夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「1月12日という日」

2024年01月12日 08時16分30秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
20年。。。。。前。
若くて元気でした。
このブログに今まで書いたホームページの日記などを残してありますが、ちょうど20年前からの日記になります。SNSだけのものですが、残しておいてよかったと思います。と言っても、大したことを書いているわけでもないのですが、1日の本の一コマであっても思い出すこともあります。2011年の福島原発以後は、政治的なものが多くなりますが、それもまた思い出です。
20年前、おでんを作って食っていたようですが、偶然にも明日はおでんを作ろうと種を買い込んできました。

≪過去の日記≫

【2004年】
妻と買い物に出かけた帰り、駅に降りたら和服女性が何人か歩いていました。今日は成人の日でしたね。。。。
まだニュースを見ていないのですが、またどこかで騒ぎがあったのでしょうか?
和服の二人連れの女性・・・歩きタバコで闊歩していました。
若い人たちだけを責められません、2,30年昔に成人式をおしとやかに祝ったであろうおばさん。。。。今じゃぁ我が物顔で町をうろついています。
ものすごい車やバイクの運転をするおばさん、自転車となると無法状態です。買い物が選り、両手に荷物をもってとぼとぼ歩いていたら、おばさんとすれ違ったのですが、僕は少しよけたがおばさんは猪突猛進、肩がぶつかったらガンをつけられた。。。ハハハ・・・ハァ(タメイキ)
今夜はおでんです。ううう・・・・好きな餃子巻きは売り切れていました。
寒いからおでんというご家庭も多いのでは?

【2005年】
妻と二人で山のほうの日帰り温泉に行ってきました。
源泉かけ流しです。
山道のはうっすらと雪がありました。ノーマルタイヤでは心配でした。
温泉宿に着いたら。。。なんかうら淋しい湯治場のようなところでした。休憩室に入ると、女将さんが「今日は女風呂が掃除の日だから、男湯で家族風呂で入浴してください」と。。。。
(*^^*)何年ぶりだろ家族風呂。。。。子供たちが小さい頃は時々入ったけど。
温泉は、熱くもぬるくもなく気持ちがよかったです。
休憩所では、けんちんそばを食べました。これまた素朴な味でおいしかったです。

