小林正啓著「こんな日弁連に誰がした?」平凡社新書
小林弁護士がブログで書き連ねていたものを新書として刊行したもので、読み物としては面白いが、著者の思いこみ・独断の傾向が強すぎる。「ブログ」という形態ならまだしも、書物としてはどうかと思ってしまう。
違和感をいだいたのは、左翼系弁護士が日弁連の主流派であったとか、左翼系弁護士が法曹人口増員に反対しビジネスローヤーは賛成していたとか、法曹一元に日弁連が熱狂して弁護士大増員に賛成してしまったとか、事実認識として妥当、正当とは言い難い論述が多いことである。私の認識では、日弁連が左翼に牛耳られていたなどとは到底言えないし、人権派弁護士が人員増に反対していたなどというのも事実に反する。むしろ、地方のフツーの弁護士は人員増に懐疑的だったが、人権派にせよ、ビジネス派にせよ、日弁連という組織に影響力を持つ弁護士らが、法曹人口増やむなし、あるいは望ましいという意見を大きくしていったのだと思う。まして、法曹一元に熱狂して3000名増員に賛成したなどというのは、作り事にしか聞こえない。
日弁連は、強制加入団体であり、考えも右から左まである中で「会内合意の形成」にたどりつくのが難しい。その意味で意思決定に遅れが出るきらいのあることは間違いない。弁護士の中には多種多様な考え方があろうが、それでも権力に対峙するtきに内部が分裂していては話にならないのだ。市民・マスコミの支持・共感を得られるような政策提言でなければ、「業界エゴ」とさげすまれてしまう。この舵取りがホント難しいところだと思う。
ただ、裁判所や法務省と時として「対決」するのは、在野法曹という立ち位置からしてむしろ当然である。「市民のための司法改革」を掲げた中坊主流派路線の蹉跌が目に見えてきた中で、宇都宮新会長が、どういう立ち位置を定めるのか、注視したい。
小林弁護士がブログで書き連ねていたものを新書として刊行したもので、読み物としては面白いが、著者の思いこみ・独断の傾向が強すぎる。「ブログ」という形態ならまだしも、書物としてはどうかと思ってしまう。
違和感をいだいたのは、左翼系弁護士が日弁連の主流派であったとか、左翼系弁護士が法曹人口増員に反対しビジネスローヤーは賛成していたとか、法曹一元に日弁連が熱狂して弁護士大増員に賛成してしまったとか、事実認識として妥当、正当とは言い難い論述が多いことである。私の認識では、日弁連が左翼に牛耳られていたなどとは到底言えないし、人権派弁護士が人員増に反対していたなどというのも事実に反する。むしろ、地方のフツーの弁護士は人員増に懐疑的だったが、人権派にせよ、ビジネス派にせよ、日弁連という組織に影響力を持つ弁護士らが、法曹人口増やむなし、あるいは望ましいという意見を大きくしていったのだと思う。まして、法曹一元に熱狂して3000名増員に賛成したなどというのは、作り事にしか聞こえない。
日弁連は、強制加入団体であり、考えも右から左まである中で「会内合意の形成」にたどりつくのが難しい。その意味で意思決定に遅れが出るきらいのあることは間違いない。弁護士の中には多種多様な考え方があろうが、それでも権力に対峙するtきに内部が分裂していては話にならないのだ。市民・マスコミの支持・共感を得られるような政策提言でなければ、「業界エゴ」とさげすまれてしまう。この舵取りがホント難しいところだと思う。
ただ、裁判所や法務省と時として「対決」するのは、在野法曹という立ち位置からしてむしろ当然である。「市民のための司法改革」を掲げた中坊主流派路線の蹉跌が目に見えてきた中で、宇都宮新会長が、どういう立ち位置を定めるのか、注視したい。