夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

3月 6日という日

2017年03月06日 15時10分44秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2004年】
黒い雲の隙間から時々すうっと日が差込みます。午前中はよい天気でしたが・・・・
布団を干して買い物に出かけたら、急に黒い雲が出てきたのであせってしまいました。
今夜は、牛乳やヨーグルトそしてカレー粉を入れて、チキンのか煮込みを作ってみようと思います。さてうまくいくかどうか?あとはサバの味噌煮・・・?どういう取り合わせかぁ。。。ハハハ

【2005年】
神奈川県にある水族館に行ってきました。
海辺にあるのですが、すごい風でした。気温も低かったので体感温度は氷点下並み。予報では雨か雪とあったのですが降らないだけすくわれました。
それにしても入館料が目の玉が飛び出るほど高かったです。たしかに大きな水族館ですし、白熊やラッコもいるので運営していくには大変なのでしょうが、それにしても高いです。駐車場も1000円。。。。
財布は軽くなりました。
大江健三郎の本は、半分ほど読みました。
ト書きもなく、小さな文字がびっしりと書かれています。何だか読むのが辛くなる本です(笑)後半月ほどかかりそう。。。。
さすがにノーベル賞作家というのでしょうか、並みの小説ではないです。

【2006年】
晴れは続きませんなぁ。。。。
        春一番のような風が吹きました。
風呂の脱衣場の天井に黒カビみたいなしみが出てきてしまい、このままだと梅雨時には悲惨なことになると思い防カビペンキを買ってきました。温かくて天気のよい日にペンキ塗りに挑戦です。店の親父さんが濃すぎたときはペンキを薄めてくれというので、シンナーも下さいといったら、今はシンナーなんて使わないよ。。。水でいいのと。臭いも昔のペンキに比べてだいぶしなくなったようです。
今、手作り豆腐に挑戦中です。
とは言っても豆乳とニガリを買ってきて作るだけですが。だいぶ前に大豆の豆からの豆腐作りに挑戦したことがあったのですが、悲惨でした。
半手作り豆腐とはいえ、消砲材も入っていないし、豆乳も一応北海道産大豆遺伝子組み換えでないというものですから少しは安心して食べられるかと思います。

電子レンジでチン♪。。。。
今できました。
うまく固まったようですので、アラ熱が取れたら冷蔵庫で冷やします。茶碗蒸しの容器で作ったので、特性タレを作って少しづつかけてスプーンでいただきます。

【2007年】
すごいものを見てしまった。。。。
交差点で赤信号で止まっていたらパトカーのサイレンの音。なんだろ?と思ったら、バイクがすごい勢いで交差点を通過。その後を追うようにパトカーが通過。。。。
なんだかテレビの刑事ものを見ているようだった。
テレビ番組で、警察の24時間を追うような番組がありますが、こういうのってほんとにある話なのかと実感しました。
実家に行ってきました。
ドアを開けて入ったら、お袋がひょこひょこと歩いていた。。。。。
骨折といっても折れ所がよかったみたいです。ギブスはしていますが。。。。。
新ジャガや新玉ねぎが出始めました。おいしそうなので買ってきました。
新ジャガは、カレー用豚肉と一緒に煮付け、新玉ねぎはスライスをしてドレッシングで食べました。新ジャガはホクホク。。。。
新玉ねぎは、甘みがありました。

【2008年】
すごいものを見てしまった。。。。
交差点で赤信号で止まっていたらパトカーのサイレンの音。なんだろ?と思ったら、バイクがすごい勢いで交差点を通過。その後を追うようにパトカーが通過。。。。
なんだかテレビの刑事ものを見ているようだった。
テレビ番組で、警察の24時間を追うような番組がありますが、こういうのってほんとにある話なのかと実感しました。
実家に行ってきました。
ドアを開けて入ったら、お袋がひょこひょこと歩いていた。。。。。
骨折といっても折れ所がよかったみたいです。ギブスはしていますが。。。。。
新ジャガや新玉ねぎが出始めました。おいしそうなので買ってきました。
新ジャガは、カレー用豚肉と一緒に煮付け、新玉ねぎはスライスをしてドレッシングで食べました。新ジャガはホクホク。。。。
新玉ねぎは、甘みがありました。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
夜明け
窓を見たら雨
春の雨かなと。。。
でも、冷たい雨でした
出窓のミニシクラメンがたくさんの花をつけています。
一つのつぼみが今にも開きそう。でも、いつも見つめているのに開く瞬間は見たことがありません。花は隠れてひっそりと咲きます。
銀色夏生さんの「つれづれノート」を三分の一ほど読みました。
ずいぶんゆっくりなペースです。読めるときに読んでいます。