【2006年】
陽射しの中に出ると暖かでした。
会社の中で競争に勝つには、少なくとも落ちこぼれにならないためには自分だけを大事にすればいいというようなものを見た。まぁ、会社の方針だからそれに従わなければならないのはよくわかるが、それに消極的に対応するか進んで対応するかにその人が出る。
自分を守るというのは、本来競争ではなくて協調のはずなのだが。。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
エンジンオイルの交換をしにいったら、エンジンオイルが染み出るように漏れているとのことでした。オイル交換に行き早めにわかりよかったです。
修理も無事に済んで帰ろうかとしたとき、新車が目にとまりました。
いいですなぁ。。。。新車。
この前書いた住宅展示場の新築住宅もそうですが、新車にしてもみているだけで気持ちがよくなります。
車はいつも10年以上乗っていますが、今度買うときは60を過ぎてしまうかな。。。。。その時人生最後の新車を・・・・かぁ。。。。
(リンク)
「給油支援法」の成立は、自民・民主の対立激化というような印象がありましたが、結局は自民党はもちろん民主党も本音では給油活動が再開されて対米関係ではほっとしたのかもしれません。対立しているようで根っこは同じという感じがします。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
サラリーマンは体が資本。昔からサラリーマンは体を壊したら潰しがきかないわけでしてその意味では体が資本なわけです。もちろん今の社会は職業の自由があるわけですからサラリーマンができなくなったら商売でもすればいいという論理もあります。もちろん何かしら食うための仕事を探さなくてはいけないのが現実ですから商売をする問い運も選択の一つですが、元手も何もなければやはりそれなりの仕事を見つけてサラリーマンを続けるほかはありません。それはサラリーマンというのは労働力を売るしか生きていけないということです。この労働力を売る側の人々を労働者というわけです。ですから労働者というのは何も肉体労働に限ったことではなくてサラリーマンも労働者なわけです。
労働者は労働力を売る。誰に売るのでしょうか?生産はこの労働力と生産手段(資本金を持って工場や原材料など)を持つ人に売るわけで、ここではじめて労働という形の具体的な生産が行われることになります。その生産手段を持つ人が昔から資本家といわれてきましたが、今は資本家はいないといわれています。たしかに財閥というのも解体をされて会社組織は株主によって経営をされて社長もサラリーマン化をしています。しかし会社組織は組織として生産手段を所有をして労働力を買って生産をしていますからその生産様式は資本主義であり、明確な形での資本家は見えづらくなっていますが株主総会自体が資本家層の集まる議決機関とし、そこで選任をされる役員総や会社の経営自体を動かす部分の人が高額の報酬を得ている中に相対としての「資本家層」というものは見えるわけです。株を持っているから資本家層かといえばそうでもなくて小額の株を所有して株主優待や配当を受けているような部分の人は層ではないと思います。そういう人は主に労働者であったり他の商売でその生計を主にその労働によってまかなっています。また資本家層といっても株で生計を立てている個人の株主だけではなく、今では銀行などの金融関係の会社やグループ企業での下部の持合などもあるわけですから株主層はこのような企業自体でもあり資本家層というものになります。
こう見ると、企業というものをみる時は今の社会は生産手段を持つ者と労働力を売る者という人と人との関係が成立をしており、それは労働者と資本家層という関係として社会の富を作り出していきますしその富の配分がされていきます。
企業がその富をどのように作り出すかはこの人と人との生産関係にあり、その富は生産性の向上の中での企業の競争として発展をしその矛盾を作り出してしてきたことは(7)でも書きましたが、この生産性の向上が労働者にどのような影響を及ぼすでしょうか?
それにはまず、労働者が労働力を売るとしたとき、その値段はどのように決まるかが問題です。それは労働力の価値によって決まるわけです。それはあらゆる商品がその価値を基本にして売買されるのと同じで労働量もその価値によって売買されます。売買などというと労働者は奴隷のようですが、労働者は人間丸ごと売るわけではなくて労働力を売るわけですから古代の奴隷とは違いますし自由はあります。しかし生産手段に結びつかなければ失業して生きていけないわけですから生産手段にそしてその所有者に対しては半奴隷状態です。土地(生産手段)を支配する殿様と農民(労働力)のような構図はその形は変えて残存しています。では、労働力の価値はどのようにして決まるか?それもあらゆる商品と同じようでその商品が生産をされる過程でどのくらいの労働力を消費したかによって決まるのと同じように労働力を生産するためにどのくらいの労働力を消費したかで決まります。労働力を生産するためにどのくらいの労働力を消費したか?なんだかわかりずらくなりましたが、企業内で労働をするために必要な労働力を生産するという労働(労働力の消費)とは労働者の具体的な「生活」にあります。衣食住やさまざまに必要な生活という労働によって作られます。衣食住もままならない中では次の日も会社で労働することはできません。生活をするということ自体が企業内においての労働力を作り出します。生活をして労働力を作り出すわけですからその労働力の価値は生活に必要なものを消費をしていくわけで、その消費をする過程で必要な物は商品として売られているさまざまなものが持つ価値を次の日にも労働をするという労働力の価値に移転をする作業となります。どのくらいの商品量の持つ価値を労働力の価値に移転をするかということは、視線を変えれば労働力の価値はどのくらいの商品を消費したかということになり、それは労働力の価値は生活費によって決まるということになります。
ですから資本家層としての企業は労働者の生活費という価値額によって労働力を買うわけです。
しかしこの労働力の価値としての生活費は、食べて寝るだけの最低限度でもいいはずだと言うような資本家層の見方でも、俺の生活はベンツを乗り回して軽井沢に別荘を持ち夕飯は豪華フレンチのコースだというような資本家層を思い描く労働者の要求でもありません。やはりあらゆる商品の価値が(7)でも触れたように平均化された中に形成をされると同じようにある時代の社会における平均的に形成された生活費となります。
以下、この労働者の労働力の価値としての額、すなわち賃金はこの価値どおりに支払われていると仮定をしていきます。もちろんこれは理想論だ!!という方もいらっしゃいますが、まぁ、ここではこのように話を進めます。労働の生産性の向上の中でどのようなことが起きるかが大切なのです。理想論の中にでも。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
ツイッターを見たら脱原発をうったえる方たちの中で脱原発を進めるうえでの国民投票制の是非による意見の違いが出ているようです。具体的にはどのような中身かはわかりませんし、どのような組織体による意見の違いかも判りません。ネットでもリアル社会でも気をつけねばならないのは、このような姿の見えない中に意見の違いが出ているというものだけが広がることです。しかしある組織体の姿が見えないとしてもネット上には自然に集まる意見の集約的なものは存在をするわけですからそれが意見の違いが出ているという一言に現れることも注意深く見る必要はあります。
国民投票制は一つの直接民主主義ですから良いものだと思います。しかしこの直接民主主義も一度の結果だけで今後の社会が動くわけですから注意は必要です。選挙という直接民主主義一つ見てもその危うさは感じ取れると思います。また脱原発での国民投票といっても白か黒かを決めることはできないでしょう。だいたいが今の雰囲気としては40年の耐用年数まで安全性を高めて使用するという原発維持が設問のやりかたによっては多数となるでしょう。
本来は白か黒かとはっきりした設問により国民の意思を決めてからその結果に向かって政府などが動いて具体化していく義務を負うのでしょうが、今の日本では白か黒かの国民投票ではなくて新聞の世論調査のように電力不足をどうするなどというものから原発の白黒が問われるのではないでしょうか。「原発を今すぐに止めて廃炉にする」「原発は今後も建設をしていく」「耐用年数内は使い将来的な脱原発を目指す」と訊かれたらどこに丸を付けるか。。。マスコミや様々な情報形態から電力確保をどうするとか様々な情報が入るでしょう。
現在は九州の原発がすべて止まっていますし稼働率は相当低くなっています。その中でも冬の電力不足の不安を煽るようなものがあるにしてもどうにか需要は収まっているわけですし、電力買い取り制度が始まるのに合わせて太陽光発電によるメガソーラーは経済を発展させるものとして市場を動かし始めています。日本の家電産業は省エネを一つの武器にしています。今年の夏の電力需要をどう抑えるかで議論は進むでしょう。この現実もマスコミはとらえています。ですから国民投票よりも省エネ型の社会と脱原発をセットしたものからの再稼働反対(再稼働できない状態)を堅持する世論を作るべきでしょう。
また国民投票制は、改憲にも導入されています。
改憲と脱原発のセットで国民投票となることも考えておくべきかと思います。その意味において今の日本の特殊性と現状から積極的な国民投票制は考えない方が良いと思います。

