夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「6月22日という日」

2017年06月22日 07時56分11秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2004年】
暑いです。。。。
こう暑いとかえって気持ちがいい。梅雨の合間に台風がうれしいプレゼント。
買い物から帰りビールをグビッ!ハハハ・・・・おいしい。。。
東京も32度だったらしいです。

【2005年】
朝、目覚ましの音に目が覚めたら雨の音がザァ。。。。っと。
夢心地の中にその雨音を聞きながら思い出した。今日は妻と鎌倉に行くんだっけ。。。
子供たちにそそくさと朝食を食べさせ、洗濯も済ませて出かけることに。車のキーを握り締めていたら、妻が「お父さん、たまには電車にしようか?」と。顔を洗っていたら急に思い立ったらしい。この雨の中を歩いて駅まで行って電車。。。。どんよりとして聞いていたら、そのうえ「小田急のほうが安いらしいから小田急にしようよ」と。「明月院は、北鎌倉だよ」と言っても地理のまったく分からない妻は「だから鎌倉でしょ」と。「いや鎌倉ではなくて、北鎌倉。。。」「だから小田急でもいいんでしょ?」と。
何だか頭の中混乱しそうだし、これ以上言うと喧嘩になりそうだったので小田急で出かけました。たまには江ノ電もいいかと思い。。。。
藤沢駅から江ノ電に乗り換えて、民家の路地裏を抜け、細くて車が江ノ電をよけた道路を抜け、湘南の海岸を見ながら鎌倉へ。そして「何で帰るようにJRに乗らなければならないの?」と心に思いつつ北鎌倉へ。結局北鎌倉に着いたら昼飯時でした。
まぁ、この遠回りが幸いしたのか、雨もやんでしっとりとした鎌倉の山々が見えました。
腹も減ったので、落ち着いた雰囲気の食事どころへ入りました。鎌倉建長寺と言えば、「けんちん汁」、僕の好物です。建長寺汁からか?けんちん汁という名前の吸い物が産まれたそうです。そこでけんちんご膳を。。。ハハハ・・・なんか我が家で作ったけんちん汁の煮詰まった残りを翌朝お湯で薄めて食べたような味。。。。どんよりとしてしまいました。
<東慶寺>
境内には紫陽花や花菖蒲が咲いていました。静かな境内にきれいな花々。。。。すごく気持ちが良かったです。二人で歩きながら、ふと妻の腕をにぎりました。妻は驚いて「どうしたのよ?」と。「いや。。。。ここは駆け込み寺だから駆け込まれたらたいへんだと思って。。。」と笑いながら言ったら、妻が半分真地顔で「あら、そうだったの。。。」と意味深に。ハハハ・・・腕をにぎっておいてよかった。
<建長寺>
たしか建長寺は、夏目漱石が参禅した寺。そんなことや作品の一部を思い出して感慨深く歩きました。
<明月院>
鎌倉はもちろん、関東でも有名な紫陽花寺です。平日でもさすがに混雑をしていました。
雨も上がった曇り空の光の中で見る紫陽花は格別でした。紫陽花はやはりどんよりとした光の中に見るのが一番で、晴れた強い光線ではあのきれいな色は出ません。
わざわざ遠回りをしながら雨が上がった頃に来たかいがありました。
甘み屋さんで白玉善哉。

朝のうち雨が強く降っていました。
今日は妻も休暇で、二人で久しぶりに鎌倉に行ってきました。茨城県太子の温泉以来かな?二人で出かけたのは。。。
梅雨といえばアジサイ。鎌倉でも有名な明月院に行きました。
午前中まで降り続いた雨もやみ、雨上がりでしっとりとしたきれいなアジサイを見ることができました。
そのうちに「ぶらり旅」のページに書きますね。
鎌倉も久しぶりでした。
独身の頃は、よく京都や奈良に出かけ、金と時間の余裕がないときは鎌倉によく行ったものです。もちろん鎌倉独特の雰囲気も好きですが。
今日、出かけてみて驚いたのですが、案外若い頃に行った鎌倉をよく覚えていたことです。「明月院は、たしか。。。。踏切を渡ったあたりだよ」と。行ってみると頭に地理が沸き起こってくるような気がしました。

