二回試験発表

2009-09-01 19:45:34 | 修習関連
本日二回試験の発表があり、無事合格していました。
そのため、晴れて9月3日付けで弁護士資格を取得することとなります。
これまで支えてくれた家族や、指導頂いた先輩諸氏、そして多くの友人達に改めて感謝です。
当たり前のことですが、1人ではここまで来れませんでした。
多くの人が自分を支えてくれていることに改めて感謝を感じるのです。

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「やっとここまで来た」という感覚と同時に「さあ、これからが本番だ」という感覚があります。
弁護士になるということは、仕事の為のスタートラインに過ぎず、むしろ、真価が問われるのはこれからです。
責任を持って、誠実に、職務に取り組んで行きたいと思います。

2回試験終了/クラスとの別れ

2009-08-18 23:49:22 | 修習関連
無事に全科目起案を綴って提出することができました。
綴り忘れに対しては異様なまでに厳しい(そこまで厳しくする必要があるのか疑問ではありますが)ので、ちゃんと綴れて出せたこと自体にほっと一息。

他の人の話を聞いていると、うちのクラスはみんなそれなりに書けているようで、心底安心しました。
綴り未了とか氏名書き忘れとかの形式面でアウトという人もいなかったようですし、後期に途中答案だった人が各科目40~50頁書いていたりしたみたいですし。

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そして、2回試験が終了したということは、1年4か月一緒に過ごしてきた修習の仲間との生活が終わるということでもあります。
大阪修習のクラスだったということもあり、ほとんどの修習生が寮に入っていたのですが、1室また1室と増えていく空き室を見るにつけて、寂しさを感じました。

クラスの3分の1くらいは東京近辺にいますし、狭い世界ですので、先々、一緒に仕事をしたりする機会もあるだろう、クラス会も定期的にあるじゃないか。
そうは思うのですが、今まで一緒に過ごしてきた仲間との日々は、あまりに楽しかったのです。

特に親しい同期との別れ際には、お互い涙ぐんでしまう場面もあったり、しばらくはこの喪失感を抱えるのかなと感じています。

でも、みんなもう前を向いて歩き出しているんですよね。きっと。

素晴らしい仲間と出会えたことに感謝しつつ、数年後にまた肩を並べられるよう、自分の道を歩んでいきたいと思います。

現行62期2回試験のメモ

2009-08-18 23:48:42 | 修習関連
新62期以降の人が検索したときにでも参考になれば、というところで。

○全般的事項
・「綴り未了」に対しては本当に厳格に対処されるようです。終了15分前くらいにアナウンスがあるので、その時点で一度綴ってしまい、その上で書き足していく方が安全だと思います。少なくとも、終了3分前くらいになったら、綴った紐をとき直すとかはしない方が良いでしょう(他の試験室では、終了30秒前に綴りなおそうとして、結局綴り未了になった人がいたとか)。
・民事裁判だけは表紙に科目名が印刷されていましたが、他の科目は自分たちで記入する方式でした。民事裁判が初日だったこともあり、2日目に「初日に科目名書いてない・・・」と青褪めた人が多数いたとか。笑

○民裁主張整理
第三者弁済によって代位した保証債務履行請求を求めるという事案でした。
論点としては
・保証債務履行請求権
・貸金返還請求権
・利息支払請求権
・損害賠償請求権
・相殺
・債務者対抗要件
・異議なき承諾
・代物弁済(債務消滅原因)
あたりで、典型論点目白押しという印象です。

○民裁事実認定
貸付か贈与かという事例でした。

○民弁
借主が誰かが争われる事例でした。
小問では、商事消滅時効に関して、被告の主張、原告の主張を書かせるという設問があったのがやや目新しい感じでした。

○刑裁
主問は、強盗の犯人性でした。
・犯行使用車両と被告人所持車両のつながり
・被害品である現金と被告人の類似する現金の所持
・被告人と犯人の外見的特徴の一致
あたりが間接事実になる事例で、割と典型的な起案であったように思います。