【2013年】ツイッターつぶやき
拝啓 川上弘美様
日記を拝読いたしました。
なんだか「ヒイテしまう」ようなお話。。。。。
大仏様やマチュピチュ遺跡よりも『君の方がきれいだよ』という男
「純金の観音様売り」の男
「白鳥の卵は美味しい」という男。。。。
現実に存在する男として何の疑いもないが
しかしどこか現実離れをしてもいるし
やはり、ヒイテしまうようなこの世の出来事ですね。
しかしそれ以上にその男たちの世界に自然に巻き込まれている女性もどこかヒイテしまう。
最後のインフルエンザの注射は「ちくっ」とする感覚と言葉に真実の世界に戻った感じです。
     敬具

なんだか。。。本来は現実ではないと思うようなものが現実として目の前に現れて一瞬たじろいでヒイテしまうことが多くなっているのでしょう。それが自然に感じられていく自分にもヒイテしまうのかも。しかしそのような現実が身の回りに起きてしまう。
たじろぎヒイテしまいながら思わず引きこまれる。

【2014年】ツイッターつぶやき
都知事選の候補が出揃いました。オリンピックのあり方をはじめとした都政はもちろんですが、東京都の予算を見てもひとつの国の予算額にも匹敵する大きな政治組織の選挙ですし首都でもあり都知事の権力は強いのですから日本の将来を決める選挙でもあります。
その中で枡添さんと細川さんの立候補も決まったようです。それに対する宇都宮さんが立候補する。

