サムライ左近法務事務所の事件帳

本業の法律事件の他、考古学、歴史学、戦国山城等を、その実証から紹介します。

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怒っている人の色は「栗色」なのか?

2011-06-30 11:11:27 | Weblog


健全な人は「無色」なのだそうである。
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アメリカの心理学者であるエルマー・ケイツ博士が
次のような実験結果を発表している。

「人間が吐き出す息をガラス管に入れ
液体空気で冷やしてやると沈殿物ができる」

これを分析すると
①怒っている人の色は「栗色」

②悲しみや苦痛の状態にある人の色は「灰色」

③後悔に苦しんでいる人の色は「淡紅色」

④健全な人の色は「無色」

に分かれるそうである。

①の怒っている人の沈殿物をネズミに注射
したところ、ネズミは数分間で死んでしまった。
と言われている。

さらには
一人の人間が一時間以上、腹を立て続けると
80人の人を殺すことができる毒物を発生する
のだそうである。

これは「オーラ」と呼ばれる
生体エネルギーにも見られるようである。

よい心がけの人のオーラは
「黄色・金色・ピンク」であり
悪い心がけの人や病気の人のオーラは
「緑色・ブルー」なのだそうである。

但し
修業することによって
良い色に変えることが可能であるとも
言われている。

将来、地球やそこで暮らす人々は
果たして何色に輝いているのだろうか。


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苦しみと感動は「紙一重」

2011-06-28 11:19:57 | Weblog


苦しみと感動は紙一重である。
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何の苦労もなく手に入れたものは
感動を伴わない。

だから
自分の能力に対し
いつも150%ぐらいの目標を設定する。

そうするとかなり努力する。
さらに極論を言えば、一生懸命
毎日努力しなければ手に入れることが
出来ない目標の設定がよいかも知れない。

そしてそれは
取り組む期間が長ければ長いほどよい。

苦節に耐えて歯を食いしばり
色々なものを犠牲にして手に入れるから
喜びが大きい。

真剣になるとは文字通り
刀を持って戦うことである。
一生に一回か二回、己の限界に挑戦
しなければ大きなものを手に入れることはできない。

但し身の程知らずで
はじめから全く「ダメ」であるとわかっているに
挑戦して哀れな思いをすることは避けるべきだ。

総じて失敗を恐れてはいけない。
たとえ過程において達成できなかった
としても、それは失敗ではない。

一日一生であり
人生はそもそも不公平との戦いなのである。


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離婚しても元には戻らない

2011-06-26 18:21:29 | Weblog




韓国、中国、インドでも、
ここ数年来離婚率が高まっている。
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こうした傾向は世界的とも言えるようである。

離婚の原因の第一は
女性の就業率と深く関わっている。
手に職を持つことによって
いざとなれば自分一人でも
生きていけるからである。

国の福祉制度もある程度行き届いているし
贅沢さえ言わなければ何とか生活できる。

二番目としては
離婚率の世界的な高まりにより
「市民権」を得たことである。

昔なら離婚することが一種の恥
後ろめたいこととされたが
今や町で外国人を見ると同じように
近所、親戚などに離婚している人を
見つけるのは容易になってしまった。

第三の原因としては
夫婦とも忍耐力に不足していることが
挙げられる。
結婚には当然ながら長い期間における
忍耐力が求められるからである。

翻ってみれば
もともと他人であった者同士が
共同生活を始めるわけである。
両親も育った環境も、考え方も違う者同士が
共に暮らすということは、決して甘いだけではない。

カーネギーは『人を動かす』の中で
家庭を幸福にする条件として七つ挙げている。

1 口やかましく言わない
2 長所を認める
3 あらさがしをしない
4 ほめる
5 ささやかな心づくしを怠らない
6 礼儀を守る
7 正しい性の知識を持つ

夫婦はうれしいことも嫌なことも
お互いに隠さず話し合えることである。

夫婦はお互いに本音で話し合える、
一番の味方でなければいけない。

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戒め

2011-06-24 15:17:47 | Weblog


五祖法演が弟子の仏果禅師に与えた言葉
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の一つに
「勢い使い尽くす可からず」があります。
所謂「法演の四戒」の中の教えの一つです。

