小さな町で幸せ探し

団塊世代の夫婦の日々・・
夫が生まれて育った故郷で暮らしています。
悲喜こもごものスローライフの物語。

長男・父になる

2010-01-25 12:11:47 | 日記

先週23日土曜日の夜8時。
長男から「嫁さんが手術室に入った」との連絡あり 

出産予定日は2月下旬。
前置胎盤というリスクに加え、10月下旬から出血あり。
母子とも、予断を許さない状態が続き11月始めに入院しました。

23日まで3ヶ月近く、家族には心配で長い期間でした 
でもベビィを守って、忍耐の入院生活、一番頑張ったのは長男嫁さん。
ごくろうさまでした・・ありがとう   

「ベッピンさんが無事に生まれたよ」との長男からの電話 
家族皆が喜びを共有 
           ・・・ 親と子夫婦・孫・・の数

長男嫁さんは、全身麻酔のため手術室から、長く出られなかったけど・・
現在は、全て順調・母子ともに心配のない状態で、胸をなでおろしました。

先方のお母様とは、週2回ほど様子を聞き一喜一憂でしたが
昨日は、二人で喜びを分かちあいました。
いつもは10分ほどの話が
昨日ばかりは、放っておけば一日中になりそうな気配でした 

土曜日・・・普段は安物のお酒を飲んでいる夫に・・
隠しておいたお酒を・・無論いただきものですけど・・ね 

           

母を訪ねて山陽本線

2010-01-20 16:51:28 | 日記

昨日19日、母のご機嫌伺いに、大阪吹田まで出かけました。
前日、19日に行く旨の連絡を入れたら
弟「じゃ、ばぁちゃんにナイショにしとくでな」と・・・ 
知らせると朝早くから、今か今かと待って・待ってするので
期待させずに、いきなり訪ねて驚かせる作戦をとりました。

上郡駅発9時11分に乗ると、11時には弟宅着の計算。
ところが、車内で病人が出たらしく、10分遅れるらしい  

結果、その遅れで乗り換え駅相生で待って・・
画像・相生駅・・いつもならこんなに乗客いないホーム。
次の姫路でも待たされて・・・・着いたのが12時15分  

母は、歩行が不自由なのでチャイムで、玄関に呼ばず、
開いていた窓から、これ幸いによじ登って入りました。

母・・ 「んまぁ!この子ってどこから入ったん  」  と
呆れながらも、昔オテンバ娘に大喜びしていましたわ・・ 
しかし、これって、泥棒に簡単に入られちゃう やばいよ 

滞在4時間あまり・・母の姪(私の従姉妹)が先日
51歳の若さで亡くなった話をしてもピンとこない様子。
ついこの前の訃報なのに・・・我関せずの母・・姪の名前を告げても思い出せず。
辛いことを感じない・切ない思いをしない・ある意味幸せかもしれない。

母娘二人で、写真を見たり、母のノートを開けたりして過ごしました。
そして母、自分がノートに、書き写した百人一首を詠み始め・・
4・50も詠んだころだったか
どうやら放っておくと、最後まで詠みそうな勢い。
私「母さんてば、その辺で、もういいよ」的に、やんわりストップかけて
「千年以上も前に、この中の人・誰か知らんけど、作った歌の
  勝負に負けて悔しさのあまり病気になって死んだんだって」と、講釈を垂れる私 
母 「ありゃま!そぅか?」って、返事だけ 
そのまま知らん顔して続けるし・・・私の知ったかぶり講釈・完全無視。
「私、このノート見なんだら一つもわからん!ノート見たら上の句を見ただけで下の句が出るのよ~」 って 

昼間一人で無言で過ごす母。
寂しいと言わず・・「幸せや」と。
母の姪(私の従姉妹)の死に平然とする母をみて
知的能力が顕著に落ちてきている・・今回はそれを強く感じたことでした。 

「また来るね・母さん」

短い一日でした・・ 





校長先生からの手紙

2010-01-18 08:53:07 | 日記

長男が中学生の時、中国のある友好都市へ
訪中団の一員として、参加する機会を得ました。

来たる出発までには、学校へ提出する書類があり
その際、提出先の校長先生に、軽い気持ちで書いた拙い手紙を添えました。
書類のチェックのお願いや何かと御配慮いただいた御礼・・その程度の内容でした。