都知事選は枡添さんと細川さんが立候補するようですが、この両候補の違いはどこにあるのでしょうか?今見えているのは「脱原発」ですが、改憲や消費税などはどうなんでしょうか?保守系でどちらが勝っても保守色の強いとせいが生まれる。これは自民・民主の保守二大政党制の延長でしょう。
両候補は自民党とは対立する部分があったわけですが、国民にウケやすい政策の中に保守色を強くする。これに対して宇都宮さんがいるわけです。細川・枡添両候補は保守の分裂ではなくて政策の対立点を保守の政治論理として土俵に上げる働きをする。宇都宮さんに土俵入りはさせない?
マニフェスト選挙も影が薄くなりましたし選挙が終わればないもの同然となってしまい国民の政治参加の意義を薄めてしまいました。政治不信はますます強まり、残っているのは感情的な精神的な勇ましい言葉が先立ち、これが政治を語ることと勘違いがされる。これも都知事選での争点です。
      (今朝のツイートから)
枡添さんも細川さんも保守色をオブラートに包んだような保守層だと思いますが、自民とや民主党の露骨な保守色はないとはいえ、やはり保守の中心となる選挙になっている。それに対する宇都宮さんの位置づけは、昔の保守対革新の構図から見れば革新の統一候補となります。二人の保守候補と革新候補の対立。いろいろと報道はありますが、目に見えにくい対立点はここにあります。
自民・民主の保守二大政党制による矛盾が特に安倍内閣の発足後に大きくなりました。この二つの保守二大政党がマニフェスト政治として機能しているでしょうか?国民から見て「そんなはずではなかった」という政治が行われていないでしょうか?
都知事選は政策的な違いを中心としながらも二枚舌政治・政策隠しをなくす選挙としなければならないでしょう。
これを各候補に公約を大切にする約束と改憲や消費税など国政にも関するものも含めて明らかにしてもらうことが大切でしょう。これが今回の都知事選の役割・位置づけともしなければならないでしょう。
日本の民主主義を守るために。。。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
米軍 「これから戦後の復興支援活動をはじめる。日本側の計画は?」
自衛隊「それはなんでしょうか。計画の用意はありません。」
(1月11日朝日新聞朝刊3面「戦傷医療構築急ぐ自衛隊」より引用)(朝日新聞デジタル)
戦争で荒廃した土地では民間医療が復旧するまでは軍隊が民間を支援することが常識だそうです。想定での佐渡島を侵攻してきた中国から取り戻したとき荒廃した佐渡島においてこの軍隊としての自衛隊が医療活動としてどのような行動をとるかは未成熟のままだという。
このことは戦争により国民を守るというよりも、戦争で国民は国を守ることが優先されて国民を国が守ることがおろそかになっているということでしょう。おろそかどころかそのような考えはないといえる。少なくとも戦時の医療活動では。
これを国家主義の現れという。
福島原発事故は絶対に起きない事故だとして事故時の対応や処理がおろそかになっている。
原発の再稼働にしても皮内経路や方法は自治体任せになっている。
日本という国は国民は国を守ることは当たり前のように強調されその思想は広まっている。しかしその国民をどのように国が守るのかは見えない。
米軍「あなた方は何の専門家なのか。自覚がないならもう一緒にはやれない」 (上記引用と同じ) 
日米同盟の中身としてもこのようなもの。。。。。

