little by little and steadily

少しずつ着実に。野球を愛し、イーグルスを愛し、関西を愛し、まったりと忙しい大学生活・・・笑

自己紹介

2005年10月13日 | Weblog

↑2006年9月23日 フルキャストスタジアム宮城にて

どうも、ひらっちです
地元の同級生・マーシーのブログをパクって、いや、参考にさせていただき、自己紹介を作ってみました。ものすごい長文になっているので全部読むのが面倒だという方は、本文中の大きい文字を流し読みして、興味をお持ちになった部分の周辺だけでも読んでいただけると幸いです。では、BGMスタート

当ブログのgoo ID、yuuwkai61の61は川口憲史選手の背番号、yuuwkaiは私の本名と憧れの人(後で熱く語ります)の名前の一部を組み合わせたものです。このブログのタイトルlittle by little and steadily(少しずつ着実に)には、イーグルスそして私の人生への熱い想いがこもっています。

私の趣味は何と言っても野球です。一日の半分以上は野球のことを考えているかもしれません。高3の夏までは硬式野球をやっていましたが、今は「観るのみ」です。普段はプロ野球観戦が多いのですが、時期に応じて、高校野球やら大学野球やら社会人野球やら、野球と名の付くところにはよく出没します。ちなみにプロ野球のときは外野スタンドで騒ぎまくっているのですが、アマチュア野球のときは、ぼーっと眺めたり、プレーしている気分になって選手の気持ちを想像してみたりしながら内野スタンドで観戦するのが好みです。
こんな私がかつて愛していたプロ野球チームは、今は亡き
大阪近鉄バファローズです。今は愛していないというわけではないのですが、私を熱いプロ野球ファンへと導いてくれたチーム、数々の楽しい時間を与えてくれたチームとして、良い思い出になっています。現在こんな状態ですので、当ブログ内の「バファローズ」とは、大阪近鉄バファローズのことを指しています。合併球団のことではありません。そして、今は東北楽天ゴールデンイーグルスに全てを捧げています。と言っても川口憲史選手をはじめ、元バファローズの選手をひいき目に見てしまうのは許してください。関西で試合が行われるとき(まれに関西以外も)には、この記事のトップに掲載しているレプリカKAWAGUCHIユニを着てよくレフトスタンドに出没するので、もし良ければ声でもかけてください。

↑2006年9月27日 スカイマークスタジアムにて

悲劇の2004年シーズンオフには「野球ファンをやめよう」と思ったこともあったのですが、私がそんなことできるわけもなくイーグルスファンとなりました。このときに合併球団ファンになるという選択肢は全くありませんでした。その理由は「反対運動中に『合併球団は絶対に応援しない』と忠告していたにも関わらず、オリックスは撤回をしなかった。よって私には応援してほしくないという意思表示と見なします」でした。今でもこの考え方を貫いているあたりを見ると、私はなかなかの頑固者なのかもしれません。笑

こんな野球一色の人間なので「普段は何してるねん?こいつ」とお思いになっている方もおられるかもしれませんが、きっちり学生をやっています。現在、立命館大学政策科学部の1回生です。「政策科学部」と言うと、ほぼ確実に「何をする学部なん?」という質問が返ってきます。正直なところ、何でもやっています やろうと思えば何でもできるけど、やらなければ何も残らないといった感じです。こんな学部なので例の質問に一言で答えるのは難しく、「政策、作る製作の方じゃなくて政治の政に策略の策の方、そうpolicyやで。その政策を科学して、社会の問題とかに取り組んでいく感じかな~」と答えるようにしています。すると3割ぐらいの人は「お~、将来は政治家か?」みたいな返しをしてきます・・・まさか そんなこと考えたこともありません。私の知っている限りでは政治家を目指している人はいません。「じゃぁ、何を目指してるねん」ということになりますが、私が目指しているのは「情報や感動、笑い、楽しい時間等を映像を通して皆様に伝えられ、親しみを持って観ていただける人」です。簡単に言うと、アナウンサーです。
yuuwkaiの由来にもなった、憧れの人について語るときがやってきました。その憧れの人とは、毎日放送上泉雄一アナウンサーです。アナウンサーを目指しているというより、上泉さんを目指していると言った方が正しいかもしれません。上泉さんに憧れを抱くようになったきっかけは私が中学生だった頃のある金曜日のことです。夕方のちちんぷいぷいという番組では、金曜日にアナウンサーが各地に赴いての中継が行われているのですが、当時担当されていたのが上泉さんでした。その日は京都のお寺からの中継で、私は祖母と観ていました。テレビには、そのお寺の歴史等を的確に紹介する上泉さんが映っていました。祖母は「このアナウンサーはいつもわかりやすく説明しはる。かしこい人やで」と関心。私も同感。上泉さんは吉本の芸人さんが多数出演する番組の司会もされていたのでこの以前からテレビで見ていたのですが、このとき私は祖母の隣で、上泉さんはテレビを通して多くの人に様々な感動を与えているということに気づいたのです。衝撃が走りました。さらに私は当時から時間が許す限りずっと喋っているタイプの人間でした。 
「本当にやりたい仕事はこれやっ
 
そう確信しました。その気持ちは約5年が経った今でも全く変わっていません。上泉さんと同じ毎日放送にアナウンサーとして入社することを夢見て、日々大学生活を送っています。

こんな風に明確な夢を持てたことで、よかったこともすでに経験しました。それは中学・高校で進路を真剣に悩めたことです。特に高校進学のときは、この夢が無ければおそらくあまり深く考えずに普通科の高校に普通に進学していたと思います。しかし中3の私は「アナウンサーになるためには何が必要か?それをどこの高校で学べるか?」と、来る日も来る日も悩みました。普通科と英語科で悩みました。ただアナウンサーになるためだけに。その結果出した答えが大阪市立南高等学校英語科でした。その決断が今となっては良い経験だったとも思える試練の始まりだったのです。

