有志舎の日々

社長の永滝稔が、 日々の仕事や出版・学問などに関して思ったことを好き勝手に 書いていきます。

『近代ドイツの歴史とナショナリズム・マイノリティ』のカバー写真

2017-02-18 09:45:16 | 出版
5月刊行予定、『近代ドイツの歴史とナショナリズム・マイノリティ』のカバー写真2点を、著者の伊藤定良さん(青山学院大学名誉教授)と相談し決定しました。

そのうち1点は、1970年のワルシャワ条約締結時に握手するブラント西独首相とポーランドのユゼフ・ツィランキェヴィチ首相の写真です。
このキャプションは以下の通り(まだ確定ではありませんが)。

「ドイツとポーランドの和解・・・1970年12月7日、西ドイツはポーランドとワルシャワ条約に調印し、オストプロイセンなどドイツ人にとっての「故地」を割譲・放棄してポーランドとの和解をなしとげた」。

つまり、西ドイツは戦争・併合を繰り返してきた隣国ポーランドとの和解にあたって、ドイツ国家(その中心はプロイセン)の発祥地たる3州を割譲までして和解したわけです。しかも、1970年は東西冷戦真っ直中です。これは並の決心じゃできません。
日本でたとえて言えば、福岡・大分・宮崎3県を割譲するみたいなものですかね。日本神話にある天孫降臨の地そのものを割譲して和解を成し遂げたという感じでしょうか(もしくは、ヤマト王権の「故地」とその周辺たる奈良・京都・福井あたりを割譲するようなものかな)。
逆に言えば、他国を併合・侵略した罪はそれくらいしないと和解できないくらい重いということ。

このドイツ・ポーランド和解については本文でも書かれていますが、それを日本の読者にすぐに分かってもらいたいので、この写真と説明をカバーに載せたいと思います。
日本は果たして朝鮮半島の2国に対し、これだけの覚悟をもって和解しようとしてきたか?


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