車両について、車両自体の同一性を検討した上で、他の人が被告人の車両を使用した可能性がないかの検討とかで差がつくのかなと思いましたが、合否を分けるラインではないでしょうね。

小問は、後期起案より増えたように思いました(後期は1時間かかってなかったのが、2回試験では1時間30分くらいかかりました)。
出題は、
①血液採取の際に鑑定処分許可状だけではなく捜索差押え許可状を併用する理由
②「違法収集証拠であるから不同意」との弁護人意見がなされた場合の訴訟指揮
③被害者が意見陳述出来る機会、および、それらが証拠になる場合
ともう1問くらいあった気がします。
法律問の論述問は違法収集証拠の事例問題でした。

○検察
放火の犯人性起案でした。
犯罪の成否部分については、いわゆる現住性の喪失が問われました。
法律問は第一回公判期日前の証人尋問とやや変り種が出ました。

○刑弁
児童に対する強制わいせつ事案でした。
・被害者による目撃・識別供述の弾劾
・自白の任意性の弾劾
が主たる柱で、付随的に自白の信用性の弾劾が必要であり、場合によっては違法収集証拠排除の主張もあるかなという内容でした。

総評として、ちゃんと勉強している人を受からせよう、という姿勢を感じる試験内容でした。
聞くところによると、新62期の人で大分、不安になっている人もいるようですが、白表紙をしっかりと熟読し、講義で教わった内容にそって素直に起案すれば、全然問題ないレベルになるんじゃないかなと思います。

後期修習終了/二回試験直前

2009-08-07 20:33:10 | 修習関連
ついこの間東京に戻ってきたと思っていたのですが、いつの間にか後期修習も終了してしまいました。
ひたすら起案・講評の繰り返しで怒涛の2か月。

起案の成績にはそれなりに満足する部分もなくはないですが、やはり2回試験への対策に偏ってしまった感があり、その点はやや残念でした(民事模擬裁判のカリキュラムなど、ある程度実務を意識して活動出来た部分もあったかなとは思うのですけれど)。

あ、でも、試験対策的な部分について、クラスで共同していろいろと準備出来た点は良かったです。
1年4か月丸ごと一緒にいただけはあるなという仲の良さでした。笑

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いよいよ来週の月曜から2回試験が始まります。
各日7時間30分×5日というテストは未知の領域ではありますが、淡々と、「いつもどおり」に試験を受けられれば大丈夫、と信じています。

9割受かる試験でもありますし、結局は、①最後まで投げずに書ききる「気力」、②5日間健康な状態で受ける「体力」、③毎日30~50ページを書く「腕力」があれば大丈夫じゃないかと。

クラス全員合格して、笑って9月の謝恩会を迎えたいものです。

実務修習終了/大阪→東京/後期修習に向けて

2009-06-13 11:30:33 | 修習関連
1年間にわたる実務修習がついに終了しました。
あっという間の1年間でしたが、本当に充実した1年間だったと思います。

修習は手を抜こうと思えばいくらでも手を抜ける反面、力を入れようと思えばいくらでも力を入れて行うことが出来るというのが1年経った印象で、それは実務に出たあとも同じなのでしょうね。
刑事・民事を問わず、感動するほど熱心に仕事に打ち込んでおられる方がおられる反面、どうにも腰の重い弁護人がいたり、裁判所に仕事を投げているのではないかと疑念を持つ代理人がいたり。

特に、実務に出ると、限られた時間の中でより多くの事件を処理することが求められると思われるため、時間と仕事の質のバランスは多分一生悩む課題の1つなのではないかと思うのですが、人の人生を背負うという事の性質も考えれば、自分の仕事に自信と誇りを持てるだけの仕事をしたいと思うのです。

実務修習で多くのことを学びましたが、それでも求められるレベルには遥かに及ばないという現実もあり(だからこそ「修了」でも「完了」でもなく「終了」というタイトルになるのですが)、今後一層の努力と成長を、と思う次第です。