仏果禅師は『碧厳録』を大成させた
中国宋代の高僧で、太平寺に住職するにあたり
仏果禅師に「およそ院に住す、己がために
戒むるもの」として与えたと言われています。

法演は自ら解説して
「勢い、もし使い尽くさば、禍必ず至る」
と言い切っています。

人間は調子に乗り易いもの。
しかし、実はこの時が一番恐ろしい。

絶好調の幸運時こそ、知らぬ間に
破局の種が蒔かれる。

人間は決して不幸のときに
不幸が始まるのではなく
「ツイている」ときに
破局の兆しが起きている。

と言えるわけです。


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漢氏の出自と果たした役割

2011-06-23 17:43:47 | Weblog


漢氏は応神朝に後漢の霊帝の子孫である
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阿知使主とその子の都加使主とが
「党類十七県」を率いて渡来したと伝えられている。

五世紀後半の雄略朝には都加使主が
百済王より献られた「今来の才估」と呼ばれた
新米の技術者を管理していたと言うが
虚構性が強いと指摘されている。

漢氏は五世紀末か六世紀の初頭、渡来し
彼らが管轄した今来漢人は六世紀前半を
中心とする時期に南朝系中国人を含む
百済から来た人たちを指すであろうと
されている。
漢氏はその同族に百済王から出たと
称するものが多いのも傍系証左とされる。

漢氏は渡来して大和の高市郡日檜前村に
落ち着いたと言われている。
この地はそもそも今来郡と言われていたが
のちに高市郡に改称されている。

檜前の地の西隣に広がる越智岡丘陵の
新沢千塚古墳群には
五世紀後半から六世紀後半に及ぶ
大型方墳や前方後円墳のほか
約五百基からなる小円墳がある。

これ等の古墳群の被葬者は、漢氏の系統を引く
ものと推定されるが
葛城氏や蘇我氏と結び付ける学者もいる。

彼ら漢氏は手工業の集団とされる
機織・製鉄・武器の生産に従事する新米の
渡来人を率いる大和朝廷の
官人的集団として存在した。

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秦氏の出自と果たした役割

2011-06-20 10:08:42 | Weblog


日本に渡ってきた人々の中で
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古代の渡来人勢力を代表するのが
秦氏と漢氏である。

この両氏は『古事記』『日本書紀』によると
共に応神朝に集団で移住したと伝えられる。
しかしながら四世紀末か五世紀初頭に当たる応神天皇
の実在性が疑問に付されるばかりではなく
日本書紀には、応神天皇と雄略天皇に
渡来人記事・外交記事など類似・共通するものが
多いところから、元来一つの内容の話を
二つに振り分けて記述したと見る
説が有力である。
従って倭王武とされる雄略天皇の時期を
考えるできであろう。

秦氏は秦の始皇帝の子孫の弓月君が
「百二十県の百姓」を率いて応神朝に来たと言う。
この渡来時期については前述のとおり
五世紀後半の雄略朝のころと考えられているが
確証はない。

秦氏の祖である弓月君は渡来後、
先ず大和の津間の掖上の地を与えられたと
言うが、それはのちに秦氏が大和朝廷に関与した
頃にできた話であり、本拠地は山背(京都府)に
あったと考えられる。

秦氏はその地に灌漑施設を設けて土地を拓き
農業・養蚕・機織を行って繁栄した。

秦氏が遠く秦の始皇帝に祖をもつとの伝承は
ハダの名の漢字表記が秦であることから
着想・形成されたものであって
歴史的な根拠はない。
またハダが朝鮮語で意味するパタ(ワダ)から生じ
海のかなたより来た人という見解は
早くからあるが確証はない。

秦氏が大和朝廷の財政の一翼を担う
地位に就いた理由は
従来の畿内各地の豪族と違った
遠隔地交易による新たな富の蓄積であった。
それは例えば山背の「葛野の大堰」造営に
窺われるような大規模な開発を主導した
ことにも求められる。

このようにして秦氏は山背を一大勢力圏として
欽明朝の政治を支え、
加えて西日本各地に新羅・加羅系渡来人を
「秦の民」秦人・秦人部として集団的に
組織し「九十二部一万八千六百七十人」
若しくは秦人の「戸数七千五十三戸」などと
称されるまでに大きな成長を遂げるのである。

