ザウルスの法則

真実は、受け容れられる者にはすがすがしい。
しかし、受け容れられない者には不快である。
ザウルスの法則

「ハリーポッター」の作者、“ふくろうブーム” に苦言

2016-03-09 05:48:40 | 動物

「ハリーポッター」 におけるフクロウ

 

フクロウ人気は「ハリーポッター」に端を発するとすでに書いた。

 たしかに小説や映画の「ハリーポッター」における孤独な主人公とフクロウとの心の通い合いはこの物語の中でも非常に重要なアスペクトでもある。作品中、フクロウは主人公にとってかけがえのない“伴侶” である。

しかし、これはまったくのフィクションである。フクロウという動物の実際の生態とはまったくかけ離れた ”お話” なのである。

 

 

 

作者自身は、フクロウの飼育に反対

2012年5月20日付の英国「ミラー」紙によると、ハリーポッターの作者のJ.K. ローリング自身が「主人公にあやかってフクロウをペットとして飼ったりするのはやめてほしいと訴えそれは間違っている」 とまで言っている。「そんなことをするかわりに、バードサンクチュアリーの賛助会員にでもなって、少しでも野生の鳥たちのためになることをしてほしい」 と言っている。http://www.mirror.co.uk/news/uk-news/hundreds-of-pet-owls-abandoned-after-840299

彼女が特別な主張をしているわけではない。決して過激な少数意見ではない。むしろ、ふつうのまともなイギリス人の健全な発想である。 

 

 

 

念のために言っておくが、バードサンクチュアリーとは、野鳥のための自然の保護区域のことで、“ふくろうカフェ” のことではない。J.K. ローリングが、自分の本の影響で、日本において “ふくろうカフェ " なるものが流行し、フクロウを飼うひとが増えていることを知ったら、悲しく思うにちがいない。

なぜだと思うか?自分の作品のために結果的にたくさんの罪もないフクロウたちが自由を奪われ不幸な境遇に陥っているからである。自分のファンタジー小説が誤解され、無数のフクロウたちが “ペット” として虐げられることになっているからである。彼女が喜ぶはずがなかろう。

 

“コスプレの小道具” としてのフクロウ

日本におけるフクロウブームにはおそらく、フクロウを「ハリーポッター」という ファンタジー映画のコスプレ道具 として利用している面がある。一本の魔法の杖やマントやマフラーよりも、はるかにリアリティーのある“”脇役” なのである。ファンタジーの世界に一挙に近づいたような気分に浸れる “道具” なのである。表面的なイメージ優先の日本独自の “コスプレ” の派生形態である。

 

そもそもフクロウという動物は、「ハリーポッター」に登場する以前から、歴史を通じて多くのの文化圏において 神秘的で、内省的で、知的で幻想的なイメージ があり、ハロウィーンでも定番の動物である。「ハリポタ」の作者もそういう 闇の世界からの使者 であるフクロウを自分の作品中の重要な “キャラクター” として用いている。つまり、フクロウじたいが、すでに多くの人間にとって “ファンタジーの動物” なのである。

 

 

  

 作者には罪はない

「ハリポタ」の作者が、主人公の “伴侶” として他の動物ではなく、フクロウを選んだのは必然的な選択であった。しかし、彼女には罪はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

問題は、ファンタジーと現実とが区別できない幼稚な人々にあり、その誤解と錯覚に乗じて金儲けしようとする 悪質な業者 たちにある。この二つの要素は日本社会に特徴的である。

 

フクロウは “伴侶” になるか?

わたしは、フクロウはハリーポッターの “伴侶” であると上に書いた。そうである。しかし、それはあくまでも フィクションの世界でのみ成立する関係 なのである。現実の世界ではありえない関係である。それが現実の世界でも成立するんだろうという、とんでもない誤解 が、多くのふくろうファンにはあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

“伴侶” animal companion  という関係は対等な関係である。少なくとも 相手の基本的な自由を認め、尊重 した可能な限り対等な関係であるはずだ。

  

 

 

 

 

 animal companions

 

 

 

 “足かせ” の意味

しかし、実際のフクロウと、むりやりこの “伴侶” としての関係を築こうとしても、けっきょくは “主人と奴隷” の関係なのである。それを象徴的に物語るのが、フクロウの脚にはめられた“足かせ” である。飼育されているフクロウは “伴侶” ではなく“奴隷” なのである。つまり、虐げられた存在 なのである。“飛ぶ”という、“鳥としての基本的な活動の自由” が奪われている境遇にある。今の日本では、ご主人様の自己満足のために、コスプレの演出道具として使われる “奴隷” なのである。「ハリーポッター」の物語の中の主人公に付き添う “伴侶”animal companion ではないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

犬や猫に足かせを付けて歩けないようにしているペットオーナーがいたとしてら、そのひとにはおそらく人格的に問題があると言えないだろうか。それでは、フクロウの場合はどうなのか?はっきり言おう、同じように人格的に問題がある。ふくろうカフェやふくろう販売業者たちはよく、「足かせは生まれたころから付けていて “慣れっこ” ですから、フクロウたちに特にストレスはありませんよ」 と判で押したように言うのだ。しかし、犬や猫だって生まれたころから足かせを付けていれば “慣れっこ” になるだろう。受け入れるほかないだろう。違うだろうか?人間だって足かせが “慣れっこ” な状態だった人々がたくさんいた時代があったのではないか?

“慣れっこ”にすれば、ストレスもなく、虐待にもならないという理屈が通るものだろうか?

“金儲け” や “自己満足” を正当化するための詭弁ではなかろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フクロウは、“伴侶”animal companion にはならないのである。最もなりにくい動物に属すると言ってもいいだろう。だからこそ、それだけいっそう人間の手に届かない自然の深奥の生きものとしての魅力があり、ほんのいっときでもそれに近づきたいと思うひとたち 、“ふくろうカフェ” に押しかけることになる。つまり“ふくろうカフェ” なるものは、誤解と錯覚と幻想の上に作られた いっときの “流行” なのである。

“ふくろうカフェ” は、

幼稚な人々 を誘引すべく、あこぎな業者 によって練り上げられた、 動物を商業的に搾取する日本独自のビジネスモデルである。

 

そして、このブームは、

動物の権利や他者の自由を尊重する気風に乏しい 未成熟な日本社会 が容認して、マスコミがもてはやしている恥ずべき社会現象である。

  

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