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そんなわけで、1年間の大阪生活も終了してしまいました。
(今は、建物の明渡のために時間をつぶしているところです。)

大阪に縁もゆかりもほとんどない中で、あえて大阪修習を選ぶ、という選択肢は結論としては悪くない選択でした。
修習生も実務家の方も、関西近辺の出身の方が多く、そのホームグラウンドで1年間生活出来たということは貴重な経験だったなと(大学でも関西出身の友人は多いのですが、彼らと関西で会うということはあまりないですし)。関西圏の感覚と関東圏の感覚の違いというのは、やはりあるようです。
(聞くところでは、裁判所についても、大阪は東京に比べて「風通しが良い」とか。)

大阪と東京の違いを改めて実感するのは東京に帰ってから、かもしれません。

***

16日からは後期修習ということで、和光市の司法研修所に2か月間缶詰になります。
そして、8月の中旬に卒業試験にあたる2回試験があるという日程です。ちなみに7時間半のテストを5日間連続らしいですよ。法律家になるためには、まず体力が必要ということでしょうか。笑

周りを見ていると、後期修習の目的=2回試験突破、というような雰囲気があり、これを否定するわけではないのですが(2回試験突破出来ないと実務家になれませんし)、そればかりに偏るのもなんだかなあ、と思っています。
(これは実務修習の終盤についても同じような感覚がありました。裁判官や他の弁護士が手の内を教えてくれる機会なんてそうそうありませんよ?)

修習そのものが実務家の養成に向けられたものであり、後期修習は、実務修習で得たものを復習・再構築し、実務へ向けた最終準備とすることが本来の目的であるように思われます。
2回試験を軽視するわけにもいかないので、2回試験のための対策(アレンジ・ピーキング)は必要なのですが、それがために汲々とすることなく、広い視点で後期も勉強を楽しめればよいなと思います。

小室の件

2009-05-11 22:02:24 | 修習関連
判決の言い渡しがありましたね。
朝、裁判所に行ったら行列ができていました。

さっき、報道見ていて、
「冒頭に、主文を言わない異例の言い渡し」
というような表現があったのですが、実は事件を担当した杉田宗久裁判長は執行猶予の事件について「被告人は有罪である」で始めるのが通例だったりします。
執行猶予であることを聞いてしまうと、安心してしまって、その後の判断理由をちゃんと聞かないからだとか。被告人の更生を考えてということですね。

刑事訴訟は、特に、手続上の規律が厳しいのですが、その中で法律に規定されていない、裁判所の裁量がある部分における工夫の1つということで。
同じような例で、杉田裁判官は、執行猶予の判決を出したあとに被告人と握手する裁判官としても有名だったりします。これも被告人の更生を考えてとか。

量刑自体の当不当については報道情報で見聞きした範囲なので適切なコメントが出来る立場ではないですが、これだけ巨額の詐欺事件で、かつ被害賠償がなされているというのは事件自体かなり珍しいように思われます。
(額が大きくなるのは背任・横領などでもよくありますが、額が大きくなればなるほど賠償はし辛くなるので)
上記の賠償の点が、違法性の量刑の上での減少的評価、また、それだけの出捐をしてくれる人がいるということで更生の見込みに与える影響が大きかったのだろうなと思いました。

体調と体力の違い/風邪の対応

2009-04-30 21:21:37 | 修習関連
先々々週末から2週間越えで風邪をひいています。

日曜に発熱⇒1日寝て回復
(月~木は無事経過)
金曜に発熱⇒半日寝て回復
(1週間ほど経過)
日曜に発熱⇒1日寝て回復
月曜日に医者に行ったところ、気管支炎一歩手前と診断が...

