度々の私事で恐縮だが先の記事でお伝えした私の姉の死に加え、今度は妻の姉の連れ合い すなわち義兄がこの12月半ばに逝去。兄姉を失うことは親のそれと違って身に応えるものがある。弟妹は間違いなく後を追うことになり、そろそろ心の準備をしておく必要を感じるからである。
以前、子供の疑問に答える「こども電話相談室」で、「人はなぜ死ぬの?」という問いに対して回答者は「年をとって死ななければ地球が人でいっぱいになってしまうから・・」と言った。けだし名言である。地球上で年寄りがゴロゴロしていれば邪魔になってしょうがないではないか。単純明快な話である。
また黒柳徹子が「長生きをしたい」と言ったら、当時存命の小沢昭一が「でも、『あの時はさー』と言ってもその時には思い出を共有できる人はいないよ」と答えたので「それは嫌だ!と思った」と聞いたことがある。
人類創世記では平均寿命は20代で30代となれば長老であり、織田信長の時代は「人間僅か50年」である。しかし今や男でも平均寿命は80才、太古の時代から見れば今の女性の男性に勝る平均寿命は「八百比丘尼」に近い化け物であろう。よって孫、曾孫にまみえることも出来ようし、ありがたいことでもあるが長生きは程々にしなければならない。
閑話休題
今年のマイブームは、ふと聞いたYou Tubeのヨーヨーマとイツァーク・パールマンの「ユーモレスク」である。イツァーク・パールマンの力強いヴァイオリンとヨーヨーマの軽妙なチェロ演奏が小澤征爾の指揮で素晴らしいハーモニーで奏でている。特にヨーヨーマがイツァーク・パールマンのヴァイオリンをチェロのピチカートで追うところが秀逸でPCを開くたびに聴いて楽しんでいる。
中学生の頃、始業前必ず「黙想」と称してクラシックを聴く数分間が設けられており、小品のシューマンの「トロイメライ」、バッハの「G線上のアリア」などが流れた。今にして思えばクラシックに親しむ良い機会であった。ユーモレスクもその時の曲でそのドボルザークの「新世界」も好きになった。また当時の音楽の教科書にはウエーバーの「魔弾の射手」やグルックの「精霊の踊り」などの一節がありYou TubeからD/Lし、今も懐かしく聴いている。
今年もご愛読ありがとうございました。
山口県萩沖の日本海です。