柚豆のスケッチブック

季節の手作りレシピと和布で楽しむ日々の装い

奥州藤原氏・鎮魂の歴史

2013-04-19 21:27:30 | 美術館めぐり

東北本線 平泉駅



中尊寺の入り口付近。


教科書で,前九年合戦,後三年合戦、とか習ったけどさっぱり覚えていない。

岩手日日新聞「岩手宝国」より

阿部氏と清原氏の戦、平泉の前史は死闘の日々だった。
清衡が七歳の時、父が朝廷に対する裏切り者として処刑される。
清衡も殺される運命だったが、清衡の母親が敵方の清原武貞に
見初められたことから連れ子として生きながらえることになった。
しかし、いずれも父か母が異なる三人の兄弟は複雑な境遇に置かれ
そのことが悲劇へとつながる。



再び泥沼の戦乱へ。悲惨な骨肉の争いにより、清衡は妻子を失う。
奇跡的に生き残った清衡は、実父の性である藤原を名乗る。
仏教に帰依した清衡は戦乱のない世を念願する。



金色堂の入り口

後三年合戦が終わったとき清衡は三十二歳、それ以降、黄金楽土づくりに専念。
七十一歳の時かってない規模で中尊寺落慶供養を営んだ。


白山神社能舞台

五月四日・五日は「御神事能」が行われます。

シテ,ワキ,囃子、狂言方という諸役を中尊寺の僧侶が務めます。これは全国唯一の例です。

人命だけでなく獣や鳥など犠牲になったすべての霊を慰め、極楽浄土に導きたいと、
「落慶供養願文」に記されている。今なお色あせることのないメッセージとして今の世に訴える。
だからこそ世界遺産としての価値を持ち、高度な技術が結集した文化遺産は輝くのでしょう。
その遺志は基衡、秀衡に受け継がれました。




久しぶりに、日本の歴史を勉強してみたくなった。







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