【2011年】
昨日は、ネギ間の焼き鳥を自宅で作りたくなり鶏肉と長ネギを買ってきました。しかし家の中で直火で焼き煙をモコモコ出すわけにはいかない。ガスコンロの魚焼き網で焼こうとしましたがなんとなく串までが燃えそうですし。。。
そこでフライパンで焼鳥らしきものにしました。
串に鶏肉と長ネギを2,3センチほどに切ったものを交互に刺していきます。
これを軽く両面に塩コショウをして小麦粉をつけてフライパンに油を敷いて焼きます。
香ばしく焼けたら少しの水と焼肉のタレ(昨夜は好きなモランボンの「ジャン」)を入れてタレが小麦粉で少しとろっとして肉に火が通ったらできあがりです。
好評でした。。。。
鶏肉と書くときは「鶏」ですが、焼き鳥と書くときは「鳥」ですなぁ。。。。いや、なんてことはないことなんですが、少し気になる(笑)
今日は朝早くおにぎりを作って娘とドライブに出掛けました。
まずは1時間半ほど走って高尾山へ。
ケーブルカーで登って山の上にある神社に行きました。天気もよく気温も高くて気持ちのよくケーブルカーの駅から歩きました。
お参りも済み、さて下りようかと歩き始めたら娘がおみくじをやりたいというので引かせてみました。
「お父さん、小さい吉だって。。。。」
「どれどれ・・・」と上から読み始めて最後まで読んだら、一番下の段のすべての運勢がどこかで読んだことがあるような。。。。?
病気の項。。。。「重し 医師に頼め」
はっとして思い出しました!!今読んでいる夏生さんの「しげちゃん田んぼに立つ」の71ページに書いてある「せっせ」が母親「しげちゃん」に引かせたおみくじと同じなのです。まさかと思いながらも家に帰ってほんの中のおみくじの写真を見たら、なんとやはりまったく同じでした!!
神社のおみくじは4種類ほどあり、それぞれにおみくじがたくさんは行っていたのですが、その中から今日のおみくじを引くというのは奇跡に等しいわけで、何かの縁としか考えられないわけでしてびっくりしました。
おみくじも全国規模で作っているのでしょうか?
もしかして。。。というか、キット「しげちゃん」が引いたおみくじは「開運 とんぼ玉」おみくじだと思います。
おみくじは本にはさんで一緒に大切にしたいと思います。
「病気・・・・・重し 医師に頼め」とは。。。。。我が家も人事ではない。どんよりしますが、夏生さんパワーをもらったつもりで。。。。神や仏よりも夏生パワー!!

【2012年】
昨日も放射線によるリスクについて書きましたが、このリスクとはどのようなものでしょうか?
ある放射線量に被ばくすると癌の発病が10%高くなるとします。リスクが高くなるということですが、このリスクの中身は100人中10人が発癌するという確率ではないと思うのです。90人が発病せずに10人が発病するという単純な確率ではないと思うのです。100人すべてが10%のリスクを背負うというこで、発病するのは0人かもしれないし、100人が発病するかもしれないことではないかと思います。
昨日引用したサイトでは年間100ミリシーベルト以上だと発がんのリスクが高くなり以下だとほとんど影響はないといったものだと思いますが、一方では専門家によっては低線量でも発がんのリスクは高くなるとも言われています。この専門家による放射線の影響に対する見解の違いはどこから来るのでしょうか。
その答えの一つとして上にも書いたように発がんのリスクは100人中何人が発病するかではなくて、100人すべての人が10%のリスクを背負ということにあると思います。他の病気にしても同じ環境に生活していても罹病する人としない人がいるわけです。これは男女差や年齢差にもそして遺伝子にもあるわけですから、あるときには10%以下の人しか発症せず、あるときには10%以上の人が発症することもあるわけです。放射線被ばくのガンのリスク(確立)も同じように考えなくてはいけないのではないでしょうか。この差異は放射線量の量によってリスクが高まるというだけではなくてある条件では低線量の場合でも発病するということにもつながります。
一度に致死量の放射線を浴びたときなどはリスクや確率もわかりやすいのですが、例えば100ミリシーベルトとなるとすぐに死んだり発病をしたりするわけではないと思うのですが、高齢者は発病をするまでに寿命を迎えたりしますから発病件数には入らない。若い方は発病をするまで寿命があるわけです。ここにも発病件数のパーセンテージは違ってくるでしょう。よくわからないのですが、年間100ミリシーベルトなら大丈夫と言いますが、それは原発などで働くような人が1年でやめて被ばくから離れるといったような場合で、2年間あるいは5年間という時間の間100ミリシーベルトを浴びても同じ結果なのでしょうか?除染をして50ミリシーベルトになったとしても浴び続けている50ミリシーベルトという数値を浴び続けることがどうなのでしょうか。これは低線量だから大丈夫というものを覆していくのではないでしょうか。やはり100人すべてが10%のリスクを背負うというこで、発病するのは0人かもしれないし、100人が発病するかもしれないことではないかということです。
原発事故時においてどこまで被ばく線量の数値を許容していくかという議論からがれき拡散の問題や食品などの線量がの不安が広がる。そうではなくて今の日本においてどこまで被ばく線量を下げられるかの視点と政策が大切でしょう。これが「リスク管理」でしょう。

