ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

歴史に対する態度を考える

2017-04-25 13:46:06 | 日記
きょう北朝鮮は、人民軍創建85周年を迎える。この節目の日に、北朝鮮が
核実験やミサイル発射を強行するのではと予想されることから、日米韓の
軍事同盟が警戒を強めている。まだ核実験やミサイル発射の報はないが、
もし実際にこれが行われたら、そこには最悪の事態が待っている。想定さ
れるのは、トランプのアメリカが北朝鮮を攻撃し、北朝鮮がこれに反撃し
て、ソウルや日本の米軍基地にミサイルを打ち込むという剣呑な成り行き
である。
我々一般市民からすれば、歴史の荒波に襲われるようにも感じられるのっ
ぴきならない事態だが、こうした歴史の荒波を前にして、歴史を司(つか
さど)り、操る者の何らかの意思を、そこに見出したくなる人もいること
だろう。

歴史を操る者、――それを「神」と呼ぶかどうかは、その人の信仰次第で
ある。キリスト教徒ならば、そこに唯一なる人格神の意思を見て、「おお
神よ、あなたはどうしてこれほどひどい、悪にまみれた世界をお創りに
なったのですか?」と問い詰めたい気持ちにもなるだろう。
「それはだな、この世の善を際立たせるために、悪のスパイスが必要だか
らだよ」と、お定まりの弁神論(神義論)が、ここから始まる。弁解にも
似た、その言い訳がましい屁理屈は神学オタク、哲学オタクの独壇場だか
ら、ここでことさら立ち入る必要もないだろう。ただ、歴史の展開に自分
の信仰との齟齬を感じ、思い悩む人(1)もいる、というだけの話である。

悪に満ちた歴史の展開に対しては、それ以外に、「人の世なんてそんなもの
さ。仕方がないよ」と喝破して、従容とこれを受け入れる人(2)もいる。あ
るいは、暴力(という悪)に対して、「悪に対する戦い(という悪)」で対
処しようとする人(3)もいる。

歴史上の悪に対しては、対処する人の態度も様々だが、北朝鮮に対する日
米韓の対応はといえば、それが(3)のタイプに属することは、言うまでもな
い。「悪に対する戦い(という悪)」というパラドックス。このパラドッ
クスの船に乗り合わせたからには、この船がばら撒く災いの火の粉にも、
我々は向き合わねばならない。
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