マチンガのノート

読書、映画の感想など  

議論の立脚点

2013-11-28 00:46:37 | 日記
戦前の日本は、独自にソ連に向き合って
色々と対抗策を考えていた。
それを戦後にアメリカの軍事力と核に守られながら、
戦前の日本がどうとか、アメリカがどうとか、
議論していたのは、議論の立脚点として
いかがなものだろうか?
日本の都市に対する無差別爆撃、原爆投下をした相手に
ソ連から守られながら、アメリカのやり方がどうとか、
戦前の日本がどうとか言うのは、議論の立脚点が
おかしかったのではないだろうか?

大江健三郎「防衛大学校生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。」について。

2013-11-22 02:00:07 | 日記
大江健三郎は「防衛大学校生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。」と言ったっそうだが、それでは、防大卒でない中卒、高卒の自衛隊員は、何をしようと、同世代の恥辱にすらならないと言いたいのだろうか?
震災の際、被災者の救助、遺体の収容をした大卒でない自衛隊員は、何をしようと
何もわからない単なる道具としか見ていないのだろうか?
その様な、知的能力、教養、学力などが劣る人を単なる道具として見るというのは、
ナチスによる、ドイツ人より劣ったスラブ人などはドイツ人に隷属すべき、などの
考え方と、どれだけ違うのだろうか?


「沙羅双樹」 監督:河直美

2013-11-16 01:31:53 | 日記
大阪のフェスティバルゲートにあった映画館で鑑賞。
「名探偵コナン」と交互に上映されていた。
この映画のみの上映では赤字になるからだろう。
奈良の町中で遊んでいた10歳くらいの双子の片方が、急に居なくなる。
それから、もう片方の子供が、高校生になり、
美術部で絵を描いている。
デッサンするのは彼女。
ほほえましい学校生活がある。
奈良の街並みの風景も綺麗に撮られている。
そして警察から、行方不明になった子供が見つかったとの
知らせが入る。
いつも通りに学校に行こうとする子供を生瀬さん演ずる父が
かなり強引に掴んで引き留めて、
「忘れてもいい事と、あかん事があって」
など言う。
このシーンはアドリブで撮ったとの事だが、
とても心に迫るシーンだった。
彼女の母役に、メジャー女優の樋口可南子が出ていたので
意外だった。
その後の、奈良の町中の「何とか祭り」にところは、
そのシーンの意図がよく解らなかった。
河直美の映画は、カンヌで最初に賞を取るまで、
大阪の読売テレビで、深夜に「シネマチューズデイ」で
放送されていた。
その際に見た、「かたつもり」という、養母の宇乃さんを撮ったものが
一番良かった。私的には河映画のベスト。
畑仕事をする宇乃さんや、河監督の子供時代のことを話す宇乃さん、
窓越しに宇乃さんを撮っていて、そのままカメラを持って、
宇乃さんの所に行って、頬を触ったりする処に、宇乃さんに対する
愛情が感じられてよかった。
河直美の映画は、素朴さ、シンプルさ、綺麗な風景があり、
どれもとてもいい。


「キラーエリート」 2011年 米 ジェイソン・ステイサム他

2013-11-10 02:04:19 | 日記
舞台は1980年、イギリスがアラブに石油権益を求めて
いろいろ手を突っ込んで、アラブ人にそれを恨まれて、
ロバート・デ・ニーロ扮する工作員を人質にして、ジェイソン・ステイサム扮する
工作員を雇って、オマーンの族長の息子を殺した
英国SASの兵士を3人殺すことを請け負わせる。
英軍が、英国政府、企業の権益に反する「ゲリラ」ということで
殺害した事に対する、恨みによる報復が目的。
格闘シーンなどは、いかに近くにあるものを使って、
相手を破壊するか、という演出なので、リアリティがある。
2011年製作ということで、劇中では標的は英軍兵士だが、
米国主導のイラク戦争、アフガン介入の後と言う事で、
これからは、この映画の中のように報復対象になるのは、
主にアメリカ人になるだろうということで、製作されたのだろう。
劇中で使われるのは、ベレッタなどの自動拳銃だったが、
あの当時でも、ダブルアクション・オートが、軍、セキュリティ関係者に
使われていたのだろうか?
ブローニング・ハイパワーは、シングルアクション・オートだが、撃鉄を起こした状態で
セフティをかけられるので、セキュリティ関係者には
今でも使っている人が結構いるそうだ。
歴史的に、欧米はアラブ世界に様々な工作をしてきて、
さらに、湾岸戦争、イラク戦争などがり、民間人もかなり殺されているので、
アラブ世界による、欧米に対する恨みは、かなり蓄積されているのだろう。

「バイオソルジャー」監督: ミハイル・フレバロードフ

2013-11-06 02:02:11 | 日記
タイトル、ジャケットと違い、「バイオ」技術で、
「ソルジャー」になった、モンスター、兵士などは出てきません。
一度は離ればなれになった特殊部隊の隊員が集められて、通信の途絶えた研究所の捜索に派遣されます。
そこで全員、ウイルスに感染して、ワクチンを作れない状況になります。
そこでどうなるかというと、それぞれの戦闘技術で、お互いに殺しあって
心中を始めます。
このような展開を見ると、ロシアはヨーロッパではなくて、
とてもアジア的なのだと感じます。
アメリカ映画などだと、一致団結して、困難に立ち向かう、
抜け駆けしようとする奴がいる、などという展開になるのでしょうが、
全然違います。
基本的な感性、物の見方の違いだろうと思います。
このような感性が、第二次大戦でドイツ軍に向かって、政治将校の指示などで
無闇に突撃を繰り返して、大きな損害を出したところなのだと思います。
自分たちでも、スターリン時代に、「誰それは反革命的だ、外国のスパイだ」
と言って、大量の粛清を行った下地にも、このような感性があるのでは
ないのでしょうか?
一つの枠組みが在ると、それ以外のものは考えられずに、同朋や
自らの命の価値すら考えなくなるという所が在るのではないのでしょうか?