【2013年】
製造業において生産性は、ある産業内でその企業の生産性は異なる。
A社。。。労働者100人当たり1日で6万個の商品生産
B社。。。4万個
C社。。。2万個
とすると、生産性の高いのはA社、B社、C社の順になる。
当然ここではA社が製造ずる1個当たりの商品の価値は安くなる。市場において同時にこの3社の商品が出たとするならば、その時B商品の1個当たりの価値が平均となりその平均の価値で売れるとする。するとA社は1個当たりの商品に対する儲けが大きくなる。C社は少なくなる。
ここに企業間競争があるのであり、より利益を得ようとして生産性の向上に向かう。
この生産性の向上はこの産業の商品をより大量に市場に流し込むという事である。その大量の商品が獲れる間はいいが生産過剰気味になると、儲けの少ない企業がつぶれるか生産する商品量を調整するようになる。A社が生産量を1日当たり3万個に減らしたらどうなるか。当然雇用者数も半分の50人にしてこの50人で3万個の商品を生産するでしょう。そうすると50人が過剰となり、雇用者数は減らされる。
ですから生産性の向上は雇用を減らす結果になることがある。
雇用を減らさないためには、拡大再生産を繰り返すしかないでしょう。しかしこれは市場の商品量を過剰気味にする。
こう見ると生産性の向上は雇用を減らす悪となる。たしかに今の社会の企業論理からすれば悪となる。
しかしこの生産性の向上は労働時間の短縮を可能にする善でもある。
少ない労働者数でより多くの商品が生産されこれが過剰気味にならないように労働時間を短縮すればいいわけです。これまでの歴史を見ても労働者の状態の改善は賃金額だけではなくて時短にもあった。
ですから生産性の向上は労働者の状態を改善するようにさせるために用いる社会が良いわけです。
しかし時短をして労働者数を減らさないとすれば企業のコストが上がって賃下げをしなければならないとなるのも生産性向上の悪の面なのです。
生産性の向上は単位時間当たりの労働力量を減らすのですから当然その商品の価値低下を伴う。という事は市場での価格を下げることに役立つという事です。この価格の下落は同じ賃金でも労働者は豊かな生活ができるという事です。多くの全体の産業が生産性の向上が行われて商品価値が下がり価格も下落をしたらどうでしょうか?労働者の賃金はここで初めて下げてもよいという方向になるのです。商品の市場価格を商品の価値どおりに変動させることから労働者は同じ賃金でも豊かになり豊かさが限界をこえれば賃下げの条件になる。これもまた生産性の向上の禅の部分です。
しかし今の社会はこれをデフレとする。だから生産性の向上が悪となる。雇用を減らせられれば善となるという論理である。
未来の資本主義の発展とは、生産性の向上を悪とすること、すなわち雇用を減らせないなら空くとするといった社会でしょうか?
労働力といっても生身の人間の体が持つ能力です。そうするとこの労働力を常に確保するには社会は社会保障等でこれを手助けしなければならない。個人的努力ではなくて社会のシステムとして作り上げるシステムです。保育園や学校などの子育ての金が必要なくなれば市場の商品はその分売れるようになりますし、またはその分賃下げができるようになる条件でもあります。
ですから生産性の向上の善の部分を活かさねばならない。
こう書くと今も賃下げや雇用の喪失には社会が生活保護や失業手当などで保証しているじゃないか。だから企業が雇用を減らす事もいいのではないかといった的外れな考え方も出てきます。しかしこれは逆立ちをした論理なのです。企業が好き勝手に賃下げしたり解雇できるから社会保障が必要になる。そうではなくて社会保障が進むことにより賃下げができるほどの労働者の生活の安定が保証されているという事からの賃下げ条件です。