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「縁」を切る法

2011-06-15 11:59:02 | Weblog


先日のテレビで観た「後妻打ち」。
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後妻打ち(うわなりうち)とは
日本の中世における夫が
後妻と結婚するとき、先妻が予告のうえで
後妻の家を襲う風習である。
但し、全てにではなく飽くまでも
「離婚して夫がひと月以内に再婚した場合」に
限られていたようである。
テレビでの場面は先妻も家柄が武士の出であり
後妻もまた武士の家柄であったが
室町時代ごろでは一般の庶民の間でも
かなり普及していたと言われている。

室町時代から江戸時代に亘って
夫婦関係において夫は圧倒的な権威をもっていた
ため、妻はその言に唯々諾々と従うしかない、
というようなものであった。
妻に何の落ち度もなくても夫は一方的に
「三行半」をたたきつけて妻を離縁すると
いうことが平気でまかり通っていた。
たとえ夫が飲んだくれであろうと暴力を振るおうと
妻はひたすら耐え忍び、自分から離縁を言い出すことは
できなかったとされる。

そうした中で唯一、妻を保護する場所が
縁切り寺であった。
世界でも類例を見ない縁切り寺は
二か所あった。
一つは鎌倉の東慶寺。
もう一つは群馬(旧、 上野国新田郷)
の満徳寺であった。

東慶寺は、近世を通じて群馬県の満徳寺と共に
「縁切寺(駆け込み寺)」として知られていた。
江戸時代、離婚請求権は夫の側にしか
認められていなかったが、夫と縁を切りたい女性は、
当寺で3年(のち2年)の間修行をすれば離婚が
認められるという「縁切寺法」という制度があった。
幕府公認の縁切寺として、江戸から多くの女性が
東慶寺を目指した。
但し、女性が駆け込んできてもすぐには寺に入れず、
まずは夫婦両者の言い分を聞いて
、夫が離縁状(いわゆる「三下り半」)を書くことに
同意すれば、すぐに離婚が成立したという。
また、実際には離婚に至らず、調停の結果、
復縁するケースも多かったという。
この制度は、女性からの離婚請求権が認められる
ようになる明治6年(1872年)まで続いた。

(開山以来、600年近く縁切寺法を残し続けた
東慶寺は明治4年、その法が禁じられることとなる。)

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本能寺の変にみる総論と各論

2011-05-24 17:59:02 | Weblog


『時は今 天が下知る 五月哉』

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の句は周知のとおり
明智光秀の作と言われる。

「時は今」は明智光秀の出と
言われる「土岐」一族を指すと
読まれているが、出自に至っては
多くの謎を残しているようである。

続く
「天が下知る」の「天が下」はそのまま
「天下」を指していると言われている。
そして
「知る」は「支配する」という意味とされる。

この句を詠んだのは
本能寺の変(1582年6月2日)の
直前の5月28日、
愛宕山西ノ坊で里村紹巴らと百韻の連歌会
を催した際と言われる。

丹波亀山から山城国に入る老ノ坂まで
兵には行き先を知らせずに行軍し
一気に本能寺と嫡男信忠がいた二条城を
襲った。

その後
本能寺の変から僅か11日後の
山崎の合戦で
秀吉の軍に敗れてしまう。

信長ほどの大きな存在を
殺した行動でもあったのにも関わらず
明智軍から大量の逃亡兵が出ていない
ことは賞賛に値すべき統率力であったと
作家の堺屋太一氏は『歴史の使い方』
の中で述べている。

光秀と秀吉には性格的に大きな違いがあった。
光秀の周囲には足利の幕臣、高僧、連歌師など
古い社会で認められた人々が多い。
どちらかと言えば、人嫌いであったらしい。