【2017年】ツイッターつぶやき
今日の朝日新聞4面に「年をとっても働ける幸せ」という記事がありました。
作家の佐藤愛子さんが90歳を過ぎてもお元気に執筆活動をしベストセラーを出しているそうです。高齢者が元気に働き続けることは大切なことです。
昔は高齢者はどうにか年金等で食っていける世の中でしたから、定年後「毎日が日曜日」になり何をしてよいのかわからないとか、奥さんは「毎日が家事曜日」になって定年後の夫の面倒を見るのが大変と。その中で趣味を持とうとかボランティアを行おうとかという専門家などのアドバイスがたくさん出ていました。もちろんそのころから退職金の運用などという勧誘もありましたが。
しかし現在は年金支給年齢が引き上げられて60歳から65歳になっています。あと数年すれば厚生年金部分も65歳支給となります。さらに政府はこの65歳支給を引き上げる動きを見せています。また支給額を抑える動きもあります。こうなると「働く幸せ」というものから外れて「食うために生存するために働かざるを得ない」労働となってしまいます。
「我々は何を目指して生きているのか、それを考えることも忘れて、便利、快適、物質的満足ばかり追いかけている」 (引用)
「何を目指して生きているのか」
この生き方と言っても一昔前のサラリーマンのように定年後どうにか食えるから趣味やボランティアで生きる喜びを見つけよう」というのと、「65歳にならなければ年金がもらえないで死ねと死ねと言われているようなものだから働かなければならない」とでは同じ働くにしても「生き方」の中身は全然違ったものになっています。
安倍内閣での一億総活躍は、もちろん後に書いた中身による労働の提供と老後に来方の生き方を目指している。
年金だけでは食うだけで「便利、快適、物質的満足」の豊かさなどありませんし、一定程度働かなくてはなりません。その中で65歳まで無年金になるから低賃金で働けという仕打ちが今の社会です。
作家の佐藤愛子さんのような生き方をされる方も増えていってほしいと思うのですが、現実社会に生きている圧倒的な人々は生存していくための生き方を選ぶしかないのです。

【2018年】ツイッターつぶやき
gooお題「鏡開きはしましたか?」
昨日一応しました。
1月11日記事「鏡開き」
徳川家康の命日か何かが1月20日のために早まったという説がありますね。
関東では11日で関西は15日になったようです。
上のリンク記事にも書きましたが、スーパーで買ってきた鏡餅はそのままにして丸餅を焼いてお汁粉にしました。
東京は毎日良い天気が続き湿度もだいぶ低くなっています。スーパーの鏡餅は縁起が悪かろうと細かく切って天日干しにと思っています。午後からやろうかな・・・・・
カリッと揚げて塩と粒コショウで味付けもうまいし、なんといっても砂糖醤油をまぶすのもうまい。きつね色になるまでカリッと揚げると香ばしいです。
そういえば正月からずっと餅を食っています。
豆餅をもらったのですが、正直言ってあまり好きではない。でもこのもらった豆餅は黒豆がふんわかしていておいしかった。砂糖醤油をつけながら完食。
四角の餅があと6個ぐらい残っているので雑煮でもやりたいです。

日銀はずっと量的緩和は通貨安競争ではないと言ってきた。
しかし現実として円安になり、その円安を背景に輸出産業を中心に株価が高騰した。
先進国の通貨安競争特に日米の通貨安競争の結果はドル・円の相互安ともいわれ、ドルに対する円安は飽和しているのかもしれない。
ロイタに「日銀出口と世界同時引き締め」という記事があった。
その中に
「振り返れば、緩和競争とは、自国に通貨安を呼び込むための競争ではなく、自国の通貨高を避けるための競争である」 (上記リンクページより引用)
と、書かれているが、これまでの日本の金融緩和が適正な円安に向かうものだったのか?
軍事でいえば、防衛のためあるいは正義のための戦争だというのと同じように、適正な通貨価値を維持するための金融緩和だというような理屈ではないか?
各国がこの理由を挙げて金融緩和を行えばそれがまさに通貨安競争層で、結果として金融緩和は通貨安を目的にしたものとなる。
その結果は何か?
現在は世界的な経済の好転と言われているが、すでに出口に向かう動きがアメリカやヨーロッパで起きている。それは金融の引き締めと同じ結果を生むでしょう。
その中で上記リンクページに書かれる「引き締め競争」に陥る危険が出る。
日本経済を見ても金融緩和での「適正な円の価値」づくりは出口が見えなくなり、経済の好転は株価の高騰と企業の内部留保を高めるばかりだった。
金融の「引き締め競争」と言えば言葉は良いが、下手をすれば金融恐慌である。
有り余る貨幣資本のはけ口がなくなり、それが国民生活の中に生かされない状態が加速をするわけだから、貨幣資本のはけ口がないという状態は激しい金余り減少となるでしょう。不況とは市場において貨幣量が足りないから起きるのではなくて、貨幣資本のはけ口がなくなるという意味での金余りです。
金融緩和はこの金余りを加速したわけですから、激しい引き締め競争が起きた場合日本はかなり厳しいのではないかと思います。

