夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「5月15日という日」

2017年05月15日 07時44分42秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2004年】
医者に行って来ました。
だるいです。。。少し昼寝。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
天気予報は大きくはずれて晴れました。
構造改革による贅肉落としかぁ。。。。
これから民間並みに公務員も減らされていくだろうし、これからも福祉関連も切り捨てられていくだろうし、それがいやだったら消費税などを上げろというだろうし、一般庶民の「裕福」といわれた生活は、僕がジム通いで落とそうとしている贅肉と同じものだったのか。。。。ううう
今夜は、チャーハン餃子でした。
チャーハンは手作りでしたが、餃子は近くの中華やさんの生餃子を買ってきて自分で焼きました。これだけではちと寂しいので、サラダとスープを付けました。
チャーハンは、僕と息子はすきなのでたくさん食べましたが、娘と妻は。。。。まったく、贅沢なんだからぁ。。。
ミニ観葉植物が元気ありません。明日また晴れたら少し日に当ててみようかな?
アマリリスの花の茎が出始めました。いつも2本ほど出るので、もうしばらく様子を見てから出窓に写したいと思います。
でも、花の命は短くて。。。。
花を楽しめる日数は短いですね。咲くかな、咲くかな。。。と思って楽しみにしているときと、ぱっと咲いた瞬間に喜びが出ます。
その点ランは長く楽しめるようですが、我が家のランはいまだ咲きそうもありません。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
5月9日の「根っこ!」(2)のつづきです。
      アボガドのお話しです。
出てきた茎が10センチほどに伸びました。
普通の木の茎ではありませんなぁ。もしかしたら、アボガドは蔓科の植物でしょうか?なんとなくジャスミンのつるが延び始めた頃の茎に似ています。
双葉が出るのではなくて伸びた茎に交互に葉がついています。
小さな葉が出はじめて一応アボガドの葉とはこういう形?とわかるようになりました。クリーム色の種はまだ硬く、割れた種の間の茎が狭苦しそうです。やはり種は栄養となり、同時に茎が巻きつくようになるまでの支えにもなっているような。
蔓科の植物ならジャスミンの鉢の横に置き硬いジャスミンの蔓に巻きつかせようかと思います。
黄色のみにバラがたくさん咲き始めました。赤いバラはアブラムシだらけで、「さらば虫くん」をたくさんかけすぐいたら、花芽が堅くなってしまい咲きません。
アマリリスの花の茎が20センチ以上に伸びました。もうじき大きな花が咲きそうです。。。去年は干した洗濯物が風に揺れて1本花の茎を折ってしまった。今年は気をつけよう。。。。
出窓の電磁波を吸い込むという観葉植物の挿し木した小さな芽が大きくなりました。
初夏。。。。。植物を眺めていると飽きないです。育てるという行為が観察する視点を養ってくれるのかな。

土曜日の昼下がり
電車に乗った
すいている車内
しかし空いた席がない
きょろきょろ見渡したが
空いた席がない
車内に一人だけ立つバツの悪さ
きょろきょろしたバツの悪さ
土用の昼下がり
日差しが差し込む
すいている車内
中途半端にすいている車内
一人つり革につかまった

【2011年】
以前から関東の野菜や牧草から基準値以上の放射性物質が検出されていたと報道され出荷制限や牧草の牛への摂取制限が出ていた。
このような野菜などに検出される放射性物質ですから当然土壌が汚染されているとみるのが自然でした。最近では福島の方の土壌汚染が問題になり校庭などの汚染土の除去が始まっています。
今朝の朝日新聞5面で、近畿大学の先生が調査した東京の土壌セシウム量が発表になっていた。
土壌汚染はばらつきが大きいそうですが、江東区亀戸の値が3200ベクレルと高く、その他の計測値でも高い値が出ています。
3200ベクレルをマイクロシーベルトに換算するにはどうすればいいのか(食ったり吸い込んだりした場合の換算方法はサイトにありますが)よくわかりませんし、一般の方が個人で計測している値に近いのかもわかりませんが、どうも東京都が発表してる値0.063マイクロシーベルトよりも高いのではないかと思います。
やはり関東も相当な汚染が進んでいると思った方がいいですね。
だんだんと専門家の方々も動き出して汚染の程度が明らかになってきます。それは一つの前進で今後の補償問題や子供を守る運動にも反映されていくのではないかと思います。

