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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

「コリン・キャパニック選手は日本人でなくて幸運だった」(『フォーリン・ポリシー』)日本語訳!

2016-09-18 21:42:56 | 渡部通信
日本語訳をしてくださった 「Twitter : @SeijiBanashi」様、ありがとうございました!


以下、「渡部通信」より転載

前号のメールでお願いしましたでアレックスの論説翻訳の件ですが、早速お二人から翻訳支援の連絡がありました。

そのうちのお一人からは、以下のようなメールが届きました。
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辻谷です

渡部さんをはじめみなさんへ
渡部通信をグループzazaに転載しツイッターやフェイスブックでも日本語訳をお願いしたところ、ツイッタ「政治のお話」さんから訳が届きました。
また、フェイスブックで「友達」の愛知県の高校英語教員のMさんも3連休の間に訳すと言ってくださっています。Mさんにも送りましたが、「政治のお話」さんの訳を下記に貼り付けます。

以下転載~

こんにちは、以下が記事の翻訳です。文章は自由に訂正しても構いません。よろしくお願いします。

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「コリン・キャパニック選手は日本人でなくて幸運だった」

もしある人がコリン・キャパニック選手、もしくは彼の抗議に参加している他の人達、の「星条旗」起立斉唱拒否抗議が特に特別だとは思わない人がいるとすれば、それはほっそりとした60代後半の日本人女性である根津公子氏である。

今は退職した元教師である根津氏は国歌を軍国主義のシンボルとして見ており、20代の時から国歌起立を居座り続けてきた世界で最長の国歌斉唱レフューズニック(命令に抗議する人)である。彼女は処罰され、ある一時は無給で6ヶ月間停職され、そして抗議したことに対して無数の再教育クラスに出席することが強いられた。

彼女が抗議した「君が代」、それは日本の天皇が「さざれ石のいわおとなりてこけのむすまで」君臨されることが求められる長さが55秒の歌である。右翼は時折彼女の家の外に現れて、街宣車で東京まで追っかけまわし、彼女に「帰れ」と叫んでいた(彼女は北朝鮮人だと言いたかったようだ)。ある時には彼女の郵便ポストには伝統的な殺しの脅迫であるナイフまでが送られた。

根津氏は、ある意味ではキャパニック選手よりもだいぶいろんな目に遭って来た。だが彼女は彼に対して同情にあふれている。彼女は、「28歳という若さで、選手生命を覚悟しての行為ですから。私が『君が代』不起立でクビを覚悟したのは50代半ばでしたが、その時、私はこの歳だから自分が正しいと思う通りの行為ができるのかもしれない。もしも、20代30代で家庭責任があったら、クビを覚悟で不起立を続けることができただろうか、と考えることがありました。だから、コリン選手の思いと行為に感動するのです。」と述べた。

キャパニック選手の国歌抗議は、多少のアメリカ人には斬新だと感じるかもしれない。 だが国歌とは実際には世界中でスポーツ界内でもスポーツ界外でも抗議されている。それらの象徴的な価値観や理想的な歌詞(星条旗の「自由の地 勇者の故郷」は適例である)は常に聞き者がそれを利用して国の状況に対する論評をすることを招いてきた。

だがそれらの抗議とはそれ自体だけが興味深いのではない:その出現、それに対して呼び起こされる反応が、それらの国のナショナリズムの状態がさらけ出される。今のインドを見てみよう。過去二年間で、複数の人達が国歌起立をしないために映画館から追い出された。インドの国歌「ジャナ・ガナ・マナ」は、
ナレンドラ・モディ首相の下で復興したヒンドゥーナショナリズムの公共な役割を果たしているようだ。
国歌を上映する前に流すことはマハラシュトラ州やケララ州では義務的である。

<段落省略>

<段落省略>

だが国歌がもっとも長い間抗議されてきた国は、日本である。それは第二次世界大戦まで遡り、国歌とは天皇を中心とした個人崇拝を築くために重要な役割を果たした。戦後には、「戦場に再び教え子を送るな」がスローガンとされた新しい教師の組合が形成され、そしてその創立目的の一つは国歌を拒否することであった。

根津氏は子供のころには「君が代」を喜んで歌ったと言っていた。彼女は日本人としてそれ以上の誇りを感じられなかった。「私は他のどの人達よりもずっと幸運だと思っていました。特別の時にしか歌われなかったから、いつも聞く度にワクワクしていました」。だが大学のころには彼女は戦時下の中国と朝鮮での日本の残虐行為のことを読み、それらの国々で亡くなった人達は自分にはあった機会を失ったため、もう起立することは出来ないと決めた。

彼女の姿勢は彼女の教師経歴の大半の間は、何も問題はなかった。だが90年代に、政府は愛国心を培おうと、そしてそれを経済的な成功にまで結びつけ、 教師に起立させることを強制させようとした。それには、さまざまな発火点があった。 特に1997年の時に、北周辺の東京の学校で国歌が流された途端にこども達が一斉に立ち去り、それについては何週間も全国的に、そのこども達は模範的な存在なのか、それとももっとも最低なティーンエージャーなのかと言う議論が促された。彼らについては漫画でさえが描かれた。