【2006年】
お昼は何をしようかと考えたら、いきなり「コロッケパン」。
スーパーに行って、コロッケと千切りキャベツ、ロールパンを買おうと歩いていたら、スーパーの調理室のドアが急に開いておばちゃんが。。。
「いらっしゃいまっせぇ~」
その声は、どこか僕が怒られているよう?
振り向いたら、そのおばちゃんが鬼瓦のような顔をして立っていた。。。。
僕は何も悪いことしてない。。。ううう
そのおばちゃん。。。どこか虫の居所が悪かったのか?
このスーパーは、レジのおばちゃんもバカ丁寧すぎるぐらいだけど、どこか変?
若い正社員か?お客のいるレジの前で大きな声でおばちゃんを教育したり、お年寄りが開店早々レジに長い列を作っているのに、みんなせっせとお掃除。。。
たぶんマニュアルがそうなっているのか?
このスーパーがどうのというわけではないですが、今の日本は見栄えは良いが中身が崩れ始めていたり、だんだんと金持ちしか相手にしないような社会になっているような気がする。金や権力を持つのは競争を正当化する社会においては仕方ないのかもしれないが、金持ちや権力のある人々が一般庶民を支配あるいは表面的なものでだまそうとし始めているなら相当ひどい国になりつつあるのではないか?

【2007年】
夏至
梅雨らしい雨。今日からこの日記も夏です。
昔読んだ本の記憶に、19世紀のイギリスにおいて低賃金層の労働者は、安いパンしか食えないのだがそのパンには小麦粉に石灰だったか?を混ぜてあったそうである。
ニュースを見ていたら、中国からの輸入ピーマンに、基準値の3倍の農薬が残っていたという。急激な発展をする時期には、こういう食品も出回るのかもしれない。産業革命のイギリスや、今の中国も人事ではなくて、日本も経済の発展時期にはいろいろな食品添加物が問題になった。
まぁ、経済発展期特有というだけではないのであり、やはり今日のニュースでは、牛肉ではない牛肉コロッケの映像が出ていた。
経済の発展時期はより多くの儲けを独り占めしようと競争をし、経済が低迷したときは、儲けを取られまいと小さくなる一方のパイを取り合う。資本主義というのは貪欲である。
今話題のグッドウィルという派遣企業が、労働者の給与から不透明な天引きをしていたという。派遣制度自体というものに矛盾が出ている今に、違法性の高い天引き、天引きといえば聞こえはいいが、早い話が「ピンはね」である。資本主義は貪欲である。
この貪欲性が競争といわれる。競争といえば聞こえはいいが、早い話が一般庶民をどこまでだましどこまで生活を低下させることができるかどうかなのである。
これが資本主義の社会的システムの根本にあるものである。
もちろん、資本主義にも社会民主主義とか国民生活を重視する考え方もあり、昔の日本にもあった「福祉社会」という形にもあった。しかし、これは、新自由主義という野放しな資本主義を認めると、必然的に弱くなるものである。日本だけではないが、先進国の勤労国民の生活を低下させることでしか成り立たない今の資本主義ならば、ひとつのシステム上の破綻が自然に出てくるのではないかな?国民のためとか消費者のためとか、働く人のためとか言うものはコストを上げるからだめとなる。
この中で、競争が激化すればするほどそれは社会の発展につながらなくなり、資本主義の社会システム自体が自壊していくということ。この次回自体は、もちろん勤労国民をさらに貧困化させ、戦争で血を流さること。
今、夕方のニュースで、今朝のJRの停電事故についてやっていた。
運転手さんの責任らしい。でも、図解で出ていたが、あのような状態で電車を止めろといっても運転手さんは難しいだろうなぁ。。。(笑)システムの自壊過程で、「お前が悪い!」という弱いものいじめが増えてくるだろう。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
信号で止まっていた。青になったから車を走らせたら右後ろからじい様が乗った自転車が僕の前に入ってきた。ちょうど車の死角でもありいくらなんでも右側から自転車が車の前に入ってくるなどとも想像していなかった。ブレーキを踏んで止まったからいいけど。。。。。。
クラクションを鳴らしたても何の反応もなく、悠然と僕の車の前を走っている。細い道ならまだわかるが交通量の多い道路である。もう一度クラクションを鳴らしたら左によけた。
追い抜いていこうとしたらそのじい様がにらんできた。
ボケ老人、お年寄りなのだから。。。。。といったそんな目つきではない。ただのあつかましく逆切れしている元気なじい様である。精神面は少しグレた中学生と変わらない。その意味ではまだ元気で若いのである。
お年寄りを大切にとか、弱者を保護するとかは必要なことだが、年寄りや弱者が善人とは限らない。
先日、またあたり屋のようなものが増えてきているのではないかと書いたが、あたり屋とはいわないまでも何かあったら相手のせいというようなものから傍若無人なこともやってもよいという意識が強まっているのではないか?それは従業員と客といった関係性においても現れているし、ひどくなれなひどいクレーマーにもなる。
今の社会はいたるところでこんな意識性が広がっているわけです。
正義のための戦争とかもそうですが、なんだか変な意識性が出ている。
政治の行く末も心配だが、そういう政治を作り上げている国民性が昔のいろいろな矛盾がありつつも勤勉で真面目な日本人といわれたものがなくなりつつある。
こう書くとまた変な解釈が出てきて精神論的なものを口にすることが出てくるが、そうではなくて変なゆがんだお客様は神様的な、金や権力による人間関係の不平等さを見なくてはいけないということである。老人だって何をしてもいいという訳ではないということ。。。。同時にお年寄りを大切にするという心。。。。。。この調和が人間関係でしょう。