【2012年】
以前「もう一つの脱原発」として、現実に安全性から見て原発を停止させるということでの脱原発とそれに伴う実際に存在する原発産業や原発マネーなどといった経済面からの脱原発の難しさに触れました。
大飯原発の再稼働がおおい町会というどのような組織化よくわからないのですが再稼働を要望して町議会が賛成多数で再稼働を認める方向に動き、福井県も最終的な判断を示すようになりました。
再稼働やむなしといった感じですが、国などからの今夏の関西電力の電力事情などの圧力もありそうで、一方では町の経済の問題が大きくいわれている。結局は安全性から見た脱原発は一致をしているが、経済から(それは政治でもありますが)見た脱原発は克服をされずに再稼働に動いたということでしょう。
たしかに大飯町はこれまでの原発による地域経済が存在をしてそこに依拠をした投資や町の財政そして商売など様々な形で町が出来上がっているということは確かでしょう。しかし町は原発に依拠をしない人々の暮らしや経済も存在をするわけです。議会というのは、中立性から判断をしなければならないのですが、どうしても地域経済がどうのということになれば弱いわけです。地域経済に力を持つ人々の声を大きく受け入れなければならなくなる。
しかし今は原発も国内では斜陽産業になりつつあります。大飯町も近い将来には原発に依拠した地域経済から抜け出さねばならなくなることは必至です。その時に町を一つとした胃がんとなった街づくりが問われるでしょう。そこを視野に入れないで現在の地域経済ばかりを考えてばかり見られない。現実に原発マネーに依拠しない自治他が周辺にごろごろとあるわけです。そこでは福島原発のような事故が発生する危険性による被害ばかりがかぶせられる。これは大飯町の原発マネーに依拠しない人々も同じです。
経済面から見たもう一つの脱原発を急がないとなりません。
35都道府県の元職を含む市町村長70人で成る「脱原発をめざす首長会議」(茨城新聞より引用)という動きも出ています。東海村も原発などに依存する村でしょう。
自治体そして研究機関や研究者そして原発関連委員へのへの寄付金をまずは早急に禁止すべきでしょう。電力会社は値上げを言っているわけですから。

【2013年】
BULOGOSに「スタジオジブリも蝕む「憲法9条真理教」問題」という記事があった。
この中にある意味「現実論」が出ている。
9条が非現実的な宗教で、安保の存在を現実としてもし外国から攻められたらという仮定の現実を抱き合わせた現実論であると思う。
しかし安保(日米同盟)は、アフガニスタンへの後方支援まではアメリカも認めた平和憲法の範囲内(解釈的適応もあるが)に存在したもので、日本は自ら他国との戦争の解決をとらず、他国も日本駐留のアメリカ軍(自衛隊は専守防衛論的)との緊張はあるものの日本独自としての緊張関係はそうはなかった。
こう見ると日本は外国から攻められたらという仮定としての現実よりも平和主義で戦争はしなかったという現実の方がより現実的でしょう。もちろんそこには9条があったわけです。
今は中国や北朝鮮への危機論がありますが、何も戦争で決着をつけるような問題ではないのです。
ここでもやはり中国や北朝鮮が攻めてきたらといった仮定の現実が現実として示されているわけです。
危険なのは、この仮定としての現実から、平和のためには戦争をなくしましょうという反面に対して平和を築くための戦争が言われることです。同じ軍事力でも、相手国の軍事力は侵略のためと定義し、自国の軍事力は防衛のため正義のためと定義する。でも、相手国も同じ定義をしているものです。ここにズレが生じているわけです。このズレが平和というものに対して更なるズレを生じることです。

【2014年】
旧ブログPlalaの「ブローチ」が閉鎖になることによりこちらのブログに引っ越してきましたが、やっと今日で引越しも終わりました。
旧ブログに書いてきたものは「○月×日という日」(カテゴリーは『「何を思ってた?」(休ブログのまとめ)』という形で2010年から14年(3月5日まで)をまとめてこちらにその日の分を載せています。あとは。先ほど一気にアップしたものを少しまとめて今日出しました。
ほとんど漏れがないように思います。。。。