大阪市立南高校は、大阪では雛人形・五月人形と花火のまっちゃまちとして有名な松屋町というところにある、全校生徒約480人の小さな高校です。かなり個性的で、「大阪で最初に設置された英語科」「日本唯一の国語科」のみが設置されていて普通科が無いという、超文系の高校です。
そのため生徒の男女比でいうと、ほぼ女子高です。特に私の学年は全16人の男子が受験したにもかかわらず、12人不合格という波乱が起きたため、各科2人、学年の全男子4人という状態でした。クラスの男女比は1:19でした。 普通に息をするのも難しい環境です。特に休み時間は悲惨で、非常に暇でした。ただ、人間の環境適応能力はすばらしいもので、卒業する頃には息でも何でもできるようになって、休み時間には何もせず、ただ時間を過ごすという荒業を完全に習得していました。 今思うと、甲子園での超アウェー状態が楽しくて大好きという心理は高校3年間の教室環境が原因なのかも知れません。 
まぁどっちにしても、教室では逆転不可能な圧倒的弱者にならざるを得ないので、数少ない男が集まる野球部の活動は、より一層楽しくなるのです。
暑い日も、寒い日も、都会の狭いグラウンドで練習に励んだ、入学から高3夏の大会までの2年3ヶ月はあっという間でした。朝からティーバッティングをやった時期もありました。練習後には荷物を部室に置いて、地下鉄で10分、自転車でも20分の大阪ドームに行ったことも多々ありました。いろんな意味であのグラウンドを私物化していました。 大阪市教育委員会に怒られてもあれなので、あまり詳しくは書きませんが・・・ 練習では少ない人数なので、マネージャーさんに本当にお世話になりました。マネージャーさん無しではあの人数の練習は成立しません。
最後の大会の直前には「強豪校もこの厳しい環境では自分たちほど真剣には取り組めないだろう。他のチームと比べてどう、ではなく自分たちがやってきた野球を誇りに思い、その成果を大会で出しきろう」と思えました。今になってみると、その気持ちが全く悔いなく引退できた自分のピッチングにつながったと信じています。

↑2005年7月15日 夏の高校野球大阪大会

この部活から高校で野球をやったということはもちろん、それ以外の財産を多く得ることができました。
まず、多くの方々との出会いです。顧問の先生方にはどんなことでも親身になって話していただけました。野球のことはもちろん、人生のこと、人間関係のこと、進学・就職のこと・・・挙げだすときりがありません。さらに多くの先輩方ともお話する機会がありました。おそらく普通の野球部だったら、なかなか親しくなれないようなぐらい上の学年の、個性豊かな先輩方にもかわいがってもらっています。
立命館のAO入試のときには、野球部の顧問ではなかったのですが、いろいろ教えてくださっていた社会科の先生につきっきりで国際NGOについて教えていただき、立命館に進学した先輩から入試の出題形態についての詳しい情報をいただきました。本当にお世話になりました 心から感謝しています。
その他には、たまにメディアに取り上げていただけたのも良い思い出です。少ない部員で頑張っているということで注目されやすいようで、朝日新聞の高校野球特集大阪版の一面に写真と紹介文をでっかく載せていただいたこともありました。これもかなりうれしかったのですが、さらにうれしかったのは、私の最後の夏の大会でのピッチングの姿を谷上史朗さんのコラムに私の特集の様に書いていただいたときでした。人数以外のことを取り上げていただいたのは初めてだったので本当に自分で感動しました。その記事のコピーを今でも持っているので、人生の要所要所で知人に公開して、感動していただいています。 
とんでもない大記録(気になる方は第85回大阪大会のスコアを片っ端から調べてください)を作ったり、メディアに取り上げていただいたりと、3回の夏の大会全てに思い出を残し、普通に生活していては学べないものを得ることができた自分の野球人生を誇りに思っています。
あと、こんなほぼ女子高を卒業したことから得たものの中で、大学に入ってから気づいたものもあります。それは「変わった経歴」です 大学生のおっさんが「女子高出身です」とか言い出したら、その時点でつかみはOKです しかも、そのおっさんは大阪弁ばりばりで東北に行ったこともない(大学入学当時)くせに「楽天ファンです」とか言い出すんですよ もう文句のつけどころがありません 宴でも30分は軽くトークがもちます。喋るだけ喋って、そこでさきほどのコラムの話題なんかを持ち出したら、もういじりどころ満載のかなり印象に残る大学生が完成です


私が毎日放送を目指すのには上泉さんへの憧れ以外にも理由があります。私が

「吹田で生まれ、東大阪で育ち、

京都在住」
という完全な関西人だということです。治安は悪いものの、説明不要な個性を持った大阪、古都、京都・奈良、おしゃれな街神戸、自然が豊富に残る和歌山、琵琶湖のある滋賀・・・それぞれが全く違った顔をもつ府県が集まる関西をたまらなく愛しています。芸人さんにいじられ、商店街に行ったらヒョウ柄のおばちゃんにべたべた触られ、関西人のみなさんから親しみを持って見てもらえる、そんな地元密着型アナウンサーになることを夢見ています。こんな私なので、ブログの記事も無意識のうちに関西目線になっていると思います。

あっという間に私の今までの生き様や考え方の大半を書いてしまいました。やっぱり私は「しゃべり」なようです。 コメント・TB、そして球場でのおしゃべり大歓迎です 私、そして当ブログ「little by little and steadily」をよろしくお願いします

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