遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

新盆

2017年08月13日 | 年中行事

お晩でがんす

もう今日は新盆である、早いものだ、あっという間の出来事であった

かといって当家では新盆だからと言って例年の歳と変わりないお盆にする、ただ少し入時間に寺へ迎えに行くだけだ

朝五時に起きて近くの原に盆花を取りに行く、自然保護の見地からはいかがなものかと思うが、

何百年もそうしてきた家例なので、、、、しかしそれには裏付けがある、この腹が軍隊の演習場になる時に当家でも里山を6丁歩

接収された、当時は嫌応なしのことで,お上が決めた価額で、お上の望むだけの広さを提供するのだ

全てお国の為と言う事で有った。我が家の里山は家から5分も掛らない近くにあった

だから当然花は自分の山から採れた、そうした「入会権」が残すことが条件での接収で有った

それが何時の間にかそうした物がどんどん薄らいで法律の改正が為され何時の間にか入会権が没収されて無効になってしまった

だから当家はせめてもの「胡麻目の歯軋り」であっても抵抗して旧来通りに山から盆花を採ってくる

其の結果がこれだ

花摘み籠を背負い、今年は、倅と孫で行ってくれた、一時間ほどで採れた

その留守に6日に刈り取って来た、茅.を一週間陰干しをして緑濃く仕上げたものを縄に綯う

茅は茎全体が非常に丈夫で堅いので,木槌で叩いて柔らかしててあたりをソフトにして縄を綯う

此の石が昔からある天端の平らな「藁叩き石」である何十代も何百年も使って来た石だ

藁叩きが終えると、蔵に仕舞ってある盆棚の用具一式を出して来る

此れが盆棚1式だ

少しUPしてみるととてもコンパクト成る様に工夫れている、明治40年に作成したとしたためてある

縄を綯い始めた、手前が爺さんで、奥が孫の跡取りだ

昔からしているので手がb自然に動いて縄が綯える、孫も最近は爺さんと同じに綯える

一念に一度しかしない行事だからなかなか覚えられない!親子で苦心しているが、だんだん思い出してできた

すっかり完成した、いつもは此れで潔斎沐浴をして菩提所へ迎えに行く弓張りに日を移して戴いて来る

門先の迎え火の「藁づと」に終に設置してあるものを燃やす

此の火で出迎えの家人の持つ潜航束に火を移す

こうして新盆が迎えられる、今朝早くに御棚詣りに来ていただいた方もありびっくりした

昔は13日の午後なら近しいものや隣保の人は御店詣りができたのだが、基本はあくまで14日なのだ

最近は葬儀屋さんの商業ペースに乗せられて略式の略式が、あたかも本式のような顔をして横行している

嘆かわしい事だ、ご先祖様があって今の私達があるという大前提を忘れている

此の座敷入りの時は必ず奥座敷から入るものとする

年中行儀は一つ一つに謂れと歴史がある、大切にしたいものだ

 

そんじゃあまたはなすべえ

遊童子

 

 

 

 

 

 

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