BLOGOSに「【全文】「再び"戦争をする国"になることは断じてありえない」集団的自衛権について安倍総理が会見」という今日の安倍総理の集団的自衛権とその解釈会見と質疑応答の全文が載せられていた。
これを読むと安倍総理の会見ではやはり二面性が出ている。
ひとつは安倍総理が強調する平和主義が言われていること。
しかしこれに対してもうひとつは具体的な自衛隊の軍事行動を行うことができるということで、集団的自衛権は抑止力の強化となり日本の平和を守る働きが強くなるということ。その意味においてこれまでの日本の平和主義は守られると。しかし抑止力は現実的な軍事行動を含むのが当たり前です。またいくつかの例を出していますが、アメリカの軍事を背景とした活動に対して自衛隊が同盟国としてアメリカの活動を「守る」ことができるようにする。あるいは海外で活動する日本人が紛争などに巻き込まれた場合日本は自衛隊を出せないのが現状でありこれでいいのかと。海外での自衛隊の活動をアメリカの活動や日本人を「守る」ことの重要性を言うわけですが、この「守る」は防衛的な言葉ですが必然的に自衛隊の軍事行動を意味するわけです。これはこれまでの後方支援に比べると質的な違いがあります。
この平和主義は、軍事的抑止力そして国民の命や財産あるいはそのための国家の利益のための戦争が守る平和でしょう。この論理はずっとアメリカが持ち続けてきたものです。そして世界中に軍隊を派遣して悲惨な戦争を繰り返してきたという現実の歴史の中にあります。安倍総理の積極的平和主義はこのアメリカの論理に対する集団的自衛権であり、アメリカのこの論理からの平和主義と同じも問いえるでしょう。
集団的自衛権は「守る」こと(抑止あるいは防衛)にとどまらないでしょう。
しかし現在のアメリカはこのアメリカ的平和主義(世界の平和のための戦争・正義の戦争)に矛盾が出てきてそれは経済にも大きな影響を与えている。そして国民世論も常に戦争終結に硬くいていた。アメリカは多くの過ちを犯して戦争を繰り返してきましたが、マスコミや国民世論はその戦争を批判したりやめさせる民主主義を持っていた。民主主義それが救いのひとつなのです。
しかし日本の改憲は9条だけにとどまらないことはこの間の報道や世論にもあります。すでにいろいろな形で解釈会見が行われているのかもしれません。ねじれ国会の矛盾から民主主義はいらないといった極論もありますし、国会「運営」と民主主義が対立的にとらわれているものもあるのではないでしょうか?安倍総理は集団的自衛権の解釈改憲が世界から支持されたと語っていますが、同時に世界から右傾化が心配されているということもあります。確かにアメリカの民主主義は形骸化もされた部分もあると思いますが、しかしこの民主主義を捨てるということはない。アメリカの世界戦略上の平和と安倍内閣の積極的平和主義の表面上の類似性はあるものの土台である民主主義(自由主義)には大きな違いがあるのではないか。

