♪あなた知ってる?~広島~

ことし、タイトルを川内康範先生の歌詞をヒントに変えてみました。
HP「広島ぶらり散歩」編集履歴は変わりませんが。

中区:(広島城跡)桜の池跡

2016年10月12日 07時59分40秒 | 「公園・緑地等」編
中区基町の広島城跡の中に広島市に近代水道が引かれた記念として造られた「桜の池」でした。

東区牛田にある広島市水道資料館を見学した時、次のようなことを知りました。
『(旧広島市域では)太田川の水をそのまま飲用していたため、伝染病の流行の原因となっていました。
明治27年の日清戦争の勃発により、軍用水道の整備が急がれ、これに併せて市民水道も整備することになりました。
布設計画は、英国人技師W.K.バルトンが中心となって作成され、明治31年8月に、全国5番目の近代水道として完成しました。』


現在は遺構として整備され残されています(管理上の問題からか、現在水は溜められていません)。


(裕編集の)広島城跡桜の池跡

10月12日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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2 コメント

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近代水道 (地理佐渡..)
2016-10-12 19:07:56
こんばんは。

御雇外国人の指導によるものですかね。
全国で五番目という速さ。広島がいかに
進んでいたかが分かります。

さて、盃状穴への誘いありがとうございま
した。あの手のものをそう言うのか。
初めて知りました。ただ、かなり古いもの
でありましても、日本人ならやるなと言う
気がします。何しろ、弥生人は翡翠をも
加工しましたから。
軍都廣島・・・ (裕)
2016-10-13 07:47:54
おはようございます、地理佐渡管理人さん。

大陸に兵士を送る前にコレラの流行などで喪うことはないようにと、軍用水道として計画された水道布設、それに広島市がのっかった結果だったようです。

わたしがみた盃状穴はほとんどが近世のものだろう思います。
子宝の祈願などの穴だろうと思いますが、信仰心あっての穴なのでしょうね。

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