【2019年】ツイッターつぶやき
作家宮部みゆきさんへのインタビュー記事自分が怖いと思うことを書いてきたがありました。
その中で「日常に忍び寄る同調圧力」について語っています。そして
「戦前、戦中の日本についても、私の親からよく話を聞いていたんですが、そういう仕組みの中に入ってしまうと異常なことが日常になり、意外とピリピリしないというのが、また怖いことだなと思います。
今後、おそらくファンタジーの形だと思いますが、そういう全体主義みたいなものが個々の人間にどう働きかけるのかという話は書きたいですね。」(引用)
と語っています。
国家自体が全体主義とならなくても民主主義といわれる社会においても同調圧力が社会全体の雰囲気として作り上げられている場合がある。それは日常の中にも表れるでしょう。こういう社会は民主主義であるから強制はしないという建前の上に立っての同調圧力となる。
民主主義といえば多数決だというのが常識化している。たしかに人が集まる社会だから多数決による判断も一つの民主主義ですが、多数が正義あるいは正しさなのかというと疑問が出るでしょう。正しいか正しくないかを抜きにしての多数決は民主主義ではなくなります。意見交換を形式的にしてすぐに多数決で決まる。人々が多数についていれば安心できるわけですから少数意見に正しさがあっても多数決となれば少数意見に手をあげることができない。ここに人間関係や損得勘定も入るわけですから、ここに多数決の非民主主義性が出ます。
人間関係や損得勘定、これが出てくること自体が同調圧力になっているわけです。
去年は国会運営にこの非民主主義性が露骨に出ましたね。数の力は民主主義ではない証明でした。
人間関係や損得勘定は、例えば日本人はなぜ有給休暇を取れないかというものにも現れます。
休暇で休めば同僚に迷惑がかかる。仕事と家族(私用)のどっちが大切なのか。この答えは人に迷惑をかけないことや家族より仕事だろというものが集団の常識になるとそれ自体が同調圧力です。
定時に帰れない、仕事終わりの酒などのコミュニケーション。。。。。などなども
社会は人と人との関係において成り立ちますから、ある程度自分を引っ込める必要もありますが、この自分を引っ込めることが美徳
かといえば違うでしょう。
休暇も取れない人間関係あるいはそれを利用する企業、この中に人間の一体感が言われます。みんな我慢して苦しいけど働いているんだと。しかし家庭の用事があるなら休んでもいいんじゃないかという人間関係も一体感でしょう。ここでは迷惑ではなくてお互いさまとなるでしょう。ここには同調圧力は働かないのです。
社会自体が全体主義になっているかどうかは、一人一人の人が日常において同調圧力を感じているかどうかにあります。この同調圧力の大きさや幅において強くなればその社会は全体主義になっているということです。
ネット上で、「反日」とか「日本がいやならば出ていけばいい」といったような言動がありますが、こういったものが日常化すればそれも同調圧力です。
同調圧力については一人一人の人が考えるべき重要なものですね。

【2020年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記「サーモンの直行便。」が更新されました。
この世の中には共感が持てるうんちくと、どうでもいいかと思ってしまううんちくと、余計なお世話だといううんちくと、様々なうんちくがありますなぁ。。。。。
サーモンの直行便などは忘れない興味あるうんちくの一つになりますね。眼鏡ケースいっぱいのスライムの夢に出るほどに(笑)
去年家電店でエアコンを買おうと思い行ったら、店員さんがものすごく高いエアコンの便利さなどのうんちくを長々としゃべりはじめた。僕は安いエアコンを見つけたいので、せっかくの店員さんのうんちくも僕にとってはどうでもいい話になってしまいました。
やっとその長いうんちく話が終わりやすいエアコンの売り場に行ったら、そうはうんちく話も出ませんでした。
まぁ、店員さんは職業のうんちくですからなぁ。。。。。
また、うんちくも政治などの話になれば、そこには思想性なども入るわけで余計なうんちくにも興味あるうんちくにもなりますね。でも、うんちくはうんちくであり、求めているのは討論ですね。

【2021年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記 まだ知らない・・・・・。」が更新されました。
コロナの感染が拡大する東京。
ステイホームが言われ、友達と会う機会も少なくなった方も多いと思います。
川上さん宅から見えるお隣さんの庭で男三人がテントを張ってキャンプの様に食事。
ラーメン、サラダ、コーヒー。。。。。。
川上さんは夢を見る。
サラダ、ラーメン、コーヒー。。。。。
サラダやラーメンにこだわっているのではなくて友達がいないことの寂しさが。。。。
友達にLINEで連絡。。。。しかし・・・・
「まだ知らない・・・・・」
友達と連絡してあえないことを。。。。
コロナもさらに感染拡大していくことも?