【2015年】
豊かな国として思い浮かべるのは国民生活の平均的な向上そして生活上の自由や民主主義の拡大です。これが資本主義社会を支える国家理念です。もちろん国民はこのような理念を支持をして資本主義を選んだ。
しかし資本主義も国家という形態の中に存在する国家そのものである。
歴史上さまざまな国家形態が存在したが、そのどの国家も国家形態そのものに縛られた。国民生活の平均的な向上や自由や民主主義はその核時代の国家形態により規定され、国家そのものの中に規制をされてきた。しかしその国家そのものの規定や制限は国家自体が発展するなかで変化発展を遂げた。封建主義を否定をして資本主義に発展をする中で国民生活の平均的な向上や自由や民主主義の理念が取り入れられて国家そのものが発展した。
しかし資本主義国家自体も国家そのものの持つ国家形態を捨て去ることができない状態が明らかになった。
資本主義の自由や平等という理念は国家主義の束縛から解放されていない。
豊かな国という中には必ず国家主義は忍び寄る。国家自体が豊かになるためには国民生活の低下や自由や民主主義の規制も必要となるというものが台頭してい来る。それが経済的にも政治的にも文化的にも国民を国家が統制すべきものとする考え方である。
この統制の中で豊の国は維持をされる。もちろんそれは社会の富の集中化としてであるが。今の日本経済は一般国民の富を大企業や富裕層(不労所得者を含む)へ移転させようとする経済システムをとる。政治的には経済的富の移転を正当化させる。文化は国を愛することへ集中していく。このような統制的な国家も豊かな国でありその豊かな国を守ることとされていく。
これは国家そのものの持つ国家そのものの重視であり、一方では資本主義の進歩性から後退をしていくものとなる。
実は国家そのものの進化過程には人の経済関係がそれを規定している。
経済政治的自由は国家そのものの発展となる。
資本主義はこの経済政治的自由を拡大したから発展をしたのであり国家そのものの発展を担った。しかし資本主義もまた富の集中と政治的自由や民主主義の集中化という結果を招いた。この富と自由や民主主義の集中化を行わなければ資本主義自体を維持できない状態とさせた。
しかしその富と自由や民主主義の集中化は経済を混乱へと導く。よって資本主義は自壊の道を進む。
安倍政権が統制的政治主導で賃上げを国家レベルの力で行わざるを得ないことに象徴される。経済そのものを統制的な方法として行う必要性こそが資本主義経済の自壊なのである。
資本主義自体も発展性があるのである。
それは統制的な国家系他を作り上げるのではなくて、国民の平均的な生活の向上と自由や民主主義のさらなる拡大を目指す国家により達成されるのである。
社会民主主義は共産主義とは別物であり資本主義の最高段階である。
ここでは富と自由や民主主義の集中化を否定されるでしょう。しかしそれが大企業の生き延びる唯一の方向となるでしょう。
資本主義で富の集中と自由や民主主義の集中化が行われるが、資本主義的生産は一般国民の消費財の生産抜きには考えられない。富を独占した人々がその大衆消費財を消費できるものではない。大衆消費財は今後もさらに価値低下(価格の低下)と大量生産の中で一般国民の生活の中に入り込まねばならない。これを疎外するのが統制的国家による経済と政治的自由の寄生なのである。

【2016年】
(記事なし)

【2017年】
オリンピックに向けてしない禁煙が決められようとしている。
自民党内は意見が分かれているようである。
そこに都議選を前にして小池都知事が公約に室内禁煙の条例化を公約にするとした。
すぐに自民党は焦りの色を示し都連は禁煙に向かいそうである。
禁煙か分煙か。。。。。
これは多くの喫煙者にとっても大きな問題である。
これを選挙の道具に使うことは間違いでしょう。
都知事も禁煙を考えるなら今でも条例化に向けて都議会内で動けばいいわけです。それを選挙公約にして先延ばしをする。豊洲市場問題も都議選まで持ち越されてしまった。
「オリンピックと金の問題など課題はたくさん。受動喫煙だけが都議選の目玉になってはいけない。
30㎡以下のバーなどの例外の根拠はどこにあるのでしょうか?同じ30㎡以下でもバーは良くて居酒屋はダメ、飲食店はダメ?。。。今の政治は数の力になっている。都議選という場もこの数の力に似ている。選挙で決める問題ではないでしょう。都民ファーストは選挙ではなくて意見交換からでしょう。」(ツイッターから)
禁煙の根拠も眉唾もので、肺癌は受動喫煙により1.3倍になるという。
「この数字では、受動喫煙以外の肺がんリスク要因を見るべきです。受動喫煙者もこのたばこ以外のリスク要因を受けています。
受動喫煙といってもどのような状態でのものかがはっきりわからない。昔のように隣の席でたばこを吸っている状態?この状態によっては、室内の分煙の効果が大きいことがわかる。そうならばオリンピックに向けて分煙を強化すべきなのです。」(ツイッターから)
今、政治は数の力で中身の討議がないがしろにされている。禁煙も分煙ではなぜダメなのかの考え方も都民にはわからないままに都知事が選挙公約にする。
数の力と選挙。。。。。これは民主主義のごく一部なのです。
ひどい場合には選挙で勝てば禊は済んだと、これまでずっと民主主義がないがしろにされてきました。
選挙では力のある小池都知事になびく政党。。。。。これでは民主主義は滅びる。
ジャンル:
その他
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「5月14日という日」 | トップ | 2017年 5月15日(月... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。