● I don't believe it.
● I can't believe it!
映画で上記のセリフが出たときに、日本語の字幕では、ふつうどちらも「ウソだろー!」となる。字幕であるから、細かいニュアンスは無視して当然であろう。しかし、ここでは、字幕では隠れてしまうその細かいニュアンスの違いにこだわってみたい。
まず、両者をそれぞれ 直訳(意訳) してみると、以下のようになるだろう。
● わたしはそれを信じません。 ( オレ、信じないよ、そんなの。)
● わたしはそれを信じられません! ( 信じらんなーい!)
これから映画を観るときは、上記の違いに気をつけてみたまえ。 "I can't believe it." よりも、意外に "I don't believe it." と言っていることが多いのに気づくだろう。実は、この don't と can't の違いが、日本人にはとかく無視されがちなのである。われわれ日本人は can や can't を必要以上に使う傾向がある。以下の例をみていただきたい。
1) I can't understand this. これは理解できません。
2) I can speak Chinese a little. 中国語を少し話せます。
3) Can you speak Japanese? 日本語を話せますか。
4) I can't swim well.. 上手に泳げません。
5) He can't drive a car. 彼は車の運転ができません。
"can't " はもちろん ”can の否定” であり、”能力の欠如” を意味する。 can は ”能力の所有” を意味する。それらをわかったうえで、上記のような英語を日本人は当たり前のように口にする。まるで以下のような表現が可能であることを知らないかのように。
1) I don't understand this. これはわかりません。
2) I speak Chinese a little. 中国語を少し話します。
3) Do you speak Japanese? 日本語を話しますか。
4) I don't swim well.. 泳ぎは上手ではありません。
5) He doesn't drive a car. 彼は車を運転しません。
「できる」、「できない」といった能力の表現でなくては伝えられないこともあるかもしれない。しかし、単なる「する」、「しない」というニュートラルな表現で十分意味が伝えられる場合も多いのではなかろうか。不必要に can や can't を使うのはいささか大げさで、場合によっては大人げない印象すら与える。
Can you speak French? という表現は、はっきり言って相手の能力を問うている。フランス語を話す能力を相手が有しているかどうかを問うている。就職試験の面接なら自然な質問かもしれない。いっぽう Do you speak French? は、能力を問うているのではない。単に話すかどうかを訊いているだけである。No, I don't. と答えるほうが、No, I can't. と答えるよりおそらく屈辱感は少ないだろう。Do you speak French? とは言っても、実際は能力を問いたいのだが、あえてニュートラルなかたちで訊いているということも大いにある。相手の能力を問うというのは考えようによっては、相手のプライバシーに踏み込んだ質問だからである。
逆に I can speak French. という表現は、聞きようによっては、自分の能力を誇示しているようにも取られかねない。I speak French. で済ますか、 can を入れるか、状況に応じて使い分けてみてもいいだろう。プライバシーを尊重する人は、上記のような場合、can を用いないニュートラルな表現を使う傾向がある。
さて、最初にあげた2つのセリフをあらためて見てみよう。
● I don't believe it.
● I can't believe it!
映画で、これらのセリフが発せられる場面は、たいてい、異常な、とんでもない状況である。そういった場面に直面したときに、I can't believe it! と大声でで絶叫するよりも、 I don't believe it. という、ニュートラルな、より抑えたセリフをボソッと言うほうが、効果的なのである。つまり、悲劇的な場面(家族の突然の事故死など)では真実味が増し、喜劇的な場面(エイリアンが目の前に現れるなど)では可笑しみが出るのである。特にイギリス人が得意とする understatement "過小表現"の効果である。異常な現実に直面して、それを事実として受け入れることができないという意味での "I can't believe it!" は、「不能の悲嘆」になる。いっぽう、異常な現実に直面して、それがたとえ事実であろうが、私は受け入れない、という意味での "I don't believe it!" は、「事実の拒絶」の表現と言えるだろう。
Do you understand? I hope you do.