【2014年】
以下今日の連続ツイートの転載。

アベノミクス、広がる懐疑的評価とデフレ待望論~増えない輸出、物価上昇で生活打撃 http://biz-journal.jp/2014/03/post_406.html… @tocanailandさんから デフレ期待やデフレ待望というのもまた間違った提起で「デフレ不況待望」ととらえられかねない。物価が下がる法則性に従った経済
夕螺の一言日記: 2014年 3月 5日(水)2「国民生活視点で」 http://pub.ne.jp/yuura2/?entry_d=5219716… 最近ではインフレターゲットとはほとんど聞かなくなったと思います。やはりインフレと単なる物価上昇目標とは違うわけです。その中に国民生活の低下、貧困化、格差の拡大が。
先ほどツイートした「アベノミクス、広がる懐疑的評価とデフレ待望論」への返信と、昨日書いたものの中身↑とは相対する間違った論理という点で共通している。
インフレとは景気の過熱による需要の急激な増大により物価が上昇することでしょう。ですから景気の回復があって始めてインフレ傾向が起きる。アベノミクスは逆立ちをして景気回復のために物価を上げるとしたインフレターゲットを設けた。景気の回復が伴わない物価上昇は悪性である。
景気回復は株や高級品の売上額で見ようとされる。しかし国民の多数は賃金労働者でありこの労働者の消費が生活の場から高まらない中で円安誘導による物価高と4月からは消費増税による物価高が生じる。これこそが悪性の物価上昇でありこれをデフレからの脱却とはどうしても説明が不可能
悪性の物価上昇の中に労働者の消費の減退が生じる政策ですからそれは物価が上昇した物価の中でのさらに強烈なデフレ圧力を作り出す。悪性の物価上昇=デフレ圧力の深刻化となるでしょう。この中で一部の人々は更なる量的金融緩和を求める。
このアベノミクスへの疑問は貿易赤字の拡大や経常収支の赤字化など経済全体の矛盾からも批判は高まっている。この批判の中に「デフレ待望蝋」的なものも出る。物価は低いほうがよいのだと。
やはりアベノミクスがインフレを物価という側面だけで判断をして逆立ちをしてしまったのと同じようにデフレ待望論も物価が下落することだけを見たデフレ論となりかねない。
労働者の賃金が下げ続けられている日本の特殊性(国民生活全般の生活の低下や困窮化なども含めて)に必然的に商品市場に出回る貨幣量は減少をする。当然国内の設備投資も減退して企業活動内の必要とされる貨幣量も減少をする。一方では企業そして投資や富裕層に貨幣は集まる。
貨幣量は豊富にあるが商品市場の貨幣量は減少し続ける。ここにデフレ圧力は高まるでしょう。結果物価の下落が継続をする。このような状態を維持するためのデフレ待望論は間違いとなるでしょう。
デフレ待望論が間違って金融引き締めと貨幣量の減少からデフレをつくろうなどというのもまた逆立ちの論理となる。
実は貨幣量は世界中にだぶついているはずなのです。企業や投資そして富裕層に。一方では世界中の国民生活には相対的に貨幣量が減少している。この貨幣量の再配分なくしてインフレ待望論もデフレ待望論も間違った政策を行わざるを得ない。
この再配分の必要性と再配分をどのように行うかの政策化が必要なわけです。しかしこのような政策や経済理論は出てこない。もちろん100年以上も昔(日本では江戸時代!)にマルクスは書いていたのですが。。。でも、今は社会民主主義経済でしょう。その経済からの社会の発展。

【2015年】
毎日のように安倍内閣における政治と金の問題が噴き出ている。
補助金を受けている企業というのは意外なところにあるものだと改めて知らされたが、その補助金を受けている企業から献金されている。補助金は税ですから国民の金です。やはり国民の金が献金として使われていたという視点は当たっているでしょう。
もっと広く見れば、企業の優遇税制やさらに法人税減税が言われているのですからその企業がまた献金を復活させていることを見ればやはり多かれ少なかれ国民の金が使われているという解釈もできます。
政治資金規正法がざる法だといわれていますが、法がどうのというよりも企業から献金を受けること自体がおかしなものです。
団体からの献金も問われますが、昔から企業献金はよくなくて労働組合からは良いのかといった議論がありましたが、企業と労働組合は全く性格の違うものです。上にも書いたように税制面で優遇されている企業が献金するのと、純粋な個人の金を集めて献金するのとでは違いがあります。
献金が拡大される。企業が法人減税を求める根拠はどこにあるのでしょうか?献金はできないはずなのです。
この政治と金の問題が大きくなっている半面、国民には消費増税が行われさらに2年後にはさらに増税されます。アベノミクスにより物価高が野放し状態(いや、むしろ歓迎をしている)で実質賃金は下がり、賃上げという恩恵を受けない労働者や年金生活者などはさらに生活の質を落とされています。
政治と金の問題と国民生活の低下の問題が同時に起きているのです。
これは今の自民党政治の基本的な性質を現しているでしょう。
もっと広く見ると国家と国民の関係がどうなっていくかを現しているのです。国民主権ではなくて国民は国家に奉仕して生活の低下などを我慢する社会増につながります。
政治と金の問題と国民生活の低下は、社会体制なのです。

