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史的唯物論 第4の定式 革命の時期の土台と上部構造 社会変革で決着をつけるのは上部構造

2017-03-30 03:31:22 | 日記
第4の定式は、社会革命の時期の土台と上部構造の関係をどうとらえるかに焦点をあてています。

 難しいけれど、マルクスの原文を打ち込みます
「このような諸変革を考察するにあたっては、経済的な生産諸関係に起きた自然科学的な正確さで確認できる物質的な変革と、人間がこの衝突を意識するようになり、これとたたかって決着をつける場となる、法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、簡単に言えばイデオロギー諸形態とを、つねに区分しなければならない。ある個人がなんであるかを判断する場合に、その個人が自分をうぬぼれ描く評価には頼れないのと同様に、このような変革の時期を、その時期の意識をもとに判断することはできないのであって、むしろこの意識を、物質的生活の諸矛盾から、すなわち社会生産諸力とのあいだに存在する衝突から、説明しなければならない」
 この文章は難しいけれど、大変に味のある革命論です。

 この文章で言われていることで大事なことは、マルクスは、社会変革の基礎をなす経済的変化は、経済の発展の過程で、人間の意識と独立して進行するが、革命の決着は、人間が意識をもっておこなう上部構造の場でつけられる、と言っていることです。
経済的土台での衝突は、経済的に自然成長的に進むのですが、いざ社会が本格的に変革するときの勝負というのは、いつも上部構造が主要な舞台になるということです。

 では、上部構造での革命派と旧体制派との対決という時に、その社会が現実にどういう変革をめざしているのかをみんながわかって対決しているかというとそうではない、といいます。

 その例として、わかりやすいのが、日本で幕末から明治維新への変革です。幕末の動乱期に幕藩体制に反対した志士たちの最大のスローガンは、最初は「攘夷」でした。幕府が欧米の国々と条約を結んだのがけしからんといって、「開国」の幕府を倒そうとしたのが始まりでが、結局、薩摩・長州はイギリスと組んで幕府を倒しました。
 それで新政権は、西洋文明を取り入れ、資本主義への道に踏み出すのですが、もともと、資本主義革命を旗印にして明治維新をやったものはだれもいません。
 マルクスは言います。「ある個人が何ものであるかを判断する時に、当人の自慢話に頼ってはいけない」また、ある人がペテン師ではないといってもそのことの証明にはなりません。それと同じように、その時代に革命の看板になったことが必ずしもその革命の客観的意義を表してはいない、とういことで、これまでの革命はみんなそうでした。

 しかし、いま日本共産党がめざしている変革、多数者革命はそこが違います。
多数者革命とは、こういう変革をしたら何がおこるのか、国民の状態、いろいろな階級、階層の状態にどんな変化が起こるか、日本の針路にどんな新しい展望が開けるか、こういうことを主権者である国民が意識して、そういう目標を自覚的に目指す勢力が国民の多数派になることで革命を実現しようということをいうのです。
 社会が発展すればするほど、上部構造は巨大になります。経済的土台の矛盾が深刻になればなるほど、イデオロギー面での支配で国民の多数者を現在の体制の側に引き付けようとする支配者の思惑と体制は強烈になってきます。社会変革の決着をつけるのは上部構造での闘争だというマルクスの指摘がいよいよ重要になっています。
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