『黒幕と言われた男』の著者の戯言

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皇后様のお歌

2014-04-30 11:40:09 | 日記
4月23日に皇后様のお歌についての記事をUPしたが、その折うっかりとタイトル欄に自分のブログ名を書いてしまった。23日のブログをお読みくださる方は、タイトルを「皇后様のお歌」と読み替えてくださるようお願いします。失礼しました。
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山中教授の謝罪会見

2014-04-29 12:27:20 | 日記
 山中教授の謝罪会見は苦渋に満ちたといおうか、まさに悔し涙をこらえての会見であった。14年前の論文データに問題があったとの指摘を受けてのことであるが、素人には鵜の目鷹の目であら捜しをしているような感じさえする。科学の世界だから一点の疑惑も許されないのは当然だとは思うものの、小保方氏に続く理研幹部への疑惑と辞任で科学への信頼は著しく傷ついたし、世界から見ても日本の学術レベルや倫理性まで評価を落としたうえに、さらに追い討ちをかけるように14年も以前のことを公表して山中教授に謝らせなければいけなかったのだろうか。
 あの世界は冷静にデータと理論がすべてでであるように見えながら、日進月歩の中での競争の激しさは時に嫉妬や足を引っ張る陰湿さを生むとも聞いている。誤りを指摘すること、それを認めて反省し謝罪するのは潔いが、その動機も曇りなく建設的であってほしい。
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『黒幕といわれた男』の著者の戯言

2014-04-23 11:20:11 | 日記
皇后様のお歌

 すでに旧聞になってしまったが、4月10日は天皇皇后両陛下のご結婚55周年記念日であった。新聞はもとより夜のTVは各局が競って特集を組んでいた。私の観たのはBS3チャンネルと記憶しているが、55年間の出来事の節目ふしめに皇后様の詠まれた短歌が紹介されていて心打たれた。皇后様が優れた歌人でいらっしゃることは、毎年の歌会始の御歌やときおり紹介される御歌で存じ上げていたが、ああやって時を追ってまとめて拝聴すると、皇后教育で和歌に接しられたのではなく、お小さいときから素養をお持ちになり、万葉集から古今和歌 近代短歌を経て今日に至る歌の流れをDNEとして吸収していらっしゃる印象を強く感じた。
 一つ一つの御歌を書き留めなかったのは不覚であったと深く悔いているが、天皇陛下が心臓手術を受けて退院されたときに詠まれた御歌は、春になれば元気な天皇が野に立たれるだろうと、まさに万葉集にある春の野で袂を振り合ったりされる叙景そのままである。(さらにいえば、三十一文字の中に執刀された天野医師の名前が織り込まれているという技巧、それでいて技巧や作為を感じさせない素直な心情の吐露になっている)
 
 ぜひ、皇后様の御歌が歌集として国民が親しく拝読できるように出版していただけないものかと希っている。
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小保方さん会見

2014-04-10 12:15:38 | 日記
 昨日の会見は彼女にとって世紀の会見であった。あれだけのマスコミを集めて林立するマイクの前で劣勢な立場から会見することは後にも先にもなかろう。しかも体調不良な彼女が2時間半を超える会見をこなしたことは立派だし、マナーとか話し方も質問者の顔を見て語尾まではっきりしていて健気であったし、なかなかの根性を感じた。

 しかし科学的な問題に対する応答はあいまいだし、これという実証的なデーターは提示されなかった。体調不良とはいえ準備不足は否めない。たとえば実験ノートの数だとか肝心のSTAP細胞の再現に成功した人に氏名を明かす了解を取るとか同席してもらうとか、そのことについて弁護士も協力しなかったのか。
 
 全体として歯に物の挟まったような印象で、理研から契約を更新したときに口止めされたのか、弁護士が作戦上制約を加えたのか。弁護士は法的な視点からしか助言しないから、科学者の世界に相談する人はなかったのだろうか。やはり理研に対抗する人には力を貸さないのだろうなあ。
 
 彼女は「悪意」という言葉に強く拒否感を持っている。それは当然だろう。一般人も「悪意」といえば犯罪につながる知能犯的なことを連想する。彼女の人柄からそれは感じられないが、法的な場で使われる言葉は少しニュアンスが異なることが心情的に納得しがたい気持ちには同情する。

 発表時に大騒ぎしすぎたから、マスコミも引けなかったのだろうけど大騒ぎするほどの記者会見ではなかったようだ。
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進化する伝統芸能

2014-04-05 11:07:03 | 日記
いろいろな分野で異質なものがコラボすることで新しい魅力が引き出されることは珍しいことではない。伝統芸能の領域においても実験的な舞台が高い評価を得つつある。
 
 たまたま、立て続けにそのような舞台を観た。

3月16日 京都府立文化芸術会館ホール
創作能 「葛城」 構成・演出・シテ 味方 玄(観世流能役者 シテ方)
         作曲       西邑 由記子(ピアノ)

 能は世界に誇る文化遺産であり、文楽や歌舞伎にも影響を与えてきたが、大胆にも能舞台を飛び出して照明・音響・舞台装置などの劇場機能を存分に活かし、笛・鼓・大鼓・太鼓とピアノが共演する。能舞台はあくまで象徴的で単純化されたものであるが、ここではその本質を損なわないで照明を加えることによって一層の幽玄の雰囲気をかもし出していた。
 ピアノもまた邦楽と競うのではなく、ピアノの聞かせどころを持ちながらもあくまで溶け込んで今回の舞台を成功させていた。 

3月28日 大阪フエステイバルホール
杉本文楽「曽根崎心中」構成・演出・美術・映像 杉本 博司(写真家 現代美術作家)
           作曲・演出       鶴澤 清治(義太夫節三味線方人間国宝)

 文楽劇場で観る文楽とは別物である。本来3人で遣う人形を一人で遣うように指示されて人形遣いの名人も仰天苦労したらしい。さらに人形遣いがみんな黒子になって顔を見せない。客席の照明も完全に落とされて人形遣いの存在さえ感じさせない。舞台上では人形のみに照明が集中してあたかも人形がひとりでに演技することになる。闇がこんなにまで美しく妖艶なもであることを納得させ、杉本が目指すエロスを表現して酔わせる。
 終演後のカーテンコールで人形遣いの人々も顔を見せ客席は総立ちであった。舞台としては大成功ながら 私には一抹の不満が残る。ホールが大きすぎるのだ。あのホールだからこそあの照明や映像ができるのはわかるけれど、舞台との距離が遠くて人形の眉や唇や手指の動きが見えない。また、人形遣いが人形とひとつになって主人公の喜怒哀楽と同じ表情をするのを見ることもできない。きれいな人形と並んで男の顔があるのは艶消しともいえるが、能だって美しい女性の面の下から男性の顎や首が見えるのは艶消しなので、そこをどう割り切るか。

 3月末の山折哲雄の新聞記事によると、4月~5月に狂言風オペラ「ドン・ジョバンニ」が公演されるという。茂山一門と野村又三郎 中村寿慶の鼓 ドイツのカンマーフイルハーモニーの共演 山折氏はこれを「もどき」いう概念で説明する。タイミングがあえばて観てみたい。  
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