の国有化は憲法が施行されてから行われるとしたこと等が述べられている 。

マッカーサーが極東委員会の始動をにらんで日本国憲法の作成を急いだことは定説であり、マッカーサー自身、次のように述べている。「占領が極東委員会の審議に依拠していたとすれば、憲法改正が成就されていなかったでろうと、私(マッカーサー)は確信している。ソ連が拒否権をもっていたのだから􌗊」(Douglas MacArthur,Reminiscences, McGraw-Hill Book Conpany,一九六四,p.三〇二)

ただし出来上がった憲法草案はあまり評判が良かったとは言い難い。
「マックダーモット氏の意見によれば占領政策は驚くほどうまくいっているが、憲法草案の内容については深く憂慮している、とのことだった。彼は、この憲法はひどい出来だと考えていた。原型も発想もアメリカ人のものだし、当の日本人がたいしてわかってもいないのにアメリカ人に押しつけられてただ受身的に受け入れているだけだからという。」(マクマホン・ボール著、A.リックス編、竹前栄治・菊地努訳、前掲書、三頁)。

トルーマン大統領の天皇問題に関する決定は、一九四五年七月二六日のポツダム宣言一二項として日本政府へ伝達された。「日本国国民の『自由に表明せる意思』に従い平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立せらるるにおいては」連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収せらるべしと述べている。この意味には二言性がある。日本政府にとっては、新憲法で旧天皇制の存続の余地を残しており、連合国側(アメリカ)にとっては、アメリカの主導で、天皇の権能を奪った平和憲法を国民に制定させると言う意思があったからである。その意味で、国務省役人による作文的ユートピア文章を廃し、マッカーサー自身がGHQ民政部で独自に作った憲法草案を時の政府に飲ませることは「彼が軍人であるにもかかわらず行政官みたいなことをするシビリアン・コントロールの逸脱者」だと非難された。そのことによって連合国が日本人に保証した『自由にその政府を選択させる』権利を反古にしたというわけである。どこかおかしくないか?アメリカは本当に『政体・天皇制』を自由に選ばせるつもりだったのだろうか?

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