遊爺雑記帳

ブログを始めてはや○年。三日坊主にしては長続きしています。平和で美しい日本が滅びることがないことを願ってやみません。

今更共同宣言を主張する露は論理破綻している

2016-10-24 23:58:58 | ロシア全般
 12月のプーチン大統領の訪日で、北方領土問題で「新しいアプローチ」の進展があるのか。一時大きく膨らんだ期待が、鎮静化してきています。
 日本では報道されていなかった、プーチン大統領の強行発言が報じられるようになったことが大きいのですね。ひとつは、プーチン大統領は、両国が"批准"した日ソ共同宣言を一貫して基本としているということ。もうひとつは、その共同宣言でさえ、「そこ(日ソ共同宣言)には、二島がいかなる諸条件の下に引き渡されるのか、またその島がその後どちらの国の主権下に置かれるかについては、書かれていない」と主張し、引き渡しも条件次第で、その後も露が主権を保持する可能性を示唆し、同じフレーズを繰り返していることが知られてきているからです。

 新潟県立大学袴田教授は、このプーチン大統領の主張は論理破綻していると指摘し、12月の首脳会談への甘い期待や幻想を抱かない様指摘しておられます。
 

「東京宣言」を無視する露の詭弁 新潟県立大学教授・袴田茂樹 (10/24 産経 【正論】)

 
12月にプーチン大統領が来日し、安倍晋三首相と北方領土問題についても話し合う。いかなる合意がなされるのかに関し、わが国のメディアは「二島先行論」とか「共同統治論」などさまざまな報道をしたが、その都度日本政府は否定した。
 今年5月のソチでの日露首脳会談で、「従来の発想にとらわれない新アプローチ」を提案して理解を得たとする
安倍首相や菅義偉官房長官も、北方領土問題に関する日本政府の立場に関しては「(択捉、国後、色丹、歯舞群島の)四島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」との基本方針は全く揺るがないと強調
している。

≪対日政策最大の失敗だった署名≫
 ちなみに、この場合の「帰属」とは「日本への帰属」ではなく、中立的な「所属」という意味で、交渉の結論については言及していない。これは1993年の「東京宣言」中の文言であり、中立的表現だからこそ露側も署名したのだ。もちろん日本は、「北方領土問題の原則的(原理的)立場」として、法的にも歴史的にも四島は間違いなく日本領だと主張している。しかし
「平和条約交渉の基本方針」としては、厳密にこの東京宣言の立場を、歴代のわが国の首相も外相も繰り返し述べている


 実は、
露側は東京宣言に署名したことを、対日政策の最大の失敗だと深く後悔している。その理由は、1956年の日ソ共同宣言では「平和条約締結後に歯舞群島、色丹島を日本に引き渡す」と合意して、国後、択捉には触れていなかったのに、東京宣言では四島の帰属問題が未解決、すなわち日露間に未解決の領土問題が存在すること、それが北方四島であることを認めてしまったからだ

 
プーチン大統領は平和条約交渉に関連して、2005年に初めて「南クリル(北方四島)は第二次世界大戦の結果露領となり、国際法的にも認められている」と主張するようになり、これがその後の露の公式的立場
となった。したがって、今年9月のウラジオストクにおける日露首脳会談の直前の会見で大統領は、日本との間の問題は第二次世界大戦の結果に関するもので、その見直しを求めればパンドラの箱を開けることになる、と見当外れのことを述べている。

≪主張は論理的に破綻している≫
 日本の要求は、大戦後画定した領土や国境の見直し、即(すなわ)ち歴史の修正主義ではない。
四島の帰属が未解決と認めながら、今それを否定する露こそ歴史修正主義
だ。
 
露側の主張は明らかに東京宣言の合意に反するが、同宣言を否定するためにプーチン大統領や露の政府、専門家が持ち出す苦肉の論法が、「56年宣言は両国の国会が批准しているので法的拘束力を有するが、
東京宣言は国会で批准されていないので法的拘束力がない」との主張である
 
この主張は2つの点で論理的に破綻
している。第1に、2001年の「イルクーツク声明」、03年の「日露行動計画」で、大統領自身が批准手続きを経ていない東京宣言を、平和条約締結の基礎となる重要な宣言だと認めて署名していること。第2に、1980年の「条約法に関するウィーン条約」では、批准が必要だとの合意がない限り批准を経なくても、2国あるいは複数の国家の全権代表が署名した文書は、その名称如何(いかん)に関わらず、条約としての力つまり法的拘束力を有する、と国際的に取り決められている。ちなみに、日ソ共同宣言はその文面で批准を求めており、東京宣言はもともと批准を想定していない。

