夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2017年 5月21日(日)「民主主義の欠如と力」

2017年05月21日 09時49分38秒 | 「思うこと」
ブログ内「5月21日という日」を読み返していたら以下のようなことを書いていた。
「いやなことを思い出した。
ある会議の中で議論が白熱をしてきたとき、「そんなに反対するなら自分でやればいいだろう」「俺はいやだったがたのまれてやっている。お前がやればいい。俺はいつでもやめるから」という議論が飛び出していた。僕は黙って聞いていただけど嫌な気分になった。
こういうことを言う人間に限って「皆さんの意見を聞かせていただき皆で決めたいと思う」などと言う。しかし真に受けて反対意見をいうと先のような言葉が飛び出すのである。そしてこういう人に限ってその役を降りることはないし、「あなたがやればいい」と言ったそのあなたと言う人が条件を出してその条件のもとにやると言うと、その条件は飲めないと言う。
結局は、反対意見を封じ込める手段だったのである。
「見解の相違だ!」と片付けるのも嫌いである。。。。何も提案者を否定するつもりはないのであり、「見解の相違があるから話し合っているのに」
」」

「そんなに反対するなら自分でやればいいだろう」「お前がやればいい。俺はいつでもやめるから」
これも力の誇示の一つです。
こういった討議を重ねるという民主主義が今の国会等の政治世界に限らず社会の隅々にあるのではないでしょうか。
また、日本は根回しの社会ともいわれる。
事前の討議課題を知らせることと、責任者としての見解を書くことは良いのですが、日本の根回しは違いますね。
これは何もその中心にいる人々の問題ではなくてそこに参加するすべての人々の問題でもあります。
会議なんて早く終わらせろよと自らが討議をないがしろにしてしまう風潮。これが社会全体の大切なものを決める時に、「いつまで討議をするんだ。決められない政治は誤りだ!!」とか。結局これが数の力で良いもも悪いも、味噌も糞も一緒に決定していくわけです。
単純多数決が民主主義だという誤りに気づきはじめる情勢ですね。

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