さすがに諦めて3日間ほど完全休養にして、体調は普段通り程度に回復しました。

ただ、気をつけないといけないのは、「体調」は整っても「体力」まで回復してるわけではないのですよね。たぶん。
今までの経緯を見るに、だましだましやった結果、徐々に徐々に体力がかなり削れている気が。

修習には明日から復帰しますが、早く体力も回復するよう、養生に努めたいと思います。

***

そんなわけで、風邪の対応に失敗したわけですが、仕事を始めていない時期で良かったというのが率直なところ。

今回、経験してみて良く分かりましたが、ある程度重い風邪をひくと、1~2週間の低効率化or/and数日の完全休止が必要になってしまうわけで、仕事始めた後だとこれだけ休みとるのは実際、無理じゃないかと思うのです。可能であっても、周りにかける迷惑が大きすぎる。
38度5分とかある中で仕事されていた修習先の弁護士の先生とか、めっちゃ体調悪そうな状態でも証人尋問聞いていた右陪席とかの姿が思い起こされます。

そうすると結局、予防が大事なのかなと。
うがい、手洗いといった基本的なところに加えて、栄養のある食事、定期的な運動も風邪になった場合と比較するとやっとく方が(コストを考えても)良いのではないかと思いました。

民裁修習徒然

2009-04-06 23:45:49 | 修習関連
民裁修習も始まって早くも3週間が経ちました。
刑裁修習とは違った意味で、裁判官に圧倒されっぱなしの日々です。

修習地によって、また、部によって修習内容も様々だと思うのですが、現在、僕が修習させて頂いている状況は、部長(部総括判事)について、部長の単独事件を全件傍聴し、その前提として事件記録を読み、別途、判決等の起案をいくつか担当させて頂いてるという感じ。

この期日(≒打ち合わせ)がとてもヘビーです。日によりますが、概ね1日10件前後、1週間で合計50件ぐらいの期日が入っている感じですかね。※1
日中はずっと期日が入っていて、間の時間でちょこっと記録を読み、17時を過ぎてからようやく記録を読んだり起案をしたりということになるわけですが、1つ1つの事件記録も読むのに結構時間を取られたりするわけです。
ただ、読むわけではなく、訴訟物・要件事実を踏まえて、争点を把握し、釈明事項を考えて、今後の進行を考えて…とやることてんこ盛りですし。

そんなわけでアップアップな日々を送っているわけですが、1つ1つの記録を長い時間かけて読んでいる僕らよりも、下手をするとそれぞれの当事者よりも、部長の方が記録の細部まで把握しているという悲しい現実。※2
そも、修習生とは同列に議論しようというのがオコガマシイのは十分承知ではありますが。。。

多分、こういった感覚を覚えるのは実務に出るのが刻々と近付いているという現実が主たる原因なのでしょう。
二回試験に通ってしまえば、建前上は、対等な法律家。一切の甘えの許されない世界がすぐそこにあります。

※1
よく、裁判官は1人で200件くらいの事件を担当していると言われますが、体感的に納得の数字です。
大体1つ1つの事件は期日と期日の間が3週間~1月程度空くので、50×3~4で概ねこの数字。

※2
裁判官の方が記録を把握していて当然、という気はしますが、裁判官は転勤があるので、その直後は(新しい記録が大量に目の前にあるという点では)修習生と同様の状況だと思われます。
上記に加えて、当然ながら合議事件の進行もやりーの、修習生の面倒もみーのと、事務処理の量が文字通り、桁違いに感じます。

ハルシュウ(春の修習祭)

2009-03-23 02:09:58 | 修習関連
週末に、「春の修習祭」という講演会企画がありました。
全国の現行修習生を大阪に集めて、様々なテーマの講演を聞いてもらうという企画で、僕も企画担当で参加させてもらっていました。

企画の立ち上げが前期修習中だったので、足かけ10か月、色々と大変だった部分もありましたが、参加者からは概ね好評だったようで(講演終了後に講師と話し込んでいる参加者の姿みられるものもしばしば)、自分自身でも得ることが非常に多く、実施出来て良かったなと思いました。