一方、秀吉は
人好きで、女性も多く、家臣ともたわいない
会話もしたらしいし、主君の信長にも
おくすることなく近寄っていった。

本能寺の変の教訓として
「総論」こそがすべてを決定すると
堺屋太一氏は指摘する。

信長の原点は「天下布武」
つまり、すべてを武士が取り仕切る絶対王政で
秀吉は素直にそれを引き継いだ。

一方、光秀は、そうした総論がよく理解できなかった。
各論的な改革を実行することで
「修正足利体制」をつくる発想になっていた。

この二人の思考・行動の違いが
判断の差となり、結果の明暗を決めていった。

秀吉は既に足利体制は滅んだと理解し
信長の後継者として、信長が始めた革命を
どう確立するか考え、それを実行していった。

ここに修正主義を旗頭とした光秀と
信長革命を継承する秀吉との
決定的な違いにより
歴史の勝者と敗者に分かれることに
なったのである。

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「神の手」の悲しみ

2011-05-23 20:30:37 | Weblog




今から三十年前のことである。
宮城県岩出山町の座散乱木遺跡から
四万年ないし五万年前の地層から
住居跡が発見された。

この当時、日本考古学の中では
三万年以上前に人類と呼べるものが
存在したか否か論争になっていた
矢先でもあった。

いた筈だと言う説と
いなかったと言う説が
激しく分かれる中にあって
アマチュアの発掘家が石器を発見し
「いた筈だ」説派に大きな勝利をもたらした。
その後も彼は次々と新発見をし
日本の旧石器時代は
十万年前→二十万年前
そして五十万年前まで遡ってしまった。

彼はこうした功績により
「神の手」を持つ男と称されてしまった。

しかし一方で
「怪しい」と疑念を持つ研究者もいたが
物証があるからと封じ込まれてしまった。

最終的には多くの皆さんがご存知の通り
「ねつ造」であった。
歴史の教科書は何度も塗り替えれ
かつて多くの考古学ファンが押し寄せた
座散乱木遺跡は、今は見る影もないほど
荒れ果てている。

振り返れば、この事件。
アマチュアの考古学者一人の
単独ねつ造事件として、幕が
閉じられてしまったが
これを「よいしょ」した人物が
大勢いたように思える。
悲しいかな
アマチュアの考古学者が
権威体質がはびこる学会において
認められることが
現実的には容易なことでない
といった負の証左でもある。
(元考古学専攻者)

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悪の使者・善の使者

2011-05-22 19:29:21 | Weblog


三不忘とは坂村真民氏の言葉である。

「貧しかった時のことを忘れるな。
苦労した時のことを忘れるな。
嬉しかった時のことをわすれるな。」

先ず最初に悪の使者が馬に乗ってやってくる。
これが謂わば、功成す前の苦労なのである。

そして、そのあと善の使者が牛に乗ってやってくる。
漸く苦労が認められたのである。

孟子曰く
天が、その人に大任をまかせようとするときは
必ず、その人を苦しめて、窮乏の境遇に置く。
従って、何をやってもうまくいかないのである。
それは、その人を鍛えるためのものであって
不運だと嘆いてはいけない。

何故なら、天は不運をもってその人を
試しているから。

総じて
何かあって財貨を失ったのは
いくらか失ったことである。

また不正で名誉を失ったのは
多くを失ったことである。

しかし、勇気を失ったことは
すべてを失ったことである。

乗り越えられない困難はないと私は
信じる。

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「忍」と「耐」

2011-05-21 21:05:14 | Weblog


忍」と云う字は
心臓に刃を突き付けられた状態を表わしている。
ときには命懸けで、じっと耐えることが
「忍」の字であると知っておくべきである。

人生の長い過程で
追い込まれることもこともある。
もがき、あがけばあがくほど
泥沼にはまり込み、ますます悪化していく。

そうしたときは
じっと耐えて流れの変わるのを待つのだ。

吉田兼好の言葉に
「一事を必ずなさんと思はば、
他の事の破るるをもいたむべからず。
人の嘲りをも恥ずべからず。
万事かえずしては一の大事なるべからず。」
とある。