【2011年】
自民党政権時の族議員といわれていた時には官僚や財界と癒着した政治が言われそれを否定したのが新たな政権を担った民主党の役割だった。しかしこの政治主導となると、いくら優秀な政治家を大臣にしたとしても細かな実際の実務にかかわることや各省庁関係の法律や催促などはわからないのが普通である。国会答弁もままならぬ事態を引き起こす。民主党はその政治主導というものを間違えた観念であるいは空想的なもので行ってしまったのではないか?それが失敗の一つである。大臣が支持しなければ官僚は必要なものでも行わない、知らせないという変なことが生じるのである。
もちろんまた民主党内に族議員をということに逆戻りをしてはならないわけですが、具体的な政策(法)を決定するのは国会で、それを実務者として実行するのが完了だという本来の姿をどう作るかが問われていることと思う。
もちろん政策決定には官僚(実務者)の意見も必要ですが、ある程度の方向性は政治が決めねばならない。こうしないと政治・政策のシビリアンコントロールは働かなくなるのである。
もちろん優秀な政策に詳しい大臣を選ぶことは必要です。そういう政治家が多く排出されねばならない。それは官僚に政策を実行させ必要な情報は知らせることを命令しなければならない。時には高級官僚の怠慢や政策に反対するものが露骨な場合は退任させて新たな高級官僚を置くことが必要になるかもしれない。そのくらいの政治の役割を覚悟しないと政治主導は作れないだろう。官僚機構はしっかりしている方がよいが、それが政策実行の障害になるならトップを替えるなりの層の厚さが必要になる。
今、震災や原発処理についてある意味各省庁の大臣はその省の主張を代弁している。それは民主党内をばらばらにし、それが管おろしにもつながっている。自民党時代の族議員以上の弊害を今民主党は抱えている。それも上に書いたように政治主導の考え方の誤りと敗北から来ている。その反動でもある。
すでに民主党内の管おろしは党そのものの存在意義を失っている。
管総理は70日間の国会延長を決めたいという。党内のまわりは相も変わらずそれが退陣時期だと思っている。
自民党や官僚とうまくやっていける人材選び?もうすでに魂は売っている。
国会延長が決まったら内閣改造をしなければだめだろう。そして退陣後は管総理自身も代表戦に出ることぐらいはやらないとだめだろう。東北の現状もあるが解散総選挙も視野に入れるべきである。もちろん脱原発を視野に入れた現在の諸課題(東電そして電力の今後など)を整理した新たなマニフェストを持って。