【2016年】
最近はアベノミクスにより物価も上がり(ただし輸入物価ですが)失業率も下がりフィリップ曲線は左上に傾いているとされます。しかし実体経済はどうなのかといえば、個人消費は減り企業の国内設備投資は伸びません。
そもそも、フィリップ曲線の物価高とは正常な経済の過熱によるインフレとしての物価高を現すでしょう。
また、失業率と低下とは賃上げも含めた労働者の生活実感を反映した雇用の増加により失業率の低下を示すでしょう。
ですからフィリップ曲線はアベノミクスによる曲線の美しさを見ても何もならないでしょう。
曲線の美しさの裏にはドロドロな国民生活の苦しさが隠れているのです。
アベノミクスによる円安競争による輸入品目を中心とした物価高は、これはインフレによる物価高などとは決して言えません。
雇用の増大は高齢化や暮らしの苦しさから女性の共働きを求めるもので、正社員数が増加した者ではない。隠れ失業者数は増えているかもしれません。
アベノミクスは当初インフレ目標という言葉を使っていました。
しかし今ではこのインフレ目標という言葉をだれも使わない。使えないでしょう。。。。景気の過熱も起きていないしそこからの物価上昇はいまだに2%どころかマイナスにもなりつつある。
今ではインフレ目標ではなくて物価目標という言葉にすり替わりました。物価目標ですから味噌もくそも一緒にしたような今の悪性の物価高でもフィリップ曲線の物価に含めてしまう。
表面的な美しいフィリップ曲線をもとに日本経済を見るような単純さは今後の経済の先行きを見誤るでしょう。

【2017年】
朝日新聞では3月8日の国際女性デーに向けて「Dear Girls」という企画を進めるそうです。
女性が社会の中で置かれている実態を見直し改善するのはどうすればよいのか、当然そこには男性がどうすればいいのかも含まれます。
この中で一つの企画を新聞社として立てて議論を深めることは大事なことだと思います。
そこでまず気になるのが「Dear Woman」ではなくて「Dear Girls」 なのかということです。
「女性」ではなくて「女子」。。。。
最近は「女子力」とか「女子会」とかテレビを見ているとやたらと「女子」という言葉が出てくる。
そういえば国際女性デーも昔は国際婦人デーと言われていたような記憶があります。
なぜ「婦人」から「女性」に変わったかも記憶では定かではない。
婦人…女性…女子。。。。
よく見ればば呼び方が変わっても何ら大きな変化や進歩はないように感じます。もちろん昔から見れば女性自身の中にも社会的にも変化はありました。昔から女性解放運動は大きな波がいくつかあったと思います。女性の選挙権運動は大きな波でした。しかしその後基本的なところで変わっていないことから今でも社会と女性は大きな課題とされている。
働く婦人(勤労婦人)…働く女性…働く女子
言葉以外に基本的な部部分で何が違うのでしょう?
僕が若いころにも女性解放の大きな波がありましたが、最後は女性解放の一部活動家がテレビで男と対決することに転嫁されてしまいました。男が敵では何の解決にもならなかったのです。
男が敵としてだけ見れば社会に目は向かなくなるでしょう。
同時に先にも書いたように女性が自分自身を婦人と呼ぶか、女性と呼ぶか女子と呼ぶかでも何も変わらない。逆に女性が自分自身を言葉で規定してしまうことがある。マスコミや知識人に翻弄されてはならない。
女性が男を敵とするのではなく、言葉で気持ちを変化させるのでもなく、社会の仕組みにそしてその実態に目を向けなければならないでしょう。
働いて家計を支える労働もありますが、しかし子供を保育園にも入れられない。保育園に入れても保育料で賃金の大半が消えてしまう。これは一つの例ですが、これがいま社会問題になっている。
そのほかにも寿・出産退社は改善されずにこれが女性の生涯賃金を引き下げている。これは年金額にも悪影響してくる。「主婦年金」。。。
政治家や企業役員になることだけが女性の解放ではない。

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