≪12月会談に甘い期待を抱くな≫
 
露は苦し紛れに東京宣言を無視して日ソ共同宣言のみを有効と主張しているのだが、解せないのは日本の多くの専門家たちも、露の間違った論に巻き込まれて、東京宣言をほぼ無視していること
だ。

 
さらに深刻な問題がある。プーチン氏は、「ヒキワケ」発言をした2012年3月1日に「そこ(日ソ共同宣言)には、二島がいかなる諸条件の下に引き渡されるのか、またその島がその後どちらの国の主権下に置かれるかについては、書かれていない」と、信じられないような強硬発言をしている。つまり、引き渡しも条件次第で、その後も露が主権を保持する可能性を示唆しているのだ。大統領は14年5月23日、さらに先月の首脳会談後の9月5日にも、同じフレーズを繰り返している。つまり、これが彼の固定観念になっている
のだ。

 問題は、
これらプーチンの強硬発言が、わが国のメディアでほとんど報じられていないことだ。安倍首相は8項目の協力提案をしたが、9月1日に大統領は、「大型の経済協力と引き換えに領土の取引はしない」とも断言している。彼が9月におけるウラジオストクでの安倍提案で評価しているのは経済協力だけで、「平和条約問題を共に勇気をもって解決しよう」との呼びかけは軽くあしらった


 私が露側の論理的矛盾とプーチン大統領の強硬姿勢を述べたのは、首脳会談に甘い期待と幻想を抱いて日本側が一方的にのめりこまないためである。(はかまだ しげき)

 プーチンの「日ソ共同宣言」固執は、「東京宣言(領土問題を、北方四島の島名を列挙して、その帰属に関する問題と位置づけるとともに、領土問題解決のための交渉指針が示された。)」に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すべきことを再確認した、「イルクーツク声明(2001年)」や、日ソ共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明及びその他の諸合意が、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するとした、「日露行動計画(2003年)」に署名したプーチンとで論理破綻しているとの指摘です。
 1991年の「日ソ共同宣言」の後に両国首脳が署名した、領土問題は4島が対象とする「東京宣言」、されを再確認しつづけた、その後の両国首脳。わけても、「イルクーツク声明(2001年)」、「日露行動計画(2003年)」は、プーチン大統領自身が署名しているのですね。
 批准されている「日ソ共同宣言」に戻そうとするプーチン大統領ですが、1980年の「条約法に関するウィーン条約」では、批准が必要と指定していない両国首脳が署名した文書は法的拘束力を持つとされており、1980年以後にプーチン大統領が署名した、、「イルクーツク声明(2001年)」、「日露行動計画(2003年)」は、「日ソ共同宣言」を上書き更新した、歴とした条約と同等の法的拘束力を持つ文書なのですね。

 まして、「日ソ共同宣言」を自国の都合がよい様に曲解し、引き渡し後も露が主権を保持する可能性を主張するとは、平和条約締結への本気度が疑われます。
 ウラジオストクでの交渉時に示した、経済協力には関心を示すが、領土問題には反応しない姿勢が真の姿なのですね。
 「大型の経済協力と引き換えに領土の取引はしない」と断言するプーチン大統領。裏返せば、大型の経済協力を獲得する交渉に、領土問題が切り離せないと認識している証の発言でもありますね。

 袴田教授が、首脳会談に甘い期待と幻想を抱いて日本側が一方的にのめりこまない為にこの主張をされたと締めくくっておられます。
 総裁任期の延長がまとまる気配となってきました。交渉を急ぐ必要があるのは、台所が苦しいロシア側です。日韓合意で、3億円を払っただけで慰安婦像は撤去されるどころか、増設される勢いの大失政の日本外交。経済協力を引き出すためのニンジンとして、領土問題・平和条約を利用するロシア。サハリンの開発で成果を横取りされた経験を忘れてはいけません。終戦のドサクサで、平和条約を無視して満州や北方領土に攻め入ってそのまま四島の不法占拠を続けるロシアの実績を思い出すべきです。
 焦らず、じっくり交渉して、国益を損ねない様にしていただくことを期待します。



 # 冒頭の画像は、9月にウラジオストクで会談した両国首脳




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ソ連が満洲に侵攻した夏 (文春文庫)



 

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