【2012年】
原子力規制委員会設置法案。。。。http://t.co/VL4YeZ5Q規制委員会は、勧告を出せるが命令は出せない?安全性の確保と事故時の処置の安全とかを任務とするが、危険性のある場合などの停止命令は出せるのだろうか?
第三条は重要で、国民の生命や財産を守ると同時に我が国の安全保障に資することを両天秤にかけた判断が。現在の大飯原発再稼働の危険性があっても再稼働する理由が経済とか電力確保とか言われるまさに「国の安全保障」が大きく利用されて再稼働の理由とされて強行的に行われている。
「我が国の安全保障に資する」の解釈は相当広がりが出るもので、先のツイートにも書いたような経済から核兵器保有まで時の政権の解釈が入るでしょう。それが任務の一つとされるわけです。規制委員会は国民の命や財産を守る事も任務ですが、今は国を守ることが一番の国民を守ることだが常識化されている
(以上、ツイッターより)
原子力規制委員会と規制庁の設置の議論は、国会でもつい最近行われ始め民主党と自民党との協議も一致されるかという段階から急に設置法案が可決された。中身について国民は何の情報もないままに考える暇もない中に決まってしまった。
『「原子力の憲法」こっそり変更』 (東京新聞)
「設置法の付則という形で、より上位にある基本法があっさりと変更されてしまった。設置法案の概要や要綱のどこを読んでも、基本法の変更は記されていない。」
「もう一つの問題は、「安全確保」は「安全保障に資する」ことを目的とするという文言を挿入したことだ。ここで言う「安全保障」は、定義について明確な説明がなく、核の軍事利用につながる懸念がぬぐえない。この日は改正宇宙航空研究開発機構法も成立した。「平和目的」に限定された条項が変更され、防衛利用への参加を可能にした。これでは、どさくさに紛れ、政府が核や宇宙の軍事利用を進めようとしていると疑念を持たれるのも当然だ。」(以上、上記リンクページより引用)
と批判したうえで「政府は付則を早急に撤廃し、手続きをやり直すべきだ。」と結んでいます。
自民党の「安全保障に資する」という文言を入れろという要求をあっさりと受け入れた形ですが、この文言ひとつで今回の方はいかようにも規定できます。国の安全法相の拡大解釈は霧がありません。国の安全は経済だ、電力の安定だと言えば、再稼働でも新設でもなんでもできる。
規制法案は骨抜きになります。もちろん脱原発は不可能になるでしょう。国民生活よりも国益が重視されます。
「安全保障に資する」という言葉は国を危険な方向に向かわせます。