状況が根津氏に対して変わったのは、2003年のころだった。同年に、東京都政府は、右翼の扇動者である石原慎太郎が指導し、もし教員が学校の新学年の始業日と卒業式に国歌起立を拒否すると、処罰すると言った。 (同じく大阪では右翼の扇動者である橋下徹の下でそれに追従した)。殆どの教員はそれに従ったが、根津氏と他の一握りの人達は何としても拒否を続けた。 彼女は最初は1ヶ月減給され、そして6ヶ月減給された。そして1ヶ月停職処分され、後に3ヶ月停職処分された。そして毎年、まるで彼女を退職させるためかのように、たまには家から2時間の通勤がかかる所にまで彼女には遠隔地の転勤命令がされた。

このような厳しい政策が殆どの日本人に受け入れられてしまった現実は、もしかすると日本がナショナリズムに傾倒しているのかもしれない。だが、それは殆どの人達が教員たちは抗議により一体何を主張していたのかが理解できなかったからなのかもしれない。戦争はもう70年以上前のことだった。国歌は、殆どの現代人にとっては、ただ地質学的に不可能な間の時間まで(石が岩に変わるまで)、愛されている天皇の君臨が続くことが促される歌である。

「私の家族は私が抗議することに何も問題はありませんでした。彼らは私のような母を持っていたことを知っていました。しかし、一部の教員や友達は私を除こうとし、それには大きな傷がつきました。でも、私が弱まっている時には、誰かが私を応援してくれたり、新しい教師が起立を拒否したりしたので、これからもずっと続けないといけないと思ったのです」。

日本のムードは東京で取り締まりの成功を収めた時期からは、変わっていない。7月に、元首相が「国歌を歌えない選手は日本代表ではない」と言い放った。安倍晋三が定期的に国歌を歌うことを推し進めたのは、驚くことではない。国歌を歌うことは、日本が自信を持つことのしるしとまで宣言した。

2011年に退職した後でも、根津氏は国歌を置き去りにすることはできない。彼女は彼女が受けた処罰を覆すために、そして国歌起立を強制するのは思想及び良心の自由の侵害なることを証明するために、
複数の裁判に関わっている。

キャパニック選手は根津氏の例からどのような教訓が得られるのだろうか?現実的な答えは、彼はアメリカの人種関係の状態、そして人々は国歌のようなシンボルをどのように扱うのか、と言う議論をグローバルに持ち出すことで、彼は彼が達成出来る限り達成つくした。日本の教師達はそのようなレベルの国の戦争の罪悪感や、国歌のふさわしさについての議論は、70年間の抗議の間では達成しなかった。だが彼が他の教師を習うとしたら、それは人々はすぐに彼の抗議に関して無関心になるが、それでも止める必要があるわけではないことである。

根津氏に対しては、キャパニック選手への主な教訓はややもっと平凡だ:彼が日本人ないことをありがたく思うべきだ。彼女は、「日本なら、即刻選手交代・追放とされると思います」と言った。
「だから、コリン選手の思いと行為に感動するのです」。

翻訳者: Twitter : @SeijiBanashi
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これに対し、根津さんから
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根津です。
ありがとうございました!助かりました。お二人にお礼の言葉をお伝えください。

なお、「特に1997年の時に、北周辺の東京の学校で国歌が流された途端にこども達が一斉に立ち去り、それについては何週間も全国的に、そのこども達は模範的な存在なのか、それとももっとも最低なティーンエージャーなのかと言う議論が促された。彼らについては漫画でさえが描かれた。」の部分は、2年前にインタビューを受けたときに私が話したことをもとに書かれたのだと思いますが、正確ではありません。1999年度の勤務校でのことだと思います。
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という返事があり、それに対し私から、以下のような返事を出しました。
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辻谷さん、根津さん

辻谷さんありがとうございました。

根津さんが指摘しているマンガの件ですが、これは『共和か死か!』で所沢高校の生徒たちが酷いマンガに書かれたことではないかと思います。

その中で、「最も有名な漫画家の一人さえそれについて、服装倒錯の生徒たちがお互い『セックスは私の人権だ』と叫びながらレイプしていると特徴づけたコミック・ストリップ(訳注;特定のストーリーを一連のコマやイラストレーションにより伝える、漫画の形式の一つ)を描いた。」と言う部分があります。

ですから、訳文には注釈が必要かと思います。

渡部。
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というわけで、あっという間に訳文が届きました。皆さん、本当にありがとうございました。

なお、この訳文を利用する場合には、以下の注釈を入れていただくとありがたいです。

<注釈>
文中、漫画のことがでてきますが、これはアレックスの著書『共和か死か!~世界国歌の旅』(2015年)の中で、所沢高校の生徒たちの「日・君」強制反対闘争(1997~1998年)を紹介するところで出てきたことで、そこには
「テレビ取材班は経過を報道するために学校の外に泊まり込み、
新聞は『この学校の問題なのか、またはこれらの生徒たちこそが
 日本が望む者なのか?』と問う社説を載せた。
 最も有名な漫画家の一人さえそれについて、
 服装倒錯の生徒たちがお互い『セックスは私の人権だ』と
 叫びながらレイプしていると特徴づけたコミック・ストリップ
 (訳注;特定のストーリーを一連のコマやイラストレーションに
より伝える、漫画の形式の一つ)を描いた。」
と書かれていました。
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