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「起て飢えたるものよ。今ぞ日は近し・・・」インターナショナルの歌

2017-01-08 03:35:52 | 日記
私も日本福祉大学時代、コンパの最後それまでは肩を組みあって歌っていたものを、全員が直立不動で「起て飢えたるものよ。いまぞ日は近し・・・」インターナショナルの歌を歌いました。これは、1872年にヨーロッパでの活動を終えたあとで、そこで活動したフランスの労働者がつくった歌です。
 だから、この歌はマルクスがまさに、「賃金、価格および利潤」の問題を講演したインターナショナルの組織を歌った歌なのです。
インターナショナル(国際労働者協会)ができたのは、1864年、「ポーランドの革命運動を応援しよう」国際集会が開かれ、「国際組織をつくろう」との提案が実を結んだものです。19世紀のはじめは、フランス革命とナポレオンの時代が終わり、ヨーロッパに王政復古と反動の時代がやってきますが、それをひっくり返す革命が、1848年にパリで起こり、ウイーンへ、ベルリンへ飛び火してフランス、オーストリアとドイツの3つの国で革命が広がりました。そのうちイタリアでも革命が起こり、1848年から49年にかけてヨーロッパ革命が各国を揺るがしました。
 マルクスとエンゲスルは、ベルギーへ亡命していましたが、革命の知らせを聞いて、故郷ドイツのライン地方、ケルンに帰り、「新ライン新聞」という革命的民主主義の新聞を出して、大活躍をします。
 その革命が、48年、49年にあいついで、オーストリア、ドイツで敗北。フランスは、取り戻した共和制政府がどんどん右寄りになって、大統領になっていたナポレオンの甥ボナパルトがクーデターを起こし皇帝制を復活させます。それ以後、ヨーロッパは政治的に反動の時代に入りますが、1860年度にフランスとイギリスの労働者の交流が始まり、1864年にロンドンで集まり、「国際組織をつくろう」旗揚げとなり、マルクスが創立宣言や規約の起草にあたり、指導的役割を発揮しましたが、特別や役にはつきませんでした。当時のヨーロッパ各国では、労働組合は禁止されており、イギリスに労働組合があるだけで、労働者の政党は、ドイツのラサール派の組織だけでした。社会主義者の側でも「労働組合などつくるな」という反対派の方が多いという状態でした。
 このインターナショナル(国際労働者協会)は、1864年に生まれて、1872年にヨーロッパで活動を終え、たった8年ほどでしたが、ヨーロッパの労働者の運動を新しい段階にすすめただけでなく、各国で労働者の政党や労働組合も運動の当たり前の形態として組織されるようになったのです。そういう歴史的役割をはたしました。 

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