以下、聴講した講演について簡単に感想をまとめておきます。

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基調講演は「司法制度改革について」というテーマで京都大学名誉教授の佐藤幸治先生に語って頂きました。
先日の記事で書いてたのが、佐藤先生との打ち合わせということで。
法と政治の関係について明治期から遡って議論がなされていたり、やや理念に偏った感はあるのですが、アンケートなどをみると、響く人には響いた、というところのようで。

他面、ロースクールに関連する部分はやはり反対意見も多かったみたいですね。
佐藤教授の論旨は、法律家(法曹)は、医者と同様のProfessionであり、ペーパーテストだけではなく、実習を伴うことが必要であるということを前提に、ロースクールの必修化を義務付けることを正当化されるのですが、第一に、ロースクールに実習を求める必要性があるのか(修習や、事務所等への実務に出てのOJTが相応しいのではないか)、第二に、ロースクールが実習を実施出来ているのかという批判が多いようでした。
第2の批判は、実施の点に関するものなのでこの記事では留保するとしても、第1の点については妥当な批判であるように思われます。確かに、修習はどうしても「官」のものであり、画一的なものとなるという反論はある程度理解できるところなのですが、多様性を図ることは実務に就いた後OJTで事件処理をしていって(そして、それに伴い様々な問題意識を醸成していき)得るのでも良いのではないかと思うのですよね。
大学側の利権ともいわれますが、むしろ学部に比べれば採算はとりがたい(少人数制)ようですし、このあたりは疑問の残るところです。

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分科会講演その1は、弁護士の中島茂先生に「危機管理広報について」というテーマでお話を頂きました。(追記予定)


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分科会講演その2は、性犯罪被害者の支援活動をしておられる小林美佳さんに「性犯罪被害について」というテーマでお話を頂きました。
小林さんは、ご自身が8年ほど前に性犯罪被害に遭われて、昨年、その経験を『性犯罪被害に遭うということ』(朝日新聞出版)という形で出版された方です。HP
小林さんの経験された被害、その後の苦しみなどは同書の中に記されていますので、それ以外で講演の中で印象に残った点をいくつか挙げてみることとします。

○苦しむ人との接し方
被害を受けた人の苦しみを、本当の意味で理解することは難しいながら、その苦しみを分散することは出来る(「解る」ことは出来ないが、「分かる」ことは出来る)ということと、「聞かずにそっとしておく優しさ」も伝えなければ意味がないという点を強調されていました。
確かに、被害に遭って苦しむ人に話を聞くことが、かえって苦しみを増長するという場合もあると思われますし、その判断は難しいのですが、反面、聞いてほしいという人もいるということにも留意する必要があります(小林さんのお話では、聞き方についてはともかく、聞いてもらい人と接触することは被害からの回復に有意義であることが多いというご趣旨でした)。
その折衷として(いずれの可能性についても対応する方法として)、「聞かずにそっとしておくね、話したかったらいつでも聞くよ」ということをしっかりと示すべきというお話が強く印象に残りました。

○顔を出すことの意味
同書を見ると分かるのですが、小林さんは実名で、顔を出しておられるのですよね。
この点について伺ったところ、顔を出すことで、社会を少しでも、動かせるのではないかという趣旨のお答えでした。
文章を書くときに、署名して書いたものとそうでないものの差異にも似たものがあるように思いますが、責任を持って行動しているということを伝え、また、実際に1人の人間がそのような被害を受けたということをヴィヴィッドに想像させる効果があるのかなと思います。

○被害者と遺族の差
被害者と被害者遺族、いずれも「被害者」というくくりで話をしてしまうことが多いようですが、被害者自身と遺族は(それぞれに苦しみを抱えるのは当然ながら)、苦しみの質・内容が異なるということが看過されているというご指摘がありました。
たとえば、事件の真相を知る、という点でいえば、少なくとも客観面に関しては、被害者自身は知っているわけで、「真実を知りたい」という欲求は少ないわけですね。
むしろ、ケアとして「自分の中で記憶を持って生きていかなければいけないという苦しみ」のケアをより丁寧に行うことが必要であると。
被害者参加制度などの運用にあたっても、この辺りのことは考えていく必要がありそうです。