ところが、校長先生からは、上・画像のような手紙をいただいたのです。

当時・この一通の手紙は、誰に語るでもなく私を
ひっそり一人で感じる、晴れがましい思いにしてくれました。
どちらかと言うと前面に出れない性格で、
特にPTAなどでは、常に隅っこに居て目立たない存在の私ですから・・
校長先生から、これほど心を籠められた便りを、受け取るとは考えられなかったのです。

長男の通う中学校は、県下でも指折り?のマンモス校。
でも残念なことに、男生徒の非行が顕著で、抜きん出て有名でもありました。
一部生徒が原因で、授業崩壊・・先生が病気になったり、
自信を失くし、辞職を余儀なくされた教師もいました。

なにがそうさせたか・・知る由も無いのですが・・
時代だったのでしょうか。

16日の記事の大人になれない20歳より
ずっと手に負えない、年中ワルが君臨していました。

校長先生は、多くのPTAから支持をされていたと聞きます。
校長室を開放して
「いつでも開いている、来る人拒まず話がしたい・いつ何時でも校長室へ・・」
とのことでした。
悩める父兄や役員の方々が、多く通われたとも聞きました。

              

そして、今は遠い昔・・当時の話・・
ある親しい役員の方に、語られたらしい校長先生の一言。
「テメェの息子さえ、まともに教育できない人間が校長をやってるとは・・」
と、自嘲気味に言われたそうです。

校長としての立場と、父親という位置にいて・・・
非行の子供に悩まれる校長先生の一面を知りました。

私などには、雲上人だった先生が、
校長室を開放して、降りて来ていた?のだと気がついたのは
長男の卒業間際、非行の子供さんがいるというのを知ったその時でした。

思いついた時だけど、古い思い出の箱を、紐解くことがあります。
そう言えば、訪中団の壮行会で、校長先生に御挨拶した折に言ったことが・・

 「先生に、いただいたお手紙は、我が家の家宝にします」・・と。


成人式・哀れな20歳

2010-01-16 14:54:02 | 日記

何気に見ていた今日のテレビで・・
今年も成人式で一寸した騒動があったようです。
市長の挨拶時に、壇上に乱入した一部の者がいて
それを一喝した市長に、会場の成人が拍手を送っていました。

また、別の成人式式場では、
若者に支持されている歌を、壇上の市長が歌い好評だったみたい・・
グループ名は聞くけど、歌は知らない・・エグザイルとかの歌。

ここ数年続く成人式の光景・・成人になるには、未だ幼い若者を哀れに思う。
親からは期待もされず、周囲からは、実力もないと烙印でも押された?

これまでの日々は何をやっても目立たず、注目されたこともないのかもしれない。
だから変に目立とうとするのかな?
変に目立つのが格好悪いことにも気がつかないの?
黒い目や肌の色には合わない金髪。
つっぱったり・・成人式で下手に騒いで存在をアピールしてるの?
努力なんて彼等の辞書にはないのか・・
ヘキサゴンとかの番組で
おバカ軍団がテレビで脚光をあびる時代・・学問なんか・・拒否!かな?

20歳になった我が子を見て・・
羽織袴を着た息子を見て、多くの親は目を細めたはず。
でも、よもや我が子が壇上で、ハレンチな行動に出るとは思わなかった?
貸衣装だとしても安くは無い日本の着物。
日本の伝統文化の、着物の値打ちまで貶めて・・・一寸言いすぎ?

式典でじっと座ることさえできない、たった一部だけど20歳。
去年の成人式・・一つ先輩の哀れな行動を真似ただけのこと・・
自分らしさのカケラも持たない可哀相な20歳。

小学一年生の入学式・・彼等は一年生にも負けました・・ね。






庭のロウバイ・中のシクラメン

2010-01-15 16:18:04 | 日記

庭のロウバイが、今年もたくさんの蕾をつけています。
花の少ないこの時時に、ロウバイはとても貴重に思える・・ 
後一週間もすれば満開になるかしら・・楽しみ 





部屋の中の花と言えば・・
この鉢植えシクラメンと、花びんのスイセンくらい。
ナンテンの実も長持ちで気分転換にはいいけれど・・

シクラメンは、関東圏に住む知人から、
毎年11月には、必ず届けられる贈物です。
春まで休まず、ずっと咲き続け、楽しませてくれます。

咲き終えて、休ませた球根の
再度・復活を試みるも成功した試しがありません。
もしや「下手の考え休むに似たり」ってこと ?

シクラメンの球根をチューリップのように
再度咲かせるには、無理があるのかしら・・・・・う~ん・・