【2022年】ツイッターつぶやき
振込があったので郵便局に行ってきました。
すいていて気持ちよく振り込みを終わらせたら、係の人が
「今度から110円いただきます」と。。。。。
消費税込みですから100円ということだと思います。
えっ!?と驚いて話を聞いてみたら、現金で振り込みをした場合でATMでカードで振り込めばいいような?(この辺ははっきりしません)何しろ現金で振り込みをすれば100円取られるということらしい。
なぜなんだろと訊いてみたら、現金を取り扱うと手間暇がかかるということらしい。
でも、振込は振込手数料をを取っているはずですよね。
手間暇がかかるとはいえ、銀行というのは現金を扱うのが仕事でしょう。。。。。
だから100円いただきますというのは相当ひどいもんです。
100円というのはそうは高くない値段ですが、今の銀行での預金利息を考えれば相当高額な現金取扱手数料です。
銀行もゼロ金利時代ですから苦しいのはわかります。
それでも利息は、0.00いくつの時代ですが、金を借りれば2%とか3%とか最低取られます。この差額はすごい額ですよね。
公共料金も現金で振り込むとやはり110円だと思いますが、コンビニで振り込めばいいんですよね。
郵便局は手数料で稼ぐことをやめるのでしょうか?
今日行った振り込みは確か郵便局指定だったような?今度は確かめて他で振り込みできないかよく見ようと思います。

【2023年】ツイッターつぶやき
全国旅行支援がはじまってマスコミもいろいろと取材をしています。その中で現在の感染の状態も影が薄くなっていますが、すでに第八波に入っているのは確実で深刻になりつつある。
全国の今日1日の死亡者数が過去最高になりました。新規感染者数も時期に第七波を上回るでしょう。これからピークに向かうなら死亡者数はピークとは時間差がありますからさらに増加をしていくでしょう。
中国の感染状態が大きく報じられていますが、アメリカも深刻のようでこのアメリカから入ってくる変異株はワクチンが効かないとも言われています。すでに日本に入ってきているようです。ワクチンは感染を防止するというのは死語になり、今は重症化しないと言って接種を速めています。しかし第八波を見ればワクチンの効き目も薄いようです。ワクチンを接種すると死亡者が増加するおいう方もいますが、まぁ。ここまでは言いませんが接種をしても効き目はないと言えるのかと思います。
年末年始で大都市から地方へ人の動きがありましたがこれと全国の感染者増とは無関係ではないでしょう。今の旅行支援もそうですがさらに感染を広げます。これはワクチン効果を前提にした社会的規制の緩和なのですが、そのワクチンの効果が薄いとわかれば感染防止策はお手上げで無となります。
第八波が新たな変異株に置き代わっていくとすればさらにピークはこれからとなるでしょう。

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2 コメント

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愛子さんの (non)
2018-01-12 20:48:23
本はたくさん読みました、
子育てに翻弄されてた私には、
笑いのツボをキッチリと。

大らかなオナゴはいいな~と、
あのように年を重ねられたらと、
羨望とでもいいましょうか、
読んでみたいわ!
Unknown (夕螺)
2018-01-12 21:40:29
佐藤愛子さんのことはだいぶ前にお書きになっていましたよね。残念ながら今だ愛子さんは読んでいません。
「90歳 なにがめでたい!」(笑)
これは読まねばなるまい・・・・・
と言いても老眼と乱視がひどくなりメガネが合わなくなってから本はご無沙汰でした。先日メガネ屋に行って新しく目が目をつくったら老眼が3度進んでいました。
まだ初老の勢いを失いたくない!!

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