○早期段階での聴取の難しさ
想像している以上に、被害を受けた時点の事情聴取は困難を伴うということが伝わりました。
(被害直後には思い出せず、被害後に感情が戻ってきてようやく思い出せるという状態もあるようです)
ただ、様々な工夫によって、事情を聴くことを円滑化することは可能ではないかということで、たとえば、事情聴取をするスタッフを増やして(男性・女性両方から選べるようにする)話しやすい人がいる可能性を高めるとか、しゃべりにくい人にはペンで書いてもらう、選択肢を紙に書いておいて選んでもらうとか。
現場検証の際に、複数の女性を連れて実施することで、被害者がだれか明確にならないようにするという工夫をされている警察署もあるそうです。

アメリカではサート(?)というシステムがあり、警察、医師、弁護士、カウンセラーでチームを組み、証拠採取、事情聴取、ケアを同時に行っているところもあるとか。

ちなみに、小林さんが著書を出版されてから連絡をとった被害者の方は、10か月の間に1000人を超えるそうですが、そのうちで、被害届を出したのは僅かに10人だそうです(ちなみに起訴されたのはそのうち3人)。被害直後の事情聴取の困難さは察するにあまりあります。

過去を知ることの大切さ

2009-03-18 02:10:31 | 修習関連
記事を書くだけ書いてアップするのを忘れてました。。

法律家の仕事には、過去に生じた問題の解決を目的とするものが多いです。
なので、過去に目を向けることは、法律家にとって日常的なことといえます。
ただ、この過去に目を向けるというのは、なかなか難しいなと思った出来事が2つ続きました。

1つ目は、先日の、模擬法律相談(※1)でのこと

相談者:
今の借家には平成12年くらいから住んでるのですが、最近、借家の抵当権が実行されるという話になっていまして… 抵当権が実行されたら、立ち退かなければならないのですか?
抵当権は平成10年くらいからついていて、私は当初2年契約でそのあとも更新してきたのですが。。

修習生:
抵当権の方が先についてますから、基本的には出ていかないといけないですね。
ただ、抵当権の実行から6ヶ月は出ていかなくて大丈夫ですよ。

…これがダウト。
平成15年改正前にもとの契約がなされているので、旧395条(悪用されたことで有名な短期賃貸借制度)が適用されて、この場合は2年間出てかなくて良いのです。※2

大学で勉強していたときには完全に「過去の話」として聞いていたトピックですが、過去の法律は現在まで継続するという。

もう1つは、修習先の事案なので、詳細は省略しますが、本人確認に関する問題です。
昨今は、非常に本人確認が徹底されているので、それに慣れていると、本人確認は当然にしているものと思ってしまうのですが、10年前とか20年前だと状況はだいぶ違うわけで。

前者の例は、法律について、後者の例は事実についてと場面を異にしますが、適切な事件処理のためには、「当時の状況」をしっかりと想定・把握することが重要だなと痛感しました。※3

(法整備や予防法務など将来に向けた取り組みもありますし、個人的にはそっちの方にも強く魅力を感じますが)

※1
弁護士の先生方が相談者役、修習生が弁護士役で、法律相談を受けるという修習。
普段の弁護修習では、基本的に傍聴になるので、事件を受ける当事者として話を聴くのは、非常に刺激的でした。

※2
執行妨害として悪い印象が強い制度ですが、弁護士の方によると、賃借人保護の観点で妥当なケースも少なからず存在したとのお話でした。

※3
さらにいえば、当時の客観的な事実関係という問題と同じか、それ以上に想像が難しそうなものとして、当時の主観的な事実(心理状態など)という問題もあると思われます。