要は
何かを得るということは
何かを失うことだと
腹をくくることである。

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誰にも知られたくないこと

2011-05-20 19:25:21 | Weblog


都合の悪いことは伏せておきたい。
-------------------
失敗も当然のこと、隠したい。
もちろん、本当のことは誰にも知られたくない。

しかし時間が経てば経つほど
その傷口は広がっていく。

発覚しなければ大丈夫だと思っていても
悪事は千里を走り、いずれわかってしまう。

ましてや、大きな事件、事故であれば
この情報時代において、ばれない筈がない。

隠そうと思ったが隠しきれず
白日の下に晒されたときに
失う信用は甚大である。

『失敗の予防学』の著者である
中尾政之氏は
日本ハムや雪印食品、野村証券などの
隠ぺい事件を数値化した結果を
こう結んでいる。

「組織にとって隠すには損である。
普通は隠すと10倍返しである」と。

事故や事件、アクシデントが降格や免職
または損害賠償などで解決がつくなら
まだしも、こと生命に関わるとなれば重大である。

中尾氏は大きな原因として
3つ挙げている。

1無知
2無視
3過信

無知とは
法律でセーフティ・ネットや安全事務が
あることを知らない。

無視とは
法律があることを知っているにも関わらず
守らない。

過信とは
読んで字のごとくである。

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謙虚と感謝

2011-05-19 17:23:00 | Weblog


古いことわざに
「天に口無し人をして言わしむ」

----------------------
があります。

意味はと問えば
「天はことばを発しないが、
天意は人の口を通して伝わるということ。
天の意志が大衆の声となって現れることを言う。」
と書かれています。

人の不幸を喜び、人の幸福をねたむのが
生身の人間の本音とも言えます。

この世の仕組みを
よく表わした言葉に「非理法権天」があります。

非は理に勝てず
理は法に勝てず
法は権に勝てず
権は天に勝てず

毎日の新聞に報じられる記事を見ると
折角、手に入れた地位や財産などを
事件を起こしたがゆえに
つぎつぎと失っていく人がいっぱいいます。

省みれば
成功者と言われる人々は
みな謙虚であり、感謝の心を持続しています。

この世の中において
人の手助けなくして成功することは
何一つあり得ません。

多くの人に支えられて生き
多くの人のお世話になっていることを
忘れた瞬間に奈落の底に突き落とされる。

感謝の心をもっていれば
自分が今日も生きているのではなく
生かされていることがわかってきます。

しかも
自分の生命を維持するために
植物、動物などの尊い生命を犠牲にして
自分が生きているからです。

自分が生きる権利があるとするならば
一本の草木だって
一匹の魚だって
同じ権利をもって生きているからです。


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「脇坂安元」と云う名の藩主

2011-05-18 19:08:32 | Weblog


貂の皮とは新潮文庫『馬上少年過ぐ』(司馬遼太郎)
に収録された脇坂安冶を記したものです。
-------------------------
脇坂安冶は「賤ヶ岳の七本槍」の一人として
有名ですが、その子である安元は
信州飯田の名君と呼ばれています。

江戸の初期、伊予大洲藩五万石から
国替えで飯田藩五万五千石で
やってきた脇坂安元は初代藩主となります。

この頃、幕府ではさかんに
全国の藩主や諸家の系譜編纂に傾注して
いましたので脇坂家も家系図を申告する
必要がありました。
多くの藩主が源平藤橘を先祖と
誇大?申告する中で安元は
祖父の代からの系譜を記し
「南北それとは知らず紫のゆかりばかりは末の橘」
の歌を添えたと言われています。
(紫は天皇家の末裔の意)

安元は歌集『八雲藻』などを世に出し
伊那谷の文化に貢献したと同時に
領内の開墾を行い、用水を整備し
こんにちの城下町の基本をつくった藩主
として評価されています。

因みに貂の皮は馬印に使われていました。

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女神は3回微笑みかける

2011-05-17 21:12:37 | Weblog


幸運の女神は
誰に対しても公平に
三回は微笑みかけると言われる。
しかし折角、微笑みかけても
知らん顔している人も多い。
あとになって気付いても、もう遅いのだ
そうである。
何故なら、幸運の女神には
前髪しかなく
後ろ髪がないから。

だから幸運を掴むには
待ち構えていて捕まえなければならない。

だが、最初にやってくるのは
馬の背に乗った悪い使者であるから
気をつけなければいけない。

幸運の女神ははにかみ屋で
牛の背に乗ってやってくる。
そして、さんざん苦労した人に
ニッコリ微笑みかける。

作家の津島佑子さんは
被災地の皆さんに向けて
「不運と不幸は違う」と書いていた。

「どんな不運に見舞われても、不幸になっちゃいけないよ」
 と。
翻ってみれば
苦労もしないで手に入れたものは
本物ではなく、すぐに手元から離れていく。
然も与えられたものは小さく
自らの手で勝ち取ったものが大きい。

楽を追えば楽は逃げてゆき
苦労から逃れようとすれば
苦労は追いかけてくる。

そうであるならば
いっそ思い切って苦労の
ふところに飛び込んでゆくほうがいい。


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