【2013年】
アゴラに「単純で曖昧な制度決定論『国家はなぜ衰退するのか』」という書評があった。
この書評を読んでの感想です。
「国家はなぜ衰退するのか」は国家が成功するのは「包括的」な国家であり、失敗するのは「収奪的」な国家だという中身が紹介され、それを言い直せば「民主的」な国家と「独裁的」な国家となるのではないかと。
独裁的な国家は長期的に見れば独裁的な制度では維持できずに民主化される。これに対して独裁的な中で成長したから民主化されるのではないかと。
そして大英帝国は世界一の収奪国家であったが民主国家をつくった。そして国家観は競争であり戦争がそれを決めた。その戦争のために経済力を蓄えた国が反映したとしてこの視点が「国家はなぜ衰退するのか」を不足を書いている。
そして
「国力を決めるのはみんなが民主的に参加することではなく、国家間競争に勝ち抜くすぐれた指導者の意思決定と国家体制である。むしろ民主政治のような非効率な制度は、豊かになった国が享受できる贅沢なのではないか。」と結んでいる。
この書評では国家の制度(国家そのもの)と経済の関係と、その国家の制度の違い(民主国家か独裁国家化)とが複雑に混乱された形をつくっているのではないか?
国家の制度(法など)自体は経済を土台にして作られる。たとえば封建制のままで労働力が農奴という形で土地や君主に縛られれば資本主義が必要とする賃金労働者はどこからも生まれない。結局は封建制のほうで縛られている農奴を開放しなければならない。一方では徒弟制のような工業の中に産業革命の波が押し寄せるという生産の発展という経済の発展が労働者を必要とすることであり、その労働者は農奴から解放されるという政治制度が必要となるわけです。ですから経済が政治制度をつくっていくわけです。これが経済自体と国家の関係です。
イギリスでの産業革命の中での生産力の発展とヨーロッパにおける市民革命は結びつく。農奴を自由な人間としての労働者にするという事は、その時代においては政治的発展であり思想的には自由や平等そしてそれは民主主義にも結び付くわけです。そうすると資本主義は政治制度としてはより独裁的であった封建制よりも発展した形としての民主主義国家をつくるそれが国家の発展にも結び付いたわけです。何も封建制と同じようなあるいはそれ以上独裁的な国家として資本主義が生まれたから発展したのではない。
ですから新たに生まれた資本主義は、自由や平等そして民主主義を手に入れたからこそ発展してきたのです。日本でもそうでしょう。士農工商という身分制度とその世襲があったわけで、その殻を破って「平民」が生まれた中に明治政府という反封建的な政治制度はあったにしても資本主義が発達した。
経済的には資本主義での生産の高まりは徐々に大衆消費財をもたくさん生産するようになるわけでその経済法則はその大衆消費財を労働者の中にも行き渡るようにしなければ成り立たなくなる。それがまた一つの国民の生活を豊かにするという面での民主主義でもあります。
しかし資本主義も理念としては自由や平等民主主義を持ちつつ、同時にそれが社会を維持できる女権でもありつつ、やはり資本家と労働者という階級をつくりだします。あるいは資産家と貧困層をつくりだします。ですから資本主義経済がもっとも発達したイギリスにおいてこの矛盾もまた一番顕著にいち早く表れます。そして階級矛盾と経済矛盾は早くも恐慌を生み出します。同時にこれらが貧民街から広がりそれが支配層に及ぶようになれば貧民層の生活改善をうったえる政治家も出てくる。労働者保護法も出てくる。資本主義を維持するうえでまたここでも民主主義が問われるようになります。
世界中この繰り返しなのです。ですから資本主義経済の発展と民主主義は並行して発達せざるを得ないのです。
たしかに民主国家だから生き残る国家だと規定するだけでは間違い、この民主主義を必要とするようになるのが法則だという事です。
資本主義はもちろん戦争の繰り返しでした。それは国家の経済の問題でした。植民地は資本主義的経済の発展過程に生まれました。その上に植民地主義という制度も生まれた。今の時代から見ればひどいグローバル化制度です。しかしこの植民地制度もなくなり一応の独立国家として多くの途上国が生まれました。これもまた世界史の中での民主主義の拡大でしょう。
ですから「民主政治のような非効率な制度は、豊かになった国が享受できる贅沢なのではないか」という事ではなくて、民主主義の発達自体が経済にも反作用をするという事です。
政治制度は経済の作用から生まれる。しかしこの政治制度がまた経済に反作用する。
その中で経済と政治制度が常に矛盾を起こすのです。この矛盾の解決は民主主義の拡大と経済のさらなる発展につながる。この政治制度と経済との相乗効果がうまくいく国家が生き残る国家で、独裁的にやっていこうと経済法則までも人の好きにできると管げる国が衰退をするわけです。ですからその意味において政治制度が絶対的だと考え、国民を強力に統治することを国家の役割と考える国家は衰退をするのです。たしかに自由や平等そして民主主義は今も確立されていない。しかしそれを理念として持ち続けられる国、その理念に経済を結び付けられる国が必要なのです。
今の社会はこの意味において岐路に立っています。民主主義を捨てて独裁となった方が勝つという論理になるか、経済的矛盾の解決の過程においてより民主主義を拡大するという論理を持つか。資本主義の発展過程に今もあるのです。その発展過程を意識しない現実論(戦争での解決、国民統治など)は間違いなのです。今起きている経済の混乱もまた経済の作用と政治制度の反作用の矛盾の中にいます。どうやったら矛盾は解決するか。。。。それは経済学にも責任があります。

【2014年】
労働力の流動化が必要とか、雇用の流動化が必要とか安倍政権での雇用の在り方が成長戦略に盛り込まれることにより企業論理として進められようとしている。もちろん労働者も若い人はすぐに辞めるとか言われていますから労働の移動については要求を持つでしょう。しかしこの要求はブラック企業という言葉が一般化している中で賃金や労働条件から来るものがあります。また企業に縛られたくないという意識もありますが、この縛られるという中身には労働時間や公私混同をさせられるとか日本は休暇を捨てるのが一般化されているといわれている中で自分の生活の自由が保障されていないとかさまざまな問題があるでしょう。
こう見ると労働力の流動化や雇用の流動化そして労働の流動化というものも含めて企業の労働環境の現状や企業利益の論理から議論されているだけではないでしょうか。
この論理は企業利益をどう伸ばすかに労働力をどのように使えばよいかを言っているだけで、企業利益のためにはどう低賃金化を進めるかというこの間の企業が行っていたことの延長線上にあります。ですから残業代ゼロや限定正社員が成長戦略となる。労働者にとっては同じ賃金で次の仕事を見つけられる保証は何もない。
労働力の流動化や雇用の流動化そして労働の流動化というものが必要な状態というのは、産業構造の転換とか経済が順調に動いているときにこの労働力はこの産業に必要だとか、企業内ならばこの部署に必要だとかというときにおこるべきものです。それは労働力の移動です。もちろんこの労働力の移動も昔から解雇を含むものでしたが、しかしある程度は次の仕事のあっせんなどが国鉄の民営化時にはありましたし、そうは簡単に解雇はできない状態でした。今行おうとして検討をされているのは解雇自体の自由化です。
労働力の移動には企業責任と社会保障が先に検討されるべきです。

【2015年】
まずツイッターから
焦点:成長戦略「生産性革命」に舵、ITで企業・大学・医療を改革 | Reuters 。。。。生産性の向上がまたただ単に労働力量を減らすことだけになりそうです。経済政策の失敗です。生産性の向上には、生産の拡大と消費の拡大がともわなければならない。
生産性革命実現に向け、官民対話を創設=安倍首相 | Reuters 。。。。覇権法の改悪やら残業代ゼロ円とか。。。。その方向性が見える。

日本型?とも思われる生産性の向上特徴は、ブラック企業といわれるような労働力の使い捨てともいえる労働条件と低賃金化によって企業利益を守ろうとするものです。
安倍政権はこの日本型の生産性の向上をさらに進めようとしていると思う。

【2016年】
(記事なし)

【2017年】
ネットでコーヒーの殻が効果的という記事を見たことがあります。珈琲の力というような商品もあったと思います。
そこで、古い土に腐葉土を混ぜてそこにコーヒーを飲んではコーヒー殻を混ぜ込んで肥料も入れてそれをビニール袋のまま日差しの強いところに出して発行?させておきました。
それを3週間ほど前でしょうか、樹齢30年を超えて葉っぱに力のなくなった金の生る木の鉢にたくさん蒔いておきました。
ここ3年ほど元気がなくて葉っぱも小さくなっていたのですが、今年は葉っぱに勢いもありますし大きくなっています。
もちろんこの季節は金の生る木も古い葉っぱが落ちて新しい葉が出てくる時期だと思いますが、ここ3年の様子とは全く違います。
今までも肥料はたくさん上げていたのですが元kがありませんでしたので肥料の問題でもなさそうです。
やはりコーヒーパワーか?
ゼラニウムの鉢にも蒔いておいたのですが、この時期は勢いもなくなる時期ですが、今年は花もたくさん咲かせて葉っぱも縞模様が出てきれいです。
夏の花にも肥料の代わりに巻いてみようかと思います。もう依然作ったものはなくなりましたので、今作っています。といっても古い土がないので土は買ってきましたが。。。。。

日銀もいよいよ立往生でしょうか?
いくら貨幣をばらまいても物価目標は達成できない。量的緩和もマイナス金利もその限界が言われはじめている。世界経済はここから抜け出そうとしているが、日本はできない。日銀はやっと「出口」という言葉を使い始めた。世界経済の流れから見て当然です。しかしアベノミクスもすでに失敗した政府ですが、いまだに「道半ば」としている。この中で出口に向かえば株バブルが崩壊するでしょう。すると政府や政府寄りの経済学者から日銀批判が出てまた日銀が悪者になるでしょう。日銀も優柔不断に必要な場合は大胆な金融政策を行うとして立往生をする。
しかし責任は政府側にあることは明確でしょう。
金融政策だけでは経済の好循環は生まれないことは常識です。仮に日銀緩和が正しかったとしても、その正しい金融政策を利用しながら急速に経済の好転を行う政治的な経済政策を政府は行わなければならないのですが、結果は企業利益の拡大と株価の買い支えだけでした。
日銀は政府批判を強めながら出口に向かうしかないのです。
出口に向かうには日銀が抱え込んでいる国債を同市場に戻すかが一つの課題となるでしょう。
これまで貨幣の回転について書いてきましたが、国債の流通(回転)も必要になるかもしれません。
しかしこれは国民の所得増、個人消費の拡大、企業利益の拡大(設備投資)、国家財政の健全化、そしてまた国民の所得に還元されなければならない。
一つの方法としては、労働者の受け取る賃金にも8%の消費税をかけることです。また年金や生活保護等の社会保障の支給にも8%の消費税分を上乗せすることです。
そしてこの消費税分はある限度額以下については国民の益税として消費に回す。
もしできるならば、企業は国債でこの消費税分を支払い、その分を国民の所得税として国に納める。そこから日銀が抱える国債を減らす。還元した国債は、国の国際費削減にまわして、その分を社会保障費の増額とする。
このようなまさに異次元的な政策を国は行わなければ、経済の破たんが生じます。
ジャンル:
その他
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« gooお題「好きなスナック菓子... | トップ | 2017年 6月22日(木